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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第23章:氷雪の誓願

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ガルディア公国への帰路。高度一万メートルを飛行する大型魔導航空機の貴賓室は、エンジンの微かな振動と、ノルディアの吹雪が嘘のような静寂に包まれていた。窓の外に広がる蒼穹は、どこまでも澄み渡り、地平線の先には公国の穏やかな海が顔を覗かせ始めている。数刻前まで身を切るような極寒の中にいたことが、まるで遠い夢であったかのように感じられるほどの、穏やかな飛行だった。


「……ふぅ」


ソファに深く腰掛けたサツキ・ハートフィールドは、自身のてのひらをじっと見つめていた。魔力循環誓約オース──その余韻は、彼女の想像を遥かに超えて劇的であった。これまで「武人としての研鑽」のみで戦ってきた彼女の細い魔力回路には、今、アレンという名の巨大な恒星から分かたれた「理外の熱量」が、穏やかな奔流となって流れ込み続けている。指先に触れる空気の温度すら、以前とは違って感じられた。


平均的であった彼女の魔力量は、誓約を経て爆発的に増大していた。その影響は、彼女の武人としての鋭さを損なうどころか、枯れていた大地に水が満ちるような瑞々しい生気となって現れている。疲弊していた肌には艶が戻り、深い茶色の瞳には、アレンの漆黒とは対照的な、澄んだ琥珀色の光が宿っていた。


「サツキさん。お体、お辛くはありませんか?」


銀髪を揺らしながら、リィナがそっと歩み寄った。彼女の手には、湯気を立てるハーブティーのカップが乗ったトレイがある。窓から差し込む陽光が、彼女の銀色の髪をわずかに輝かせていた。


「アレン様の魔力は……その、少し強引なところがありますから。私やセリスでも、最初は体が熱くなって驚いたくらいなんです」


リィナは少し恥じらうように頬を染めながらも、新たな「家族」となったサツキを真剣に気遣う。かつて、この温かな輪の外側で疎外感に震えていたサツキにとって、リィナの差し出すカップの温かさは、何よりも代えがたい救いだった。


「リィナさん……。ありがとうございます。大丈夫です、少しだけ、胸の奥が熱い気がしますが……嫌な感じではありません」


サツキは丁寧にカップを受け取り、一口含んだ。爽やかなハーブの香りが、戦いの高揚を静かに解かしていく。カップを持つ手の感触が、まだどこか他人事のように新鮮に感じられた。


「当然ですわ。サツキさん、あの雪原で弾丸を薙ぎ払った槍捌き……、そしてロケット弾を真っ二つにした武技、実に見事でしたわ」


窓際で愛用のレイピアを丹念に磨いていたセリスが、顔を上げずに言った。凛とした令嬢言葉の中に、隠しきれない敬意が混じる。磨き上げられた刃が、窓から差し込む光を反射して淡く煌めいていた。


「ヴァレンティア辺境伯家の誇る精鋭騎士であっても、魔術に頼らずあそこまでの精密防御を成し遂げることは不可能ですわね。……三番目の誓導者が、確かな『武』を持つ貴女で、わたくしは心から安心いたしましたわ」


セリスはレイピアを鞘に収めると、サツキに向けて微かな、けれど確かな信頼の微笑を浮かべた。それは、同じ男を支える「器」として、彼女を対等な仲間として認めた最大の歓迎であった。


「…………」


サツキは、胸の奥がカッと熱くなるのを感じた。それは魔力の流入による生理的な反応ではない。年下の二人から「さん」付けで慕われ、拒絶されていたアレンの隣に立つための「資格」を得て、受け入れられたという、魂の震えであった。かつて別邸の廊下で一人涙を流したあの夜の疎外感は、今、蒼穹の彼方へと霧散していた。


彼女はカップを膝の上に置き、視線を落とした。頬に触れる指先が、自分でも気づかぬうちに温かくなっていることに気づく。誓環学院の頃から積み重ねてきた孤独な鍛錬の日々、誰にも理解されない焦燥、そのすべてが、この瞬間のために積み重ねられていたのだと、ようやく実感できた気がした。


