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ガルディア公国専用の大型魔導航空機は、高度一万メートルの蒼穹を、四基の魔導ターボファンエンジンが放つ静かな重低音とともに滑るように飛行していた。貴賓室の柔らかなソファに深く腰掛けたアレン・ヴァルグレイは、手元のアーク・リンクに映し出されたアグニス王国の電子資料から視線を上げ、窓外を流れる雲海を見つめた。純白の雲が果てしなく続き、時折その切れ目から遠く地上の輪郭が覗いている。
「……アグニスの『騎士国家』という区分だが、具体的にはどのような社会構造なんだ?」
アレンの問いに、隣に座るリィナが膝の上の端末を閉じ、穏やかな声で答えた。窓から差し込む光が、彼女の銀髪をわずかに柔らかく照らしている。
「簡単に言えば、魔術の才能よりも『個人の武勇』と『騎士道精神』が社会的な評価基準になっている国、という意味です。政治の仕組みは近代的ですが、精神性が非常にストイックなんですよ」
「血筋よりも実戦の功績ですわね。アグニス騎士団の階級が、そのまま爵位や行政的な特権に直結する完全実力主義の国ですの。魔術師よりも武人が高く評価される、エルディアでも珍しい風土を持っていますわ」
セリスがレイピアの飾緒を指先で弄びながら補足すると、アレンは「なるほど、魔術師より武人が上か」と短く応じ、再び視線を窓の外へ戻した。眼下に広がる雲の連なりが、光の加減で淡い金色に染まっている。
航空機が中央大陸北東部の領空に入ると、窓外の景色は劇的に変貌した。そこにあるのは、豊かな自然ではなく、空を灰色に塗りつぶす巨大な煙突群と、そこから吐き出される濃厚な煤煙の雲であった。地上には、鋼鉄とコンクリートで構成された巨大な重工業地帯がどこまでも広がっている。窓硝子に額を寄せたリィナが、思わず小さく息を呑む音が聞こえた。
──ズゥン、シュゥゥゥッ!! ズゥン、シュゥゥゥッ!!
航空機の遮音壁を突き抜けて響いてくるのは、大容量の電力を消費して規則正しく上下する、超大型ピストン式の電動鍛造プレス機が刻む地響きのような駆動音であった。巨大な製鉄所が幾つも並び、電力駆動の大型機械が火花を散らすその光景は、武と工業が完全に合致したアグニス王国の心音そのものであった。振動が座席の背もたれを通じてかすかに伝わってくるほどの重厚さに、サツキの表情にも緊張の色が滲んだ。
アグナード国際空港に着陸した一行を待っていたのは、赤と金を基調とした最新型の魔導装甲車と、整列した重武装の儀仗隊であった。舗装された道路を軍用車両が走り抜け、建物の壁面には武器の生産ログを表示するホログラムディスプレイが踊る王都アグナードを通り、一行は鉄の要塞とも言うべきアグニス王宮へと案内された。車窓を流れる街並みには、緑地よりも金属質の輝きが目立ち、通りを行き交う人々の足取りにも軍事国家特有の規律めいた速さがあった。
引見用の広間で待ち構えていたのは、国王ヴァルガン・アグニスであった。六十歳とは思えぬ筋骨逞しい体躯を、魔導織布の重厚な礼装に包んだ王は、玉座から力強い足取りで歩み寄ってきた。広間の高い天井には、炎属性の紋章が刻まれた重厚な梁が幾筋も走り、王の一歩一歩が石床に確かな重みを刻んでいた。
「アレン殿、遠路はるばる感謝する。……我が国の魔軌士No.30カイルという若造が、貴殿に対して不当な無礼を働いた。国を代表して謝罪しよう」
国王は真摯に頭を下げたが、アレンの漆黒の瞳は、王の背後に控える騎士団長ヴァルド・グラディオンと、空席のままの椅子を冷徹に捉えていた。整然と並んだ玉座周りの調度品の中で、その一つだけがぽっかりと違和感を放っている。アレンは無表情を保ったまま、内心で毒づいた。
(……親書には『No.30による独断決闘に対する謝罪』とあったはずだが。当の本人がこの場に居ないとはな)
「是非とも王宮に宿泊してほしい。今晩は小規模だが晩餐会も用意してある」
アグニスにおいて、客人を王宮に泊めることは「最大級の敬意」を意味する。アレンは王の誠実な態度を受け入れ、宿泊を承諾した。国王の朗らかな笑みの奥に、一片の悪意も見当たらないことを、アレンは静かに見極めていた。
国王ヴァルガンは、親愛の情を込めて一行を貴賓区画へと案内させた。廊下には赤と金の絨毯が敷き詰められ、壁面には歴代騎士団長の肖像画が等間隔に飾られている。その一枚一枚が、この国が「武」に注いできた執念の重みを物語っているようだった。
用意された貴賓室の各扉の前には、若く端正な顔立ちのメイドたちが整列し、深々と頭を下げていた。
「アレン様、どうぞ。お疲れを癒やすため、最高級の茶葉と設備を用意いたしました」
メイドたちが柔和な笑みを浮かべて扉を開ける。その瞬間、アレンの背後にいたリィナとセリスの視線が、同時に鋭く研ぎ澄まされた。
(セリス、メイドさんたちの配置……アレン様の部屋の周りだけ、やけに密度が高いです)
(ええ、分かっていますわ、リィナ。魔力波長を隠しきれていませんわね。純粋な接待を装った『ハニートラップ注意報』が発令中ですわ)
二人の誓導者は、アレンを誘惑から守るべく、即座に周囲の魔力動態を走査し、見えない火花を散らした。互いの視線だけで交わされるその無言のやり取りに、長年の連携が滲んでいた。
一方、サツキ・ハートフィールドは、贅を尽くした部屋の調度品と、自分たちに向けられる過剰なまでの「もてなし」の視線に、武人としての違和感を覚え、薙刀の石突を握る手に僅かな力を込めた。廊下に並ぶメイドたちの微笑みの奥に、彼女は何か計算された気配を感じ取っていた。
アレンは彼女たちの緊張をよそに、窓の外で火の粉と煤煙を吐き出し続ける煙突群を眺め、独り言のように呟いた。
「……随分と、騒々しい街だな」
その一言は、規則正しいピストン音を響かせ続ける「武の国」への、最初にして最大の嫌味であった。窓の外では、夕暮れに差し掛かった空を、幾筋もの煤煙が長く尾を引くように染めていた。遠くの製鉄所からは、絶え間ない駆動音が変わらぬ調子で響き続け、王都全体がまるで巨大な鉄の生き物であるかのような重い呼吸を刻んでいた。




