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西大陸南西、交易都市アルカ・マリティマに建つ魔軌士局本局。その最上階に近い総務局長室は、午後の柔らかな陽光を遮るように展開された無数のホログラムウィンドウの青白い光に満たされていた。サーバーの冷却ファンが放つ断続的な唸りと、空調の冷たい風が、張り詰めた事務室の空気をかき乱している。窓の外には、港湾都市らしい潮風に揺れる船影が遠く霞んでいた。
「……カザリアから緊急通信です。発信元は魔軌士No.5、セルディオ・ラグランの元誓導者……カレンとリディアの両名。総務局の優先秘匿回線を叩いています」
通信士の報告を受け、総務局長アーヴィン・マリスタンは、キーボードを叩く手を止めて深く溜息を吐いた。彼の正面にある大型モニターには、No.5の雇用契約が一方的に破棄され、カザリア国内が内乱状態に陥ったことを示す赤色の警告表示が点滅し続けていた。画面を流れる情報の速さに、彼の眉間の皺がいよいよ深くなっていく。
「契約破棄、さらに部族独立派への合流か。技巧派の極致と謳われた五番が、これほど致命的な『不始末』を仕でかすとはな」
アーヴィンは眉間を指で強く押さえ、立ち上がった。彼は迷うことなく、本局局長オルディス・マリクレインの執務室へと足を向けた。この事態は、一局長の裁量で収まる規模を既に逸脱していた。廊下を急ぐ彼の足音が、静まり返った本局の通路に規則正しく響いていく。
局長執務室の重厚な防魔扉が開かれると、そこには国際中立の象徴、オルディス・マリクレインが窓外の港を眺めて立っていた。アーヴィンが状況を簡潔に報告すると、老練な局長は振り返り、鋭い眼光を向けた。窓から差し込む陽光が、彼の白髪混じりの灰色の髪をわずかに照らしていた。
「カザリア側は、No.0(ナンバー・ゼロ)の緊急派遣を求めているのだな」
「はい。ですが局内では反対意見が主流です。魔軌士局は各国の主権に干渉しないのが大原則。No.5の裏切りはカザリア王国の雇用管理の不手際であり、我々が尻拭いをする義理はない……と」
アーヴィンの言葉に、オルディスは苦虫を噛み潰したような顔で鼻を鳴らした。
「ガルディア公国を見ろ。彼らはアレン殿に出会うまで、素行の悪い特級魔軌士との契約を頑なに拒み、セリス殿に頼ってきた。実力さえあれば良いと安易に『毒』を飲み込んだカザリアの自業自得、という論理は確かに正しい」
「では、要請を却下されますか」
「……いや。このままNo.5の暴走を放置すれば、『魔軌士』というブランドそのものへの信頼が失墜する。特級が内乱の火種になるとあっては、制度の根幹が揺らぎかねん。世間への見せしめも含め、最強のNo.0をもって、これを早期に、かつ完璧に鎮圧させる必要がある」
オルディスは手元のコンソールを操作し、ガルディア公国への越境任務登録を承認した。青白い光の文字列が、彼の指先に沿って画面上を滑るように流れていった。
「アレン殿へ繋げ。……ただし、あの男がこの『政治の泥沼』を素直に引き受けるとは思えんがな」
局長室に短い沈黙が落ちた。アーヴィンは無言のまま一礼し、承認された案件を処理するべく、足早に執務室を後にした。窓の外では、交易都市の港に停泊する幾隻もの船が、午後の穏やかな海風に揺れていた。
ガルディア公国宮殿別邸。午後の柔らかな光が差し込む応接室に、アレン・ヴァルグレイの温度を欠いた声が響いた。
「……断る。勝手に殺し合え」
アレンは、ティーテーブルの上に投影された魔軌士局員の説明を、表情一つ変えずに切り捨てた。漆黒のコートが、別邸に流れ込む冷気を孕んで微かに揺れる。隣に立つセリスはレイピアの柄を指先で叩き、困ったような、けれどアレンの回答を予想していたような微笑を浮かべていた。
「アレン様の仰る通りですわね。一国の内乱に『特務官』の名を出して介入するなど、他国への示しがつきませんわ。カザリア王国の自業自得ですわ」
アレンは席を立ち、冷徹に事務作業を終えるかのように背を向けた。だが、その足は扉に辿り着く前に止められた。
「……アレン様、お待ちください」
リィナ・フェルウェンが、淡い青色の瞳に静かな、しかし確かな意志を宿して一歩前へ出た。彼女の手は、自身の胸元を、痛みを分かち合うように強く握りしめている。窓辺から差し込む光が、彼女の銀髪をわずかに縁取っていた。
「今のカザリアは、憎しみの連鎖の中にあります。政治の失策かもしれませんが、その連鎖の犠牲になるのは……武器も持てない、戦う理由も知らない子供たちです。何の罪もない人々が踏みにじられるのを、アレン様なら黙って見ていられないはずです」
リィナの言葉は、アレンの「理外の力」が、常に「守るべきもの」のために振るわれてきた本質を正確に突いていた。アレンは足を止めたが、まだ振り返ることはしなかった。窓外を渡る風が、応接室のカーテンをわずかに揺らしている。
「……リィナさんの仰る通りです、アレン様」
今度は、サツキ・ハートフィールドが、アレンの背中へと語りかけた。茶系のポニーテールが、武人としての烈しい気概を映すように微かに震えている。
「あなたは私に、『地獄を半分預ける』と仰いました。……その地獄の中には、自分の力で立てない者を、不当な暴力から守り抜くという責務も含まれているのではありませんか。カザリアの草原で流される血が、あなたの内側にある理を汚すというのなら……私は、あなたの楔として、その戦火を止めるために共に往きたい」
沈黙が、別邸の応接室を重厚に支配した。アレンの立つ位置から差し込む陽光が、彼の足元に長い影を落としている。
アレンは無言のまま、数秒の間、自身の掌を見つめた。リィナの献身、サツキの誠実。二人の「楔」が発する異なる熱量が、アレンの凍てついた合理性をじわじわと解かしていくのを感じていた。
(……ったく、お前たちは……。甘すぎるな)
アレンは、誰にも聞こえないほどの小さな独白を漏らすと、ようやく二人へと向き直った。その漆黒の瞳からは、先ほどまでの攻撃的な拒絶は消え、代わりに次なる戦地を見据える死神の如き静寂が宿っていた。
「……準備しろ。一時間後に出発する」
「はい、アレン様」
二人の誓導者の返声が、重なった。応接室の空気が、決意の色を帯びて張り詰めていく。セリスもまた、それまでの困ったような微笑を消し、レイピアの柄を握り直す仕草を見せた。彼女の青色の瞳には、これから始まる遠征への静かな覚悟が宿り始めていた。
黄金の草原に吹こうとしている不穏な風を、その根源から消し去るための進軍が、今、静かに幕を開けたのである。窓の外では、ガルディアの穏やかな午後の光が、変わらぬ調子で庭園の木々を照らし続けていた。だがその光の下で、四人の意志は既に、遠く離れた戦火の地へと向けられ始めていた。侍従たちが慌ただしく荷を整える気配が、別邸の奥から静かに伝わってくる。出発の刻限まで、もはや一時間を残すのみであった。