アレン・ヴァルグレイは、三人の対話を離れた席から黙って見つめていた。その漆黒の瞳は、これまでにないほど穏やかに凪いでいる。窓の外を流れる雲の影が、彼の横顔に淡い陰影を落としていた。


(……ああ。ようやく、静かになった)


アレンは自身の胸元に手を当て、内側の魔力回路の質感を確かめる。ここ数ヶ月、アレンを絶え間なくさいなみ続けてきたのは、指数関数的に増大し続ける魔力による「内側からの焼却」であった。リィナという「盾」が彼を繋ぎ止め、セリスという「剣」がその出力を導いていたが、それでもなお、彼の本質である「ゼロ」の力は、制御不能な熱となって彼の精神を磨り潰し続けていた。それは常に、自分の内側で猛り狂う獣を、薄氷の上で抑え込んでいるような、極限の焦燥と激痛の日々であった。


だが、今。サツキという「安定アンカー」を三つ目の楔として得たことで、その地獄は劇的に変質した。


アレンの感覚の中で、リィナの放つ「慈愛に満ちた守護の光」と、セリスの放つ「峻烈な増幅の火」が、サツキという「鋼のような安定した生命エネルギー」によって完璧に冷却され、調律されている。


これまで、内側から肺を焼き、神経を一本ずつ引き抜くようだった苛烈な熱量は、サツキという重石アンカーを得たことで、静かな、そして心地よい重みを伴う循環へと変わっていた。それは、リィナの防御、セリスの増幅、そしてサツキの安定がアレンの中心で一つに溶け合い、一つの完璧な『魔力の小宇宙マイクロコスモス』を形成している感覚だった。


アレンは静かに目を閉じる。視界の裏側で、荒れ狂っていた漆黒の嵐が消え去り、そこには規則正しく、力強い拍動が刻まれていた。目を閉じたまま、彼はしばらくその感覚に身を委ねていた。これほどまでに穏やかな内側の静寂を、彼はいつ以来味わっただろうか。


(……安定している。まるで、心臓の鼓動が三拍子になったようだ)


リィナ(一)、セリス(二)、サツキ(三)。三人の魂がアレンの鼓動に寄り添い、共に刻むそのリズムは、孤独な「天災」として生きてきた彼が、人生で初めて手に入れた「安寧」という名の救済であった。


不器用な拒絶を繰り返し、他者を遠ざけることで守ろうとしてきたアレン。だが、自分一人では決して辿り着けなかった「英雄」としての完成図が、今、三人の女性たちの献身によって描き出されている。


アレンは、再び漆黒の瞳を開いた。視線の先では、リィナとセリスがサツキに「別邸でのアレン様の扱い方」について、楽しげに、けれど真剣にレクチャーを始めていた。


「アレン様は放っておくとすぐに無理をなさいますから、サツキさんも遠慮なく叱ってあげてくださいね?」


「そうですわね。特に『自己犠牲』という名の病については、三人がかりで治療する必要がありますわ」


三人の笑い声が、航空機の静かなエンジン音に重なる。サツキはくすぐったそうに肩をすくめながらも、その輪の中に確かに自分が含まれていることを、何度も胸の中で確かめていた。


アレンは、自身の左腰に添えられた《白緋しらひ》を軽く確かめ、窓の外を見つめた。刃の重みが、これまでとは違う穏やかさで彼の腰に馴染んでいた。最強の魔軌士と、彼を繋ぎ止める三つの楔。完璧な円環となった四人の絆は、高度一万メートルの静寂の中で、かつてないほどに深く、静かに結ばれようとしていた。


窓の外を流れる雲海は、どこまでも果てなく続き、その向こうにガルディア公国の海岸線がゆっくりとその姿を現し始めていた。四人を乗せた航空機は、静かに、しかし確かな軌跡を描きながら、帰るべき場所へと進んでいく。


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