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転移トラップによって見知らぬ大空洞へと放り出された翌日。
アレンとリィナは、手探りで迷宮の闇の中を進んでいた。
周囲を支配するのは、深層特有の湿り気を帯びた重い空気と、岩肌にへばりついた苔が放つ、神経を逆撫でするような青白い燐光だけだ。
「リィナ。……この辺りに潜んでいる魔獣、昨日戦ったやつと特徴が似ていないか?」
アレンが足を止め、長躯を屈めて倒伏した魔獣の残骸──砂となって消えゆくその輪郭を指し示した。
リィナが魔導ランタンの光を近づけ、その外殻の形状を鋭く観察する。
「ええ、間違いありません。この鋭利な突起と、結晶化した表皮……二七階層の固有種です」
(やはり、ここは二七階層なのか。だが、あの『違和感』は何だ?)
アレンは「理外の視界」を周囲に走らせ、数時間前の彷徨の足跡を脳内で逆再生した。
そして、ある一点──何の変哲もない平坦な石床を指差した。
「……見つけたぞ。昨日、俺たちが唐突に消えた場所だ」
リィナが慌てて「アーク・リンク」を操作し、マッピングデータを更新させる。
真っ白だった画面に、過去の歩行ログと現在地が糸のように繋がり、一つの残酷な真実を映し出した。
「あ……地図が、繋がりました! ……アレン様、信じられません。私たち、あのトラップを踏んだ瞬間、二七階層の大部分を飛び越えて、二八階層の手前まで飛ばされていたんです!」
リィナの驚愕に満ちた声が、空洞の壁に反響した。
昨日、アレンが階段の上で「初見だが手応えがない」と一蹴した巨獣。
それこそが、命懸けで攻略するはずの二七階層の守護獣だったのだ。
「……つまり、あのトラップのおかげで、階層を丸ごと一つ『スキップ』したってことか。存外、便利な代物だな」
「便利だなんて、そんな……! 普通なら、現在地を見失ってそのまま餓死か、魔獣に喰われるのがオチですよ!」
リィナが呆れたように溜息をつくのを余所に、アレンはトラップの発生地点の傍らに鎮座する、巨大な黒岩へと歩み寄った。
彼はそのまま、岩の表面に節くれだった大きな掌をそっと触れ、彫像のように動かなくなった。
アレンの《魔力直接操作》が、岩の深層にある魔術的な構造を透過する。
彼の視界の中では、岩はもはや物質ではなかった。
それは、世界という巨大な織物に穿たれた「穴」を固定するための、巨大な魔力の楔に見えていた。
(……ここだ。この岩の裏側を、魔力が奇妙な捻じれ方をして流れている。物理的な座標を無視し、空間そのものを無理やり折り畳んで繋ぎ止めている、不自然な継ぎ目……)
時間は、静かに、けれど濃密に過ぎていく。
アレンの脳内では、現代魔術の理論では記述不可能な膨大な幾何学的計算が、光速で処理されていた。
リィナがその背中に向けて恐る恐る言葉を投げかける。
「アレン様……? 何か、掴めたのですか?」
アレンはゆっくりと岩から手を離した。
振り返った彼の黒い瞳には、迷宮の闇を射抜くような、かつてなく鋭く確固たる光が宿っていた。
「……ああ。空間を繋ぎ止めるための『座標固定』のコツを掴んだ気がする」
アレンはリィナの小さな手を引き、力強い足取りで歩き出した。
「二七階層の安全地帯に戻ろう。……そこで、実験をしたい」
「実験……? まさか、本当に……」
「ああ。『ここ』へ戻ってくる実験だ。座標は、もう魂に刻んだ」
理外の男が放ったその宣言。
それは、迷宮という閉鎖空間における「距離」と「時間」の概念を根底から破壊する、前代未聞の挑戦だった。
リィナは背筋を走る震えを感じながらも、自身を導くその大きな背中を信じ、未知なる理への一歩を共に踏み出した。




