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翌日、ガルディア公国の首都ガルディアスは、穏やかな晩秋の陽光に包まれていた。青く澄み渡った空の下、大通りを行き交う無人タクシーの列が、規則正しい駆動音を響かせながら滑るように走り抜けていく。アレン・ヴァルグレイは、三人の誓導者を伴い、首都でも最高級の宝飾店が軒を連ねる中央貴族街へと足を運んでいた。
石畳の道には、磨き上げられた大理石の店構えが等間隔に並び、どの窓辺にも王族御用達を思わせる誇り高い意匠が施されている。行き交う貴族たちの視線が、時折アレンたちの一団に向けられては、慌てて逸れていった。
「……ここか」
アレンが足を止めたのは、一際重厚な白大理石の店構えを持つ老舗宝飾店『エセルガルド』の前だった。普段、迷宮の深層で魔獣を屠るアレンには似つかわしくない場所だが、今日の目的はサツキ・ハートフィールド用の「共鳴指輪」のベースとなる指輪を購入することであった。約一年前、リィナとセリスの指輪を買った、まさにその店である。
「アレン様、本当に……よろしいのですか? 私のような新参者が、このような高価なものを……」
サツキは店内に並ぶ数千万エルを下らない値札の数々を目にし、茶系のポニーテールを揺らしながら困惑の声を上げた。ガラスケースの奥、埋没型の宝石が魔導照明を受けて幾筋もの光を放っている。先日、年収五千億エルという破格の契約を提示されたばかりだが、武家育ちの彼女にとって、装飾品にこれほどの資産を投じる感覚は未だに理解の範疇を超えていた。指先が無意識のうちに、いつもの薙刀の柄を探すように動いては、そこに何もないことに気づいて止まる。
「サツキさん、これは単なる飾りではありませんわ。私たちとアレン様を繋ぐ、命綱のようなものですの」
金の髪をなびかせ、セリス・ヴァレンティアが慣れた足取りでショーケースへと歩み寄る。その所作には、辺境伯令嬢としての洗練と、誓導者としての確信が同居していた。
「そうです。アレン様の『共鳴用魔術』を定着させるには、最高純度の白金と、魔力伝導率に優れた貴金属が必須なんです。私やセリスさんの指輪も、同じようにアレン様が用意してくださったものなんですよ」
リィナが優しく微笑み、自身の左手に嵌められた銀色に輝く指輪を見せた。淡い光を纏うその環は、彼女の細い指に馴染み、まるで最初からそこにあったかのように自然な輝きを放っている。
店員が「魔軌士局直轄特務官No.0」であるアレンの姿を認めるなり、緊張の面持ちで奥へと下がり、まもなく最高級のトレイを恭しく運んできた。天鵞絨の上に並べられたのは、装飾こそ控えめだが、魔導工学的に極めて純度の高い貴金属の環であった。トレイに反射する照明の光が、店内の静けさをより際立たせている。
アレンは無造作にトレイの上を一瞥すると、迷いなく一つの指輪を指差した。
「これにしろ。……リィナ、セリス、お前たちの指輪と意匠を揃えてある」
それは、リィナとセリスが持つものと同じく、石が埋没型のリングではあるが、三連の円環が重なり合うような、三つの「楔」が囲むデザインだった。細やかな彫刻の一つ一つが、光を受けて微かに煌めいている。
「……っ」
サツキの心臓が、ドクンと跳ねた。アレンが選んだのは、単に伝導率が良いからではない。「お前もリィナやセリスと同じく、俺の『器』だ(誰にも渡さない)」という無言の独占欲を、その冷徹な眼差しの奥に感じ取ってしまったからだ。頬の熱が、抑えようもなく耳の先まで広がっていく。
店員が指輪を取り出し、サツキの左手を取ろうとしたが、セリスがそれを手で制した。
「わたくしたちのルールですわ。サツキさん、指を出して」
「は、はい……」
サツキがおずおずと差し出したのは、左手の薬指であった。店内の静寂の中、彼女の呼吸がわずかに浅くなっているのが、隣に立つリィナにも伝わってきた。
「……サツキさん、知っていますか? ガルディアでは、左手薬指に指輪を嵌めるのは……婚姻と同格の誓約を結んだ証とされているんです」
リィナの囁くような言葉に、サツキの顔が耳の先まで真っ赤に沸騰した。魔力循環誓約が婚姻と同格であることは知識として知っていたが、こうして物理的な「形」として指輪を嵌められることは、武人としての契約を超え、一人の女性として人生の全てをアレンに預けることを意味していた。
「こ、婚姻……。……はい。……分かっております」
