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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第23章:氷雪の誓願

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23-5

王都ノルドヘイムを出発して数時間、視察団は魔石発電所を目指していた。視界を埋め尽くしていたのは、空と地の境界さえ曖昧にするほどに荒れ狂う銀世界の平原であった。地平線まで続く白一色の景色は、方角の感覚すら奪い去っていくようで、道路脇に立つ標識の柱だけが、辛うじて人の営みの痕跡を伝えていた。ノルディア北部特有の、針を刺すような峻烈な極低温が、公女王エリシアを乗せた装甲魔導車の防魔ガラスを白く曇らせる。コンボイの先頭を行く護衛車両の車輪が雪を跳ね上げ、唸りを上げる魔導エンジンの駆動音だけが、不気味な静寂を切り裂いていた。


その沈黙が、文字通り「物理的」な暴力によって粉砕されたのは、一行が切り立った断崖の合間を抜ける一本道に差し掛かった瞬間だった。


──ッ、カカカカカッ!!


乾いた金属音が雪原に反響し、アレン・ヴァルグレイの乗る二番車の側面に激しい火花が散った。装甲板を叩く衝撃音が、断崖の岩肌にこだまして幾重にも重なる。


「アンブッシュ(伏兵)か!?」


アレンが叫ぶのと同時に、装甲板がひしゃげる重苦しい衝撃が車内に伝わる。降り注いでいるのは、アレンがこれまで対峙してきた、まどろっこしい詠唱や術式を伴う魔術ではない。火薬の爆発エネルギーを指向性へと変え、重力と空気抵抗を力任せにねじ伏せて飛来する鉛の塊──魔力反応ゼロの、純粋な“物理兵器”による掃射であった。


「リィナ、結界を! セリス、反撃を許可する!」


「はい、アレン様! 《空間隔絶結界スペース・セパレーション》!!」


リィナが即座にショートロッドを振り、青白い光の膜が車列を包み込む。膜が展開される瞬間、車内の空気が一瞬張り詰め、外の轟音がわずかに遠のいた。だが、同時に車内の魔導コンソールから、耳をつんざくような警告音が鳴り響いた。


「ダメですわ……! 外気に『魔力攪乱粉末』が散布されています! 術式の座標固定が……弾かれますわ!」


セリスが窓からレイピアを突き出し、《爆炎砲フレア・キャノン》を放とうとしたが、その火球は数メートル先で不自然に霧散し、雪原を無意味に焦がすに留まった。放たれた炎が虚しく白い煙となって舞い、風に流されて消えていく。


アレンは舌打ちし、長身を屈めて天窓を蹴り開けると、荒れ狂う吹雪の中へと躍り出た。走行する装甲車の屋根の上、漆黒のコートが強風に激しくたなびく。頬を切るような冷気が、瞬時に肌を痺れさせた。彼は漆黒の瞳を凝らし、五百度を超える熱源探知ではなく、純粋な視覚によって岩陰に潜む狙撃兵を捉えた。


「《光束魔術ビーム・アーツ》──」


指先を向けた。だが、トリガーを引く直前で、アレンの手が止まった。


視界を覆う白い闇の中に、無数に漂う銀色の粉末。それが魔術の直進性を歪め、精密な自動照準を完全に無効化していた。手動操作での一撃なら放てる。だが、眼下の雪原道路は、ノルディア全土の電力を支える巨大な魔石送電線が埋設された、この国の生命線だ。


(ここで俺が本気で撃てば、この一帯の地形ごと道路が消失する。そうなればノルディアの民が凍死する……。かといって、出力を絞れば粉末に干渉され、背後のエリシアの車両を誤射するリスクが跳ね上がる……!)


──キンッ、キィィィィィィィィィン!!


