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女神歴二一九八年、一月一日。
新年の朝は、凍てつくほどに澄んでいた。西大陸ガルディア公国の首都ガルディアス、その外縁部にひっそりと佇む古い寺院――苔むした石段と、時代を経てなお崩れぬ石組みの門が、静かな威厳を保って四人を迎え入れていた。境内に射し込む朝日は淡く、まだ夜の名残を留めた冷気が石畳を這っている。
アレン・ヴァルグレイがこの世界に再召喚されてから、三度目となる新年であった。昨年はリィナ・フェルウェンとセリス・ヴァレンティア、三人だけで迎えた静かな朝だったが、今年はそこに、茶系のポニーテールを揺らす武人、サツキ・ハートフィールドの姿が加わっている。
(一年ぶりだが……ここに来ると落ち着くのは、故国の“残心”の影響か)
アレンが石畳を一歩踏みしめると、漆黒のコートの裾が冷気になびいた。背後では銀髪のリィナと金髪のセリスが、主に寄り添うように静かに歩を進めていた。サツキは愛槍《朧月》の柄を握り、武人としての鋭敏な感覚で四方の気配を絶えず探っている。彼女にとって、アレンが「友好的だ」と語る伝説の魔獣――古代龍との面会は、武の深淵を覗き込むに等しい緊張を伴うものだった。
寺院の奥、闇に沈んだ最深部で、空間そのものが物理的な質量を伴って歪んだ。
ゴゴゴゴゴッ……。
山のごとき巨大な影が、闇の底から鎌首をもたげる。黄金に輝く巨大な瞳が、四人の姿を冷徹に、そしてどこか懐かしげに射抜いた。石壁に反響する龍の呼気が、境内の空気をわずかに震わせる。
「ド、ドラゴン……。話には聞いていましたが、この圧倒的な魔力圧……」
サツキの喉が鳴り、無意識に重心が低く沈んだ。だがアレンは、その巨大な鼻先にまで無造作に歩み寄ると、旧知の友人に接するように淡々とした声をかけた。
「『黒き災厄』について、何か知らないか」
「黒き……知らんな。そんな事より暇だから、もう少し会いに来いよ、アレン」
地響きのような声が、寺院の壁を震わせて返ってくる。
「俺はお前みたいに暇じゃないんだ。『黒き災厄』を知ってたら話せたんだがな」
アレンは無造作にショートソードの柄に手を置いた。
「セラフィナが何か言ってなかったか。世界樹の『濁り』についてとか」
「世界樹?……あ〜、“あの魔力塊”の事か」
古代龍が鼻を鳴らすと、寺院に熱風が舞った。埃と乾いた石の匂いが混じり合う。
「中央大陸にあるやつだ」
「あれは魔力の質が変わったよな。いつ頃だったか……たしか、お前に尻尾を切られた後だな。セラフィナ様からは何も聞いておらん」
(……セラフィナに忘れられてただけじゃないのか、こいつ)
アレンは内心で溜息をついた。かつてアレンが魔力ゼロだった時代、この古代龍の尻尾を斬り落としたという記憶はない。だが、この世界に残る“残心”は、確かに龍の記憶に刻まれているらしかった。
「……ちなみにお前は何才なんだ」
「わしはまだ若いぞ。……多分だが、六千年は経っておらん」
古代龍は巨大な首を傾げた。石床に落ちる龍の影が、わずかに揺らめく。
「年齢と言えば不思議な事がある。わしはな、自分が二・三万年くらいは余裕で生きられる種だと理解しているんだ。説明はできんが、とにかく“わかる”のだ」
古代龍の声が、わずかに真剣味を帯びた。
「だがな、わしより年寄りの仲間を見たことがない。わしは新種の始まり、始祖なのか。それとも、かつて同族に何かあったのか……」
「……何言ってるかわからんが……うん。お前の仲間ってどれくらいいるんだ」
「五ドラくらいは見たかな」
「単位ドラかよ……」
アレンのツッコミが、虚しく境内に響いて消えた。
「だが、姿形はわしと同じでも、同じ種ではない。それに若造ばっかりで弱い。ワイバーンなら結構おるがな」
「ワイバーンはドラゴンじゃないのか」
「あんなトカゲと一緒にするな。火を吐くぞ」
「わるいわるい。気を悪くするな」
アレンは軽く手を挙げて宥めた。その傍らで、リィナは淡い青の瞳を細め、龍から漏れ出す膨大な魔力情報を静かに読み取っていた。
(……ドラゴンの魔力波長、世界樹の“魔力塊”と似ている。古代魔力生命体……?)
驚きよりも、魔術研究者としての分析が勝っていた。世界樹は高度な「魔術式の集合体」であるという確信が、彼女の中でまた一つ深まっていく。
「……アレン様。ドラゴンと普通に世間話できる人間なんて、大陸のどこを探してもいませんわよ。もう少し、こう、驚いてくださいません?」
セリスが額を押さえて溜息をついたが、アレンは「話が通じるなら、会話した方が早いだろ」と事務的に切り捨て、古代龍に背を向けた。石段を降りる四人の足音だけが、朝の静寂に規則正しく重なっていった。
古代龍との面会から数日。宮殿別邸には、ガルネリア本店から巨大な衣装ケースが届けられていた。サツキ・ハートフィールドの、正式な「第三誓導者」としての新戦闘衣装である。
「お待たせいたしました、サツキ様。ガルネリアの英知を結集した傑作ですわ」
セリスが見守る中、サツキが鏡の前でその装いを整える。それはゼルハルト王国の武家装束を基調としながらも、リィナやセリスと同じく、アレンの「合理的要望」――関節の可動域の最大化と魔力排圧効率の向上を最優先した、極端に丈の短いミニスカートとハイニーソックスの組み合わせであった。窓から差し込む陽光が、新しい生地の淡い光沢を静かに照らし出している。
一億エルという天文学的な価格がつけられたその衣装は、最高純度の魔力織布で構成され、サツキの武人としての動きに一ミリの狂いも生じさせない。
「……すごい。軽い……! 鉄の重みを感じないのに、《三重魔導護膜》に近い密度を感じます。これなら、あの二十六階層のノイズの中でも、もっと速く、もっと鋭く動けます」
サツキは自身の脚のラインを晒す気恥ずかしさを、武人としての「機能性への驚愕」で無理やり上書きするように、その場で鋭いステップを踏んだ。衣擦れの音がほとんど鳴らないことに、彼女自身が一番驚いていた。
「よく似合っているぞ、サツキ。……その可動域なら、俺の死角を補うのに十分だ」
アレンの温度を欠いた、だが確かな信頼を含む言葉に、サツキの頬が朱に染まる。
「はい、アレン様。……私は、あなたの楔として、その地獄の半分を必ず守り抜きます」
二一九八年。理外の魔術師、世界最強の防御、天才の攻撃、そして伝説の武芸。完璧な円環を成した四人の鼓動は、三拍子のリズムとなってエルディアの大地へ、深く、静かに刻まれ始めていた。窓の外では、宮殿の庭園に降り積もった霜が、朝の光を受けてわずかに溶け始めている。新しい年の始まりを告げるその静けさの中に、次なる嵐の予兆はまだ、誰の目にも映っていなかった。