サツキは震える指先に、ひんやりとした金属の感触を受け入れた。指のサイズは、アレンが事前に視覚解析していたのか、驚くほど完璧にフィットした。その瞬間、まだ術式は刻まれていないはずなのに、指輪を通じてアレンの漆黒の魔力圧が自身の魂へと直結したような、甘美な錯覚に襲われた。指先から肘の内側にかけて、微かな痺れにも似た熱が這い上がってくる。
アレンは、頬を赤らめて指輪を見つめるサツキからわざとらしく視線を逸らしたが、その口角は僅かに、本当に数ミリだけ上がっていた。それを見逃さなかったリィナが、隣のセリスへと視線をやり、二人でひっそりと微笑み合った。
指輪の購入を終えた一行は、そのまま首都の中心部に建つ、一際優美な石造りの建物へと向かった。世界中の魔軌士や王族が列を成す、魔術衣装の総本山。ガルネリア本店である。石畳の街並みを歩く四人の姿に、道行く人々が思わず足を止め、遠巻きに視線を送っていた。
「アレン様、お待ちしておりましたわ。……あら、新しく『三番目の楔』を迎え入れられたのですね」
オーナー兼デザイナー、レティシア・ガルネリアが優雅な所作で四人を迎えた。彼女はアレンの纏う「理外の魔力」を、畏怖ではなく、デザイナーとしての最高の素材として見つめていた。その瞳には、職人としての貪欲な好奇心が静かに燃えている。
今回の目的は、サツキの正式な誓導者装備の新調である。工房の奥から運ばれてきた生地見本には、光沢を放つ魔力織布が幾種類も並べられ、部屋には微かな染料と魔力の匂いが漂っていた。
サツキは当初、故郷ゼルハルトの武家装束に近い、動きやすい袴のようなデザインを希望していた。だが、リィナとセリスが提示した基本仕様は、彼女を絶句させた。
「……えっ。……ミニ、スカート、ですか?」
サツキが愕然として問い返す。提示されたデザイン画には、リィナやセリスと同じく、極端に丈の短いプリーツスカートと、ハイニーソックスの組み合わせが描かれていた。淡い紺と銀を基調とした意匠は、洗練されてはいるものの、彼女の想像していたものとはあまりにもかけ離れていた。
「サツキさん。これはアレン様の隣に立つための、『合理的な戦闘服』なのですわ」
セリスが、かつてアレンが口にした理屈をそのまま引用して説得を始める。
「深層迷宮での高速戦闘において、布のたわみは死を招くノイズに過ぎません。関節の可動域を最大化し、かつアレン様の膨大な魔力圧を逃がすための緊急排圧弁として、この長さが必要なのですわ」
リィナも、真剣な表情で頷いた。
「激しい動きを妨げないこと。そして、魔力循環の熱を効率よく逃がすこと。……それが、アレン様の命を守ることに直結するんです」
武人としての合理性を説かれ、サツキは真っ赤になりながらも、その言葉に従うしかなかった。デザイン画の上を撫でる自分の指先が、他人のもののように感じられた。
「……アレン、様。本当に……この格好で戦わなければならないのですか?」
サツキの縋るような視線に対し、アレンは店の外を眺めたまま、温度を欠いた声で断じた。
「……言ったはずだ。脚の可動域と放熱効率を最優先しろ、とな。お前の『武』を最大限に発揮させるには、それが最も効率的だ」
事務的な、あまりにも事務的な回答。だが、リィナの淡い青色の瞳は逃さなかった。デザインを決定する際、アレンの視線がサツキの引き締まった脚のラインを測るように、微かに、けれど確実に止まっていたことを。窓の外を流れる雲を追う彼の瞳には、いつもより僅かに長く、そこに留まる気配があった。
「……アレン様、嬉しいんですね。……もっともらしい理屈を並べて」
リィナがアレンにだけ聞こえる小声で囁くと、最強の「No.0」は無言のまま、わざとらしく視線を窓外の雲へと流した。その仕草に、セリスが扇の陰でくすりと笑いを漏らす。
ガルディアの夕暮れ時。新たな「楔」を包むための、最高純度の魔力織布が工房で選定され、サツキの左手薬指には、まだ魔術が刻まれていない指輪が、鈍い光を放ちながら彼女の運命を繋ぎ止めていた。工房の窓から差し込む茜色の光が、指輪の縁を淡く縁取っている。
「これからは……私も、この方の一部として歩むのだ」
サツキは、指先に残る金属の重みを噛み締め、これから訪れるであろう激動の予感に、静かに身を震わせた。工房の奥では、織布を検分するレティシアの声と、それに応じるセリスの落ち着いた返答が続いている。その穏やかな喧騒の中で、サツキはただ、自分の左手に嵌まった指輪の冷たさが、少しずつ体温に馴染んでいくのを、確かに感じ続けていた。