重機関銃から放たれる数千発の鉛弾が、リィナの維持する《空間隔絶結界スペース・セパレーション》を叩く。結界の強度は十分だった。だが、そこに魔術的な法則は介在していない。ただの「質量の衝突」という稚拙な攻撃が、絶え間ない圧力となってリィナの精神をじわじわと磨り潰していく。結界の膜が弾丸を受けるたびに、ガラス細工のような硬質な音が幾度も響き、リィナの額には玉のような汗が浮かんでいた。


(……滑稽だな。帝都で黒鋼派の首脳を指先一つで蒸発させた俺が……魔術ですらない、こんな原始的で、あまりにも稚拙な『ただの鉄の塊』に、手を縛られているのか)


アレンの胸中に、重い虚無感と焦燥がのしかかる。彼の《魔術消去ディスペル・アーツ》は、理(魔術式)を無に還す絶対の権能だ。だが、目の前を飛び交う弾丸には、消去すべき術式が存在しない。それは世界の理を介さぬ、あまりにも無機質で、それゆえにアレンという「天災」が介在する余地のない、剥き出しの暴力であった。


全能ゆえの無力。事象を修正し、理を破壊してきた己の力が、ただ飛来する物理的な実体つぶてを前にして、これほどまでに頼りなく感じられるとは。屋根の上で膝を軽く曲げ、風を受けながら、アレンは自身の掌をわずかに見下ろした。その掌には、これまで幾多の敵を消し去ってきた確かな実感があるはずだった。だが今、それが一切の意味を成さない。


その時、岩陰から新たな、そして決定的な死神が鎌を振り上げた。反ガルディア強硬派の兵士が肩に担いだロケットランチャーが、不吉な噴炎を上げる。


「ロケット弾、来ますわ!!」


セリスの叫び。攪乱粉末のせいで迎撃魔術が間に合わない。アレンは右腰のアドマンタイト製ショートソードに手をかけたが、即座に悟った。自分が斬ったところで、弾頭の衝撃は爆風となって背後の公女王エリシアを、そして魔力過負荷でふらつくリィナを飲み込む。


その絶望を、一振りの銀閃が切り裂いた。


「──お任せください、アレン様」


低い、静寂を湛えた声。アレンの視界を、巫女服を改造したような戦闘服の裾が翻り、一七二センチのしなやかな肢体が屋根の上へと跳躍した。


サツキ・ハートフィールド。彼女は、アレンたちが頼りにしてきた魔力感知を、この瞬間に完全に切り捨てていた。


「はぁぁぁッ!!」


サツキが家伝の薙刀《朧月おぼろづき》を旋回させる。それは、魔術理論などという言葉が届かぬ場所で練り上げられた、武の極致。飛来する重機関銃の弾丸が、サツキの振るう薙刀の「面」に接触し、火花を散らして物理的に叩き落とされていく。一秒間に数十発という鉛の雨。それをサツキは、超人的な反射神経と、長年の鍛錬によって「見える」領域へと引きずり込んでいた。薙刀の刃が空を切るたびに、鋭い金属音と共に無数の火花が雪原に散り、彼女の周囲だけが小さな星屑の渦のように輝いた。


「な……ッ!?」


アレンは、その光景に戦慄を覚えた。サツキの身体からは、アレンやセリスのような禍々しい魔力圧は感じられない。ただ、鋼のように安定した、凛とした生命エネルギーだけがそこにある。彼女にとって、《朧月おぼろづき》は魔力を集束させるための「杖」ではない。自分を構成する骨であり、肉であり、弾丸という実体を叩き割るための「鋼」そのものなのだ。


そして、迫り来るロケット弾。弾頭が尾を引き、アレンの鼻先をかすめようとしたその瞬間、サツキが一歩、踏み込んだ。踏み込んだ足元の雪が高く舞い上がり、白い飛沫となって彼女の背後に弧を描いた。


「武技──《月下・一閃ムーンリット・フラッシュ》!!」


薙刀の刃が、月光を宿したような鋭い弧を描く。物理的な衝突音が雪原に響いた。サツキの刃は、音速を超えて飛来するロケット弾の弾頭を、寸分の狂いもなく、まさに「薄紙を剥ぐように」真っ二つに両断した。


