24-10
魔軌士No.30、カイル・ヴァン・ブラッドレイが屈辱にまみれて退場した闘技場に、地響きのような重い足音が響き渡った。石畳を踏みしめるその一歩ごとに、観客席の空気がわずかに震える。次に現れたのは、アグニス王国騎士団が誇る突破戦のエース、魔軌士No.26 ラグナス・イグナードである。
「カイルの奴め……四天王の中でも最弱とはいえ、無様に晒しおって」
ラグナスは真紅の「重装炎鎧」を軋ませ、右手の炎剣をアレンへと向けた。剣先から立ち昇る熱気が、周囲の空気を揺らめかせている。
「No.30の面汚しが……我を見ていろ! 突破戦なら我が四天王最強だ!!」
(……四天王。どこかの娯楽小説で聞いたような台詞だな)
アレン・ヴァルグレイは、内心でそんな感想を抱きながら、ショートソード《蒼断刃》
を無造作に構え直した。彼の漆黒の瞳は、敵意を燃やすラグナスではなく、その後ろで青ざめている誓導者カレンの魔力波長を冷徹に観察していた。
「往くぞ……ッ!!」
仕合開始の号令と同時に、ラグナスの姿が爆発的な紅い雷光と共に掻き消えた。雷属性を瞬間的な初速強化へ転換する、アグニス騎士団特有の機動剣術。闘技場の石畳がその踏み込みの衝撃で砕け、火花を散らしながら、ラグナスの炎剣がアレンの脳門へと一直線に振り下ろされる。
── ガキィィンッ!!
黒い刃が、紅い雷を纏った一撃を正面から受け止めた。
「……っ!? 我が雷速を、止めたというのか!?」
ラグナスの驚愕に、アレンは表情一つ変えずに応じる。
「雷の初速は悪くない。だが……動きが単調すぎる」
火花と雷光が乱舞し、超高速の剣戟が空気を激しく震わせる。観客の目には、二人の英雄が互角の実力で火花を散らす「神速の攻防」に見えていた。だが、特等席からその光景を見守るサツキ・ハートフィールドは、退屈そうに長く吐息を漏らした。
「……おそっ」
「サツキさん、あまり大きな声で言っては差し上げないでくださいな」
セリス・ヴァレンティアが、気品ある仕草でレイピアの柄を指先で叩いた。
「炎と雷の複合属性。一見すれば華やかですが、アレン様の視界ではただのノイズに過ぎませんわ。剣速の余裕が違いすぎますもの」
リィナもまた、淡い青色の瞳でアレンの魔力の揺らぎを追っていた。
「ええ。アレン様、完全に相手の“速度の上限”を見てるだけです。試合というより……ただの観察ですね」
その言葉を裏付けるように、ラグナスの攻勢は次第に焦燥へと染まっていった。どれほど雷を爆発させ、変幻自在の軌道を描こうとも、目の前の漆黒の騎士は一歩も退かず、最小限の剣筋ですべてを「置いて」いた。アレンは、ラグナスの剣速に正確に自分を合わせていたのである。額に汗一つ滲ませることなく、彼の動きだけが、闘技場の熱気とは無縁の静けさを保っていた。
「な、なぜ当たらんッ! 我が雷速が、ただの魔軌士に……っ!」
その時、ラグナスの背後で魔力循環を支えていた誓導者カレンが、ガタガタと膝を震わせ、石床に手をついた。
「……うそ。ラグナス様の魔力循環が……。触れてもいない相手の威圧感だけで、循環が詰まっていく……!」
彼女が感じていたのは、アレンが無意識に放つ、世界の理を書き換えるほどの巨大な「深淵」の重圧であった。ラグナスの炎は、燃え上がる前にその漆黒の虚無に吸い込まれ、窒息しかけていたのである。
「……終わりだ。上限は分かった」
アレンの声が、ラグナスの耳元で氷のように冷たく響いた。
一瞬。アレンが半歩、鋭く踏み込んだ。それはラグナスが誇る雷の初速さえも「鈍重」と感じさせるほどの、理外の加速。
──パァァァンッ!!
アダマンタイトの刃が、ラグナスの炎剣を力ずくで跳ね上げた。防御を強引にこじ開けられたラグナスの視界の中で、死神の鎌を思わせる黒い切っ先が、寸分の狂いもなくその喉元を捉えて静止した。
「…………が、あ……」
ラグナスの喉が、絶望に鳴った。自身の震える掌を見つめる彼の耳に、観客席の凍りついたような静寂が、弔鐘のように突き刺さる。
「……さっきより速いはずなのに、全部受け流されてるぞ」
「No.26の雷の初速が、壁に当たっているみたいだった……。アレン殿、まだ一段もギアを上げていないのか……?」
騎士たちの困惑の声が波紋のように広がる中、玉座に座るヴァルガン国王は、苦虫を噛み潰したような顔で鼻を鳴らした。
「さすがアレン殿じゃの。……ナンバー的にも先ほどとあまり変わらんし、No.26では無理か。相手に遊ばれていることにも気づかんとはな」
ラグナスは力なく炎剣を落とし、その場に崩れ落ちた。剣が石畳に転がる硬質な音が、静まり返った闘技場に虚しく響いた。アグニス騎士団きっての突破戦のエースとしての誇りが、たった一振りのショートソードによって、根底から斬り裂かれた瞬間であった。
アレンは静かに剣を鞘へ戻すと、感情の欠落した瞳で、騎士団長レオスが控える陣営へと視線を投げた。太陽の光が刃の残光を鈍く反射し、すぐに鞘の中へと消えていく。
「……次、誰だ?」
その平然とした問いかけが、武の国アグニスの自尊心を、カイルの時以上に冷酷に蹂躙していった。観客席のざわめきはもはや驚嘆を通り越し、言葉を失った者たちの重い沈黙へと変わりつつあった。誰もがその静寂の中で、自分たちが積み上げてきた「武」という概念そのものが、根底から覆されていく様を、ただ茫然と見つめるしかなかった。




