25-14
「死ね、王国の犬がァッ」
激情に駆られた若い獣人戦士たちが、一斉に石床を蹴った。彼らが構えるのは、カザリアの伝統的な木装飾の槍ではない。『ある男』から供与された、不自然なほどに洗練された黒鋼色の魔導槍。その穂先からは圧縮された火属性の魔力が吹き出し、乾燥した草原の空気を焼く不気味な熱風がアレンへと殺到した。
アレンは眉一つ動かさず、襲いかかる数多の術式を視覚的に捉えた。
──パチン。
乾いた指の音が響いた瞬間、広場を赤く染めていた火魔力が、霧が晴れるように消失した。術式を根源から破壊する理外の力――《魔術消去》。
「なっ……魔導槍の出力が消えた……ッ」
戦士たちが驚愕に目を見開く。武器としての機能を失い、ただの「鉄の棒」へと成り果てた槍が、虚しくアレンの鼻先を通り過ぎる。その隙を、一振りの銀閃が制した。
「──刃を当てるまでもありません。下がってください」
サツキは《朧月》の石突を鋭く突き出し、先頭の戦士の鳩尾を正確に捉えた。骨を砕かぬよう衝撃を逃がしながらも、一撃で意識を刈り取る絶技。続く二人の槍筋を、彼女は最小限の足運びで回避し、薙刀の柄を軸にした円運動で、三人の足を同時に払い落とした。土埃が彼女の足元から舞い上がり、風にさらわれて散っていった。
「……見えない。槍の間合いを、一歩で……っ」
戦士たちが次々と石床に転がる。サツキが放つのは、魔術による身体強化ではない。長年の鍛錬によって「最適化」された、物理的な重心移動と反射神経の極致。彼女にとって《朧月》はもはや肉体の一部であり、その先端から石突に至るまで、戦場の空気を支配するための「針」となっていた。
アレンはサツキに守られた背後で、静かに掌を広げた。
「言ったはずだ。……俺が止めるのは、戦火だけだと」
アレンの周囲の空気が、異常な密度で圧縮される。発動するのは、物理法則をねじ伏せる固有魔術《衝撃制御》。
「──退け」
ドォォォォォォン。
アレンを中心に、透明な半球状の衝撃波が爆発的に広がった。立ち上がろうとしていた戦士たち、そして後方で魔術を構えていた者たちまでもが、まるで見えない巨人に押し流されるように、まとめて後方へと吹き飛ばされる。
地面を転がり、移動都市のコンテナに叩きつけられる獣人たち。だが、そこには絶命の悲鳴はなかった。衝撃に襲われたはずの身体には、骨折も、内臓へのダメージも、掠り傷一つない。
ただ、圧倒的な質量で「押された」という事実。それは、抵抗する意志を根こそぎ奪い去る、理外の無力化であった。地面に転がった戦士たちが、次々と自身の身体を確かめるように起き上がり、傷一つないことに戸惑いの表情を浮かべていた。
広場を支配していた狂乱が、潮が引くように静まっていく。
「……バカな。これほどの魔力を使いながら、我らを一人も傷つけぬだと……ッ」
地面に伏した長老の一人が、震える声で呟いた。
「これが……アレン・ヴァルグレイの、本当の力……」
膝を突いたまま、セルディオ・ラグランはその光景を凝視していた。自分は、裏切りの果てに「武」をもって王国に抗おうとした。だが、目の前の男は、自分とは比較にならぬ「理外」の力を持ちながら、一滴の血も流さずにこの戦場を支配してみせた。呼吸を整えようとする度に、胸の奥から込み上げてくる何かを、彼はまだ言葉にできずにいた。
(俺が守りたかったのは……『あの男』から与えられた正義で、同胞を死に追いやることだったのか……)
アレンが示したのは、王国への忠誠でも、部族への敵意でもない。ただ、誰一人として泣かせないために事態を止めるという、あまりにも困難で、孤独な「誠実さ」であった。周囲に転がる獣人戦士たちの誰もが、体を起こしながら、呆然とアレンの背中を見つめている。
部族の長老たちの瞳から、戦意という名の熱気が引いていく。彼らは理解し始めていた。目の前の「化け物」と呼ばれた男こそが、この草原で最も誠実に命と向き合っていることを。長老の一人が、無言のまま自らの魔導槍を地面に置き、両手を開いて見せた。その仕草に、周囲の戦士たちも徐々に武器を下ろし始めていく。
「もう十分だ。……話を、続けよう」
アレンが静かに手を下ろすと、舞い上がっていた砂塵が止み、黄金の草原に再び重厚な静寂が訪れた。それは力による屈服ではなく、圧倒的な「格差」を前にした魂の沈黙であった。
広場の隅々にまで、静けさがゆっくりと染み渡っていく。傷一つ負わずに地に伏していた戦士たちが、互いに顔を見合わせ、これまでの敵意とはまるで違う戸惑いの表情を浮かべていた。
リィナは展開していた《空間隔絶結界》をそっと解き、緊張に強張っていた自身の肩の力を、ゆっくりと抜いていった。セリスもまた、女性たちの間で高まっていた不安の色が、次第に落ち着きへと変わっていくのを、静かな安堵とともに見届けていた。
セルディオは膝を突いたまま、しばらく動くことができなかった。荒い息の合間に、彼の視線はアレンの背中と、その周囲に無傷のまま転がる同胞たちの姿とを、幾度も往復していた。彼の握りしめていた拳から、いつの間にか力が抜けていることに、彼自身、まだ気づいていないようだった。冬の風が、静まり返った広場を、ゆっくりと吹き抜けていった。




