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公国軍専用の魔導航空機は、高度一万メートルの蒼い静寂を切り裂き、西大陸の南東へとその針路を取っていた。機内のプライベートデッキでは、アレン・ヴァルグレイが三人の誓導者を伴い、作戦前の最終ブリーフィングを行っていた。窓の外を流れる雲海は、どこまでも果てなく続き、時折その切れ目から地上の輪郭が微かに覗いていた。
「カザリアは『部族連合』という、現代魔導文明においては極めて危うい均衡の上に成立している国家ですわ」
セリス・ヴァレンティアが気品ある指先でアーク・リンクを操作し、空間にカザリアの三次元ホログラムマップを投影した。青白い光の中に、黄金の草原を縦横に走る魔導送電網のラインが血管のように浮かび上がり、点在する移動都市の座標を繋いでいる。淡く発光するその地図は、彼女の指先の動きに合わせて滑らかに回転した。
「人間と獣人の部族が、カザリア王権という一本の細い糸で束ねられているに過ぎません。その糸が今、他国が提唱する『過激な平等主義』という刃によって、根元から断ち切られようとしていますわ」
「……人間と獣人。元は同じ草原を駆ける同胞だったはずなのに。差別の連鎖が、正体不明の介入を招く隙を作ってしまったんですね」
リィナが淡い青色の瞳に憂いを滲ませ、手元の端末に表示された被害予測データを見つめた。彼女の視線の先には、逃げ惑う民衆や、焼け出された集落の悲痛な記録が並んでいる。画面を流れる文字列を追う指先が、わずかに震えていた。
「カザリアの『武』は、伝統的な戦技と魔導技術を組み合わせた独自の高速戦闘にあります。その頂点に立ち、部族連合の楔であった魔導剣士No.5……セルディオ・ラグランが離反したことは、王国の自尊心を完全に粉砕しました」
サツキ・ハートフィールドが新調された藍色の衣装を正した。武人としての鋭敏な感覚が、これから向かう戦地の「濁った熱量」を、数千キロの彼方から既に捉えているかのようだった。彼女の指先は、傍らに立てかけた愛槍《朧月》の柄をそっと確かめるように撫でていた。
アレンは機窓の外、地平線まで広がる冬の黄金の草原を静かに見つめていた。陽光を反射する草原は美しいが、アレンの視界には、その大気中に霧散し始めた「憎悪の魔力残滓」がはっきりと映っていた。淡く赤みを帯びたその残滓は、風に乗って幾筋も草原の上空を漂っているように見えた。
「……王国の『最後の盾』が、部族側の『最強の矛』に回ったか。個人の絶望を他国の正義で上書きされた男……。実に厄介だな」
アレンの声は温度を欠いていたが、その黒い瞳の奥には、これから対峙する男への冷徹な観察の色が宿っていた。彼はホログラムマップに視線を戻し、王宮と移動都市を結ぶ道筋を一瞥した。
航空機がカザリオン国際空港へと着陸すると、タラップを降りた一行を、乾燥した草原の香りと、肌を刺すような冷たい冬の風が迎え入れた。空港から王宮へと続く大通りには、武装した王国軍の車両が列を成し、壁面ディスプレイには「独立派への最後通告」が警告の赤色で点滅している。街全体が、一触即発の火薬庫のような沈黙に包まれていた。道行く人々の足取りも早く、誰もが伏し目がちに車両の列を避けて歩いていた。
王宮の国王執務室。そこに待ち構えていたのは、かつての豪胆さを失い、獣のような琥珀色の瞳を血走らせた国王ザイロス・カザリアであった。重厚な黒曜石の床には、彼の昂ぶった魔力に共鳴した火の粉が時折爆ぜ、室内の空気が不自然に過熱させていた。
「よく来てくれた、アレン・ヴァルグレイ殿。魔軌士局からの派遣、心から感謝する」
ザイロスは玉座から立ち上がり、縋るような足取りでアレンへと歩み寄った。その足取りには、かつての一国の王としての落ち着きはなく、追い詰められた者特有の焦燥だけがあった。
「セルディオが……我が国の誇りが裏切った。奴を止められる者は、この大陸に貴殿しかいない。理外の零番よ。貴殿の圧倒的な力で、あの反徒どもを……裏切り者のNo.5を、根こそぎ塵に還してほしい」
ザイロスの声音には、支配者としての焦燥と、かつての友を「怪物」として切り捨てようとする悲痛な決意が混ざり合っていた。だが、アレンはその瞳を冷徹に、一切の威圧感を排した黒い瞳で見据え返した。室内の空気が、その視線一つで一段と冷え込んだように感じられた。
「……勘違いするな。俺は貴殿の復讐を代行しに来たわけじゃない」
アレンの極低温の声が、執務室の熱を物理的に奪い去った。ザイロスが息を呑む。
「俺は公国の、あるいは世界の理を正すために動く。誰かの都合の良い傭兵になるつもりはないし、一方の正義で人を消去するつもりもない。……俺が救うのは、この内乱の犠牲になる子供たちの未来だけだ」
「な……何を言う。奴らは王国の法を破り、独立を標榜してテロを……。背後にはどこか他国の影すらちらついているのだぞ」
「……戦わずに『止める』。それが、俺をここへ連れてきた楔たちの願いだ」
「……よかろう、貴殿にはすべてを委ねてもらう」
ザイロスは一瞬、呆然と口を開けたが、やがてアレンの背後に立つ三人の誓導者たちが放つ、一分の揺らぎもない「三拍子の鼓動」に圧されるように、力なく笑って引き下がった。その笑いには、諦観と、わずかな安堵とが同時に滲んでいた。
王宮を出たアレンたちは、そのまま王国軍の装甲車に乗り込み、北部街道へと向かっていた。窓外には、送電鉄塔の影に身を潜める部族民たちの、不信感に満ちた視線が幾重にも交錯している。車列が通り過ぎるたび、遠くの集落から漂う煙が、冬の乾いた空にわずかに揺らいでいるのが見えた。
「アレン様、本当に宜しいのですか。王国側の鎮圧指示を無視して動くのは、外交上の問題に……」
隣に座るリィナが、心配そうにアレンの横顔を覗き込んだ。装甲車の車体が、荒れた道の凹凸に合わせて微かに揺れる。
「ああ。王宮で聞く書類上のデータ(報告書)だけじゃ、事の真実は見えない」
アレンは、風に激しく打ち鳴らされる牙族の旗に視線を据えた。
「なぜ王国最強の盾が折れたのか。なぜ他国が彼らに武器を貸し与えたのか。……まずは部族側の言い分を、この耳で直接聞く必要がある。……サツキ、準備はいいか」
「いつでも。アレン様の死角は、私がすべて断ち切ります」
サツキは力強く頷き、愛槍の石突を車両の床に静かに響かせた。その音は短く硬質で、装甲車の内部に一瞬だけ確かな緊張を刻んだ。
一行を乗せた車両は、王国の法が届かぬ、乾燥した冬の草原の深部――鉄と誇りが渦巻く移動都市の影へと、迷いなく足を踏み入れていった。窓の外を流れる景色は、次第に整然とした街並みから荒涼とした草原の風景へと移り変わり、遠く地平線の彼方に、巨大なコンテナ群が幾つも連なる移動都市の輪郭が、鈍い陽光の中にぼんやりと浮かび上がってきていた。装甲車のエンジン音だけが、静まり返った草原の中に低く響き続けていた。