内部の信管が作動するよりも速く、物理的な切断が火薬の構造を破壊する。「パァァン!」という乾いた破裂音と共に、無力化された弾薬がサツキの背後で虚しく雪を散らし、爆発の余波はすべてサツキの「武の壁」によって左右へといなされた。エリシアの乗る装甲車には、一欠片の煤さえ届かない。


サツキは、ふぅと短く息を吐き、薙刀を中段に構え直した。息を吐いた瞬間、白い呼気が凍える空気に混じり、すぐに霧散していく。吹き荒れる猛吹雪。視界を遮る魔力攪乱粉末。その「魔術師にとっての死域」で、彼女だけが、背後に立つアレンを守るための揺るぎない壁として屹立していた。


アレンは、自身の掌を見つめた。理外の力を持ち、神のごとき蹂躙を可能にしながら、自分は一発の鉛弾を「スマートに」止めることができなかった。自分が「消去できない実体」を、この女性は、ただの鉄の棒だと言い放ったその獲物で、完璧に処理してみせたのだ。


「……サツキ」


アレンの口から、無意識にその名が漏れた。自分は全能ではなかった。理(魔術)を支配しても、この世界に厳然として存在する「物理」という暴力の前では、一人の脆い人間に過ぎない。


だが、今。自分の前を、見たこともないほど力強く、誠実な背中が守っている。リィナが防御(結界)を担い、セリスが攻撃(増幅)を担う。だが、そのどちらも届かない「理の外側の空白」──このあまりにも稚拙で、それゆえに絶対的な物理攻撃から自分を、そして自分の聖域を救えるのは、武を極めたこの女性だけなのだ。


(……ああ。そうだ。俺には、お前が必要だったんだな)


アレンは、サツキの背中に震えるような期待と、これまでに感じたことのない深い充足感を覚えていた。孤独な天災として戦ってきた彼の、どこか歪んでいた「英雄」としての設計図。その最後に残されていた大きな空白に、サツキという名のパズルが、音を立てて嵌まった。


「サツキ……お前は、俺に欠けた最後の欠片だ」


アレンは右腰のショートソードを抜き放った。抜き放たれた刃が、雪原の淡い光を受けて鈍く輝く。もはや、敵の粉末も、道路の破損も、彼を縛る鎖にはならない。物理的な盾となったサツキの隣に並び、アレンは初めて、自身の理外の力を「暴走」ではなく「制御された切断」として、静かに練り上げた。


雪原を赤く染める朝日の光が、猛吹雪の向こう側から差し込み始める。地平線の際に滲む橙色の光が、白い荒野をわずかに温かく彩っていた。背中を預け合う二人の戦士。理外を繋ぐ、三つ目の楔が打ち込まれる瞬間は、もはや目前であった。


車内では、リィナが結界を維持しながら、震える手でエリシアの座席を庇うように身を寄せていた。彼女の額から流れる汗が、頬を伝って顎先から滴り落ちる。「もう少しです……もう少しだけ、耐えてください……」と、誰へともなく呟くその声は、吹雪の轟音にかき消されながらも、確かな意志を宿していた。


セリスもまた、粉末の妨害を受けながらも、レイピアの切っ先を絶えず外へと向け続けていた。魔術が届かぬ苛立ちを噛み殺しながら、彼女の青色の瞳は、屋根の上で並び立つ二人の姿を捉えていた。


(アレン様と、サツキさんが……)


そこにあったのは、これまで見たことのない光景だった。魔力による庇護ではなく、純粋な信頼によって成り立つ二人の連携。セリスの胸の奥に、誇らしさと、わずかな安堵が同時に込み上げてくる。


雪原の彼方から、まだ幾つかの熱源反応がちらつく。だが、その脅威すらも、今この瞬間の二人にとっては、もはや取るに足らないものに変わりつつあった。朝日が徐々にその輝きを増し、荒れ狂う吹雪の向こうに、新たな絆の輪郭を静かに照らし出していた。


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