25-11
カザリアの移動都市、その中央広場。巨大なコンテナ車両に囲まれた広大な空間を、乾燥した冬の風が荒々しく吹き抜けていた。巻き上げられた砂塵に、潤滑油の焦げた匂いと、獣人たちが放つ野生の熱気が混ざり合う。広場を埋め尽くす戦士たちの手には、カザリアの無骨な技術体系とは明らかに一線を画す、流線型の不気味な黒鋼色の魔導槍が握られていた。
「……あの時、二度とその面を見せるなと言ったはずだが」
アレン・ヴァルグレイの温度を欠いた声が、砂塵の舞う広場に冷たく響き渡った。漆黒のロングコートが風に激しくたなびく。その視線の先に立っていたのは、かつての優雅な宮廷騎士の面影を脱ぎ捨て、泥と絶望に塗れた一人の武人――特級魔軌士No.5、セルディオ・ラグランであった。
かつてバルムートの首脳会談(WFS)において、軽薄な笑みを浮かべてセリスを辱めようとした男の姿はそこになかった。今の彼を包んでいるのは、肌を刺すような刺々しい魔力圧と、瞳の奥に沈殿した、底知れぬ泥のような怨嗟であった。周囲を取り囲む戦士たちの誰もが、その空気の重さに息を潜めていた。
「アレン様。……あのような男、言葉を交わす価値もありませんわ」
セリス・ヴァレンティアが、嫌悪を露わにしてレイピアの柄を指先で叩いた。彼女の青色の瞳は、かつて自身の頬を撫でようとした不快な指先を、今や「排除すべき不浄」として冷徹に射抜いている。傍らに立つリィナは、思考読解を深層まで走らせ、セルディオから溢れ出す感情の「色」を読み取っていた。そこにあるのは、単純な裏切りなどではない。自身の存在そのものを否定された果ての、凄絶なまでの自暴棄であった。
「理外の化け物が……。わざわざこんな砂埃の舞う辺境まで、俺を消去しに来たか」
セルディオは自嘲気味に口角を歪めたが、その瞳は一度も笑っていなかった。乾いた風が、彼の外套の裾を音を立てて煽っている。
「俺はもう、王国に戻るつもりはない。……あそこには、俺たちの居場所なんて最初からなかったんだ。『あの男』が言った通り、あの国は腐りきった王権を守るための、ただの巨大な檻でしかなかった」
「戻れとは言っていない」
アレンが無造作に一歩、踏み出す。その一歩だけで、周囲を取り囲んでいた獣人戦士たちの呼吸が不自然に止まった。乾いた地面を踏む靴音が、やけに鮮明に広場へと響いた。
「ただ、戦争を始める理由を聞きに来た。王国の『最後の盾』と呼ばれた男が、なぜ『他国』の正義を借りてまで、この草原を焼こうとしているのかをな」
「理由だと……?」
セルディオの表情が激しい憎悪に塗りつぶされた。彼は、北部街道の白い雪を染め上げた、あの「赤」を語り始めた。王国の法を守るべき魔術銃が、自分と同じ「混血」という呪いの波長を持つ十歳の少年を、あまりにも呆気なく、そして無関心に貫いた事実を。言葉を紡ぐ彼の声は、次第に震えを帯び始めていた。
「王国は守ると言った。だが、守られたのは『純血の人間』だけだ。俺たちのような混血は、いざとなれば真っ先に切り捨てられる資源に過ぎないんだよ」
セルディオの絶叫に呼応するように、周囲の獣人たちが一斉に魔導槍を突き出した。彼らにとって、特級魔軌士の零番(No.0)は、王国の非道を体現する最大の敵に他ならない。突き出された槍の穂先が、鈍い陽光を無数に反射して揺れていた。
「……それでも、戦争は守るための手段じゃない。それはただ、新たな犠牲を積み上げるだけの行為だ。死んだその子のような骸を、お前はもっと増やしたいのか」
「綺麗事を……。奪われた側の痛みが、何一つ欠けのないお前にわかるのか」
一人の若い戦士が、耐えきれずにアレンへと肉薄した。だが、アレンは視線すら向けない。彼の周囲で、物理的な質量を伴った静寂が爆発し、戦士の槍先が目に見えぬ壁に阻まれたかのように空中で静止した。若い戦士の目が、信じられないものを見るように大きく見開かれた。
「よせ、お前たち」
セルディオが若者たちを制し、ゆっくりと魔導剣を抜き放った。その刀身には、カザリアの風が不気味な高周波を立てて纏わりついている。それは王国の騎士としての技を捨て、野生の衝動を魔力へと変換した、禍々しいまでの闘気であった。剣が抜かれた瞬間、広場の空気がわずかに軋むような感覚が漂った。
「アレン・ヴァルグレイ。お前のその『理外の不条理』が、本当にこの連鎖を止められるというのなら──」
セルディオの琥珀色の瞳が、かつてない鋭さでアレンの漆黒を射抜く。
「俺を、力ずくで止めてみせろ。その先にしか、お前の言う『対話』の席はないと思え」
「……いいだろう。お前がそのつもりなら」
アレンは漆黒のコートを風に揺らしながら、無造作に両手をポケットから抜いた。彼の足元から、世界そのものを書き換えるような、極低温の魔力圧が静かに溢れ出し始める。広場を取り巻く獣人たちが、無言のまま一歩、また一歩と後ずさっていった。
乾燥した草原の風が、一瞬だけ止まった。直後、セルディオの「風の加速魔術」が爆発的な轟音を立てて炸裂し、彼の姿が視界からかき消えた。砂塵が渦を巻いて舞い上がり、それまで彼が立っていた場所には、乾いた土の痕跡だけが円形に残された。
黄金の草原の中心で、王国最強だった「盾」と、理外の「零番」が、ついに修復不可能な境界線を越えて激突した。広場に集った戦士たちも、部族の長老たちも、そしてリィナ、セリス、サツキの三人もまた、息を呑んでその一瞬を見守るしかなかった。荒れ狂う風の音の中に、鋼と鋼がぶつかり合う予兆だけが、確かに満ちていた。




