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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第25章:カザリア内乱

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25-2

西大陸南東部に位置するカザリア王国。その首都カザリオンに建つ王宮内、国王執務室を包んでいたのは、新年の高揚感とは無縁の、凍てつくような沈黙だった。窓の外には黄金の草原が地平線まで広がっているはずだったが、分厚いカーテンが引かれた室内には、その穏やかな光景を思わせるものは何一つなかった。


「……また牙族きばぞくか。今月に入って三度目だな」


国王ザイロス・カザリアが、低く地を這うような声で吐き捨てた。彼の正面に浮かぶ巨大なホログラムウィンドウには、王国内に点在する部族居住区の魔力動態グラフが赤く明滅している。かつての「騎馬部族の連合」としての面影を残しながらも、現代のカザリアは魔導工学と電力インフラによって統治される近代国家だ。だが、そのデジタルな地図の上で、獣人独立派の勢力圏を示す赤色の領域が、癌細胞のようにじわじわと拡大を続けていた。


「はい、陛下。北部街道沿いの集落では、徴税官の車両が魔力妨害を受けて引き返しています。さらに不気味なのは……彼らが手にしている通信機や魔導具の一部が、我が国の規格外――つまり、国外からの供与品である可能性が高いことですわ」


傍らに直立する特級魔軌士No.5の第一誓導者、カレン・ミストリアが、アーク・リンクを操作しながら冷静に補足した。彼女の淡い金髪が、室内に流れる微かな空調の風に揺れる。指先が滑らかに端末を撫でるたび、青白い光の粒子が空中に文字列を描いていった。


「国外だと? 帝国か、あるいは……」


「……残念ながら、どこの国か。までは分かっていません」


カレンの言葉に、ザイロスは苦虫を噛み潰したような顔で鼻を鳴らした。その時、室内の端、窓辺に置かれたソファに不釣合いなほど深く沈み込んでいた男が、退屈そうに欠伸を漏らした。


「まーた牙族きばぞくの話? お堅いねえ、二人とも。新年くらい、もっと華やかな話をしようぜ。例えば……ガルディアのあのセリス・ヴァレンティア。あのお嬢様、最近また一段と魔力純度が上がったらしいじゃないか。一度、じっくり『循環』を語り合いたいもんだね」


「マスター・セルディオ。今は国事の最中ですわ。……それと、セリス様に色目を使うのはおやめなさい。ガルディアの零番(No.0)に消去ディスペルされたいのですか」


カレンの冷徹な指摘に、特級魔軌士No.5――セルディオ・ラグランは、整った顔立ちに軽薄な笑みを浮かべて肩を竦めた。窓から差し込む午前の光が、彼の淡い茶色の髪をわずかに照らしている。


「怖い怖い。……ま、仕事はするよ。俺はカザリア王国の『最後の盾』。雇い主(王様)の頼みなら、部族のガキどもを軽く捻ってきてやるさ」


セルディオが立ち上がると、その周囲の空気がわずかに波打った。彼が無意識に漏らしている魔力圧は、技巧派の名に相応しい、研ぎ澄まされたカミソリのような鋭さを秘めている。だが、その琥珀色の瞳の奥に沈む色は、誰にも悟らせないほど深く、暗かった。表面上の軽薄さの下に、彼自身すら言葉にできない澱のようなものが、静かに沈殿し続けているようだった。


引見を終え、セルディオは一人、王宮の長い回廊を歩いていた。磨き抜かれた大理石の床に、天井の魔導灯が規則正しい光の輪を落としている。壁面にはカザリアの歴史を彩る魔獣討伐のホログラム映像が流れているが、彼はそれに一瞥もくれなかった。革靴の底が石床を叩く音だけが、無人の回廊に規則正しく響いていく。


「…………」


不意に、セルディオが人影のない角で足を止めた。彼は周囲の魔力動態を感知し、誰もいないことを確認すると、内ポケットから私物のアーク・リンクとは異なる、無機質な黒鋼色の小型端末を取り出した。指先がその冷たい表面を撫でる感触に、彼の眉がわずかに歪んだ。


それは非公開規格の通信機だった。画面が青白く明滅し、一人の男のシルエットが浮かび上がる。


『……聞こえるかね、セルディオ君。カザリアの空の色はどうだい』


ノイズの混じった声が、セルディオの耳元で小さく響いた。


「最悪だよ。相変わらず砂埃と差別の臭いが充満してる。あんたの言った通り、この国の『盾』として働くほど、自分が惨めになってくるぜ」


セルディオの声から、先ほどまでの軽薄さが消え、隠しきれない怨嗟が滲み出た。彼は人間と獣人の混血だった。五世代前の血だ。見た目は完全に人間であり、王宮の特級魔軌士として君臨している。だが、その魔力波長の深層に流れる「濁り」を、カザリアの純血主義者たちは本能的に嫌悪し、影で「混じりもの」と嘲笑ってきた。幼い頃から積み重ねてきたその蔑みの記憶は、栄達を重ねてもなお、彼の胸の奥から消えることはなかった。


『君のような逸材が、腐敗した王権を守るためにその剣を振るうべきではない。我が国は、君の本当の価値を理解している。……牙族の少年たちが手にしている『自由の種』は、順調に育っているようだがね』


「ああ、あんたが送り込んできたおもちゃ(魔導具)のせいで、王様はパニック寸前だ。……だが、俺はまだ決めたわけじゃない。カレンやリディアまで捨てる覚悟は……」


『決断の刻は、向こうからやってくるものだ。……カザリアの冬の風が、君の背中を押すだろう。また連絡する』


通信が途絶え、端末が冷たい鉄の塊に戻る。セルディオはそれを再び懐に隠すと、自嘲気味に口角を歪めた。


(……俺の居場所は、どこにあるんだろうな)


廊下の窓外には、地平線まで続く黄金の草原が広がっていた。そこには部族の移動都市を繋ぐ送電網の鉄塔が整然と並び、現代魔導文明の恩恵を謳歌しているように見える。だが、その鉄塔の影では、蓄積された絶望という名の火種が、一吹きの風を待って静かに燃え広がっていた。遠くの空には、薄い雲が幾筋も流れており、その下を風に煽られた枯草が音もなく転がっていくのが見えた。


セルディオは窓に手をついたまま、しばらくその光景を見つめ続けていた。幼少期に浴びせられた蔑みの言葉、王宮に上がってからも消えなかった居心地の悪さ、そしてこの数ヶ月、あの通信機を通じて囁かれ続けてきた「別の正義」――それらが胸の内で幾重にも折り重なり、重い澱となって彼の呼吸を鈍らせていた。


(俺は……人間なのか、獣人なのか。どちらにも、俺を丸ごと受け入れてくれる場所はなかった)


セルディオが再び歩き出そうとしたその時、アーク・リンクに緊急の任務通知が飛び込んできた。


『マスター・セルディオ。北部街道にて牙族の若者と巡回隊が接触。至急、現場へ急行してください』


「……ああ。行くよ」


セルディオは腰の魔導剣の柄を、確認するように一度だけ強く握った。指先に伝わる硬質な感触が、わずかに乱れていた彼の意識を、任務という現実へと引き戻す。


乾燥した草原の風が、王宮の重厚な防魔ガラスを叩き、不気味な不協和音を響かせていた。その音は、まるでこれから起こる何かを予告するかのように、いつまでも執務室の隅に、そして回廊の隅々にまで、低く尾を引いて残り続けていた。セルディオは踵を返し、王宮の外へと続く長い廊下を、迷いのない足取りで歩き始めた。だがその胸の内では、まだ答えの出ない問いだけが、静かに渦を巻き続けていた。


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