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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第23章:氷雪の誓願

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23-10

ガルディアス国際空港の滑走路を、夕暮れの琥珀色の光が濡らしていた。ノルディアの凍てつく白銀とは対照的な、西大陸の穏やかで湿り気を帯びた潮風が、タラップを降りるアレン・ヴァルグレイたちの頬を撫でる。大型魔導航空機のエンジンが静かにその咆哮を止め、周囲には平穏な日常の音が戻りつつあった。遠くで滑走路の誘導灯が点滅を始め、いつもと変わらぬ公国の夕刻が、静かに四人を迎え入れていた。


アレンは漆黒のコートの襟を正し、隣を歩くサツキに視線を投げた。


「……ようやく戻ったな。サツキ、顔色は悪くないようだが」


「はい。アレン様。……不思議なほど、体が軽く感じられます」


サツキ・ハートフィールドは、澄んだ茶色の瞳で微笑み返した。彼女の背負う薙刀《朧月おぼろづき》の石突が、アスファルトを規則正しく叩く。その足取りには、これまで彼女を縛り付けていた迷いも、置いていかれることへの焦燥も、もはや微塵も存在しなかった。夕陽を浴びた彼女の横顔には、これまでにない落ち着きが宿っていた。


宮殿へと向かう黒塗りの装甲車内では、リィナとセリスが既に「今後の予定」について活発な議論を交わしていた。


「サツキさんの部屋のカーテン、もう少し明るい色に変えましょうか?」


「そうですわね、リィナ。ヴァレンティア家から最高級の魔導織布をいくつか取り寄せさせますわ。サツキさんの魔力特性に合わせた配色を考えなくては」


賑やかな二人の様子に、サツキは気恥ずかしそうに頬を染めながらも、その温かな空気の中に自分が含まれているという事実に、深い安らぎを覚えていた。車窓の外を流れる公国の街並みが、夕暮れの光の中で穏やかに彩られていく。行き交う人々の営みが、遠いノルディアの緊張とはまるで違う、平和な日常の証として彼女の目に映った。


宮殿の公女王執務室。扉が開くと、エリシア・ヴァルステイン・ガルディアが窓際からゆっくりと振り返った。その青い瞳には、一国の元首としての冷徹な政治的評価と、それ以上に、無事に帰還した仲間たちへの深い安堵が宿っていた。窓から差し込む夕陽が、彼女の淡い金の髪を柔らかく照らしていた。


「お疲れ様でした。アレン殿。……そして、サツキ殿。よくぞ、ノルディアの未来を、そして我がガルディアの矜持を守り抜いてくれました」


エリシアは机に両手を突き、僅かに身を乗り出した。その視線は、アレンの後ろに控えるリィナ、セリス、そしてサツキの三人を一人ずつ、丁寧に射抜く。


「政治家としての本音を言わせてください。あなたたち四人が一つの円環となった今、エルディア大陸の外交地図は根底から塗り替わりました」


エリシアの言葉は、単なる称賛ではなかった。それは、アレンという「天災」を制御し、運用する完璧な『器』が揃ったことで、ガルディア公国が他国の追随を許さない絶対的な戦略的優位に立ったことを告げる号令でもあった。彼女の声には、政治家としての確信と、それを支える者たちへの敬意が同時に込められていた。


「サツキ殿。貴女の『武』は、アレン殿の理外の力を補うための、最後にして最重要の欠片でした。公女王として、そして一人の女性として、心から感謝します」


サツキは静かに膝を突き、頭を垂れた。石床に膝が触れる冷たさすら、今の彼女には清々しいものに感じられた。


「……勿体なきお言葉です。私はただ、アレン様の楔となる道を選んだに過ぎません。陛下の御代を、この命に代えてもお守りいたします」


「いいえ。命を懸けるのはおよしなさい。アレン殿が許さないでしょう?」


エリシアの悪戯っぽい微笑に、執務室の緊張がふわりと解けた。アレンは僅かに眉を動かし、否定も肯定もしないまま、視線を窓の外へと逸らした。その反応に、リィナとセリスが小さく笑みを交わした。


数時間後、夜の静寂が宮殿別邸を包んでいた。サツキは自室のデスクに座り、最新型の『アーク・リンク』を手に取っていた。端末の画面には、魔軌士局から正式に受理された『第三誓導者』の登録完了通知が輝いている。窓の外には、公国の穏やかな夜景が広がり、遠くに見える灯りの一つ一つが、ノルディアの雪原とはまるで違う、平和な生活の証のように瞬いていた。


サツキは震える指先を端末の感応核に触れさせた。


「……魔力署名マナ・シグネチャー、最終登録」


その瞬間だった。サツキの細い魔力回路に、言葉では言い表せないほどの熱い奔流が駆け抜けた。それはノルディアの吹雪を溶かした、あの夜のアレンの手の熱さと同じ──。アレンの漆黒の魔力波長が、自身の魂の最深部に「楔」として打ち込まれ、二人の魔力が一つの大きな循環ループへと接続された確かな実感が、彼女の意識を支配する。


端末の画面に浮かぶ登録完了の文字を、彼女は何度も指でなぞった。誓環学院で武技のみが突出していると評された日々、誰にも理解されぬまま研鑽を続けたあの孤独な時間の全てが、この一瞬に繋がっていたのだと、静かな感慨と共に噛み締めていた。


(……ああ。私は、本当の意味で、あの方の一部になったんだ)


魔術が平均的であることに悩み、境界線の外側で涙を流していた女性は、もうどこにもいない。サツキは、アレン・ヴァルグレイと共に地獄を歩み、その半分を背負い続けるための、鋼のように硬い覚悟を胸に刻んだ。



深夜の宮殿別邸。アレンは独り、バルコニーで夜風に吹かれていた。背後のリビングからは、リィナがサツキに「別邸での洗濯物の出し方」を丁寧に教えている声や、セリスが「サツキさん、夜食に特製のパイを焼きましてよ」と誇らしげに告げる気配が伝わってくる。夜風に混じって漂う焼き菓子の甘い香りが、これまでの緊張とはまるで無縁の、穏やかな日常の匂いを運んできた。


アレンは自身の胸元に手を当てた。内側の魔力回路は、かつてないほどに凪いでいた。リィナの防御、セリスの増幅、そしてサツキの安定。三つの楔が、彼の理外の魔力を完璧な黄金比の円環として繋ぎ止めている。孤独な太陽は、今や安定した恒星へと変貌していた。


アレンは遠い空を見つめた。脳裏には、サツキに告げたあの日の言葉が蘇る。


(……サツキ。地獄を半分預ける、と言ったが)


この「完璧な円環」となった四人の絆があれば。


「……地獄の底を更地にするのも、容易そうだな」


アレンの唇に、自嘲気味な、けれどこれまでで最も深く、揺るぎない満足を湛えた笑みが浮かんだ。夜空に瞬く星の光が、彼の横顔をわずかに照らしていた。


最強の魔軌士と、彼を支える三つの楔。間もなく訪れるであろう時代の嵐を前に、その力は静かに、そして誰にも壊せぬほど鋭く研ぎ澄まされていた。バルコニーの下、宮殿の庭園では夜露を纏った木々が微かに揺れ、遠く別邸の窓からは、変わらぬ温かな灯りが夜の闇の中に静かに灯り続けていた。


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