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ガルディア公国宮殿、公女王執務室。磨き抜かれた大理石の床に、西日に照らされた長い影が伸びていた。窓硝子越しに差し込む光は、朝の霧が晴れたあとの澄んだ橙色を帯び、机上に積まれた書類の縁を静かに照らし出している。
「集まってもらって感謝します、アレン殿」
公女王エリシア・ヴァルステイン・ガルディアが、穏やかだが重みのある声で告げた。彼女は執務机の向こうに立ち、両手を軽く組んだまま、部屋に集った四人を順に見渡した。
部屋にはアレン、リィナ、セリス。そして、一歩下がった位置にサツキが控えている。室内を満たすのは、冷徹なまでの政治の気配だった。壁際に置かれた大型の魔導端末には、地図データがホログラムとして淡く投影され、北方の地形が青白い光の線で描き出されている。
「ノルディア王国との和平から、ちょうど一年が経ちました」
エリシアが机上の地図に視線を落とす。指先が投影された地図の一点――ノルディア北部を軽くなぞった。
「新国王レオニール殿の統治は誠実ですが、基盤は未だに脆弱です。北部の再建は遅れ、民の不満は帝国へと向けられつつある」
エリシアの瞳に、鋭い理知の光が宿る。単なる報告ではなく、これから下す決断への布石であることを、その場の誰もが察していた。
「私は、ノルディア王国の視察を決定しました。特に被害の大きかった北部の再建現場を、直接この目で確かめます」
「……公式の視察、ですか」
アレンが短く応じた。その言葉の裏にある「毒」を、彼は瞬時に察した。
これは単なる慰問ではない。先の帝都での「掃除」に続く、政治的なデモンストレーションだ。世界に向けて何かを示すための行動――その重みを、彼の黒い瞳は静かに測っていた。
「狙いは三つです」
エリシアが指を立てる。それぞれの指先に、これから語られる意図の重さが宿っているようだった。
「一つ、レオニール殿の統治をガルディアが支持していると内外に示すこと。二つ、ノルディア国内に潜む『黒鋼派』の残滓を一掃すること。そして三つ目――」
彼女の声が、わずかに冷たさを帯びた。
「帝国の影響力を、西大陸から完全に排除することです。ガルディアの支援こそが平和の要であると、国際社会に知らしめねばなりません」
重苦しい沈黙が執務室を支配する。窓の外では西日がゆっくりと角度を変え、床に伸びた影の輪郭を静かに動かしていた。
「護衛は俺たち三人で?」
アレンの問いに、エリシアが頷こうとした、その時だった。
「公女王陛下。恐れながら、申し上げます」
静かだが、鋼のように硬い声。サツキ・ハートフィールドが、アレンの傍らで膝を突いた。その身体からは、隠しきれない“武の気配”が陽炎のように立ち上っている。大理石の床に膝が触れる音さえ、この部屋の静寂の中では妙に鮮明に響いた。
「サツキ?」
アレンが眉をひそめる。彼女がこうして自ら前に出ることは、これまでほとんどなかった。
サツキは顔を上げ、アレンの黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳には、かつてないほどの熱い決意が宿っている。窓から差し込む西日が、彼女の茶系のポニーテールを橙色に染めていた。
「今回の任務、私を先鋒護衛に組み込んでください。……二度と、背中を見送るだけにはさせないでください」
それは、帝都での暗殺任務に自分だけが置いていかれたことへの、悲痛なまでの請願だった。彼女の放つ、凄まじいまでの「覚悟の熱」が、部屋の空気をわずかに震わせているようにさえ感じられた。
リィナとセリスが、息を呑んで見守っている。二人の視線が一瞬交わり、何かを確かめ合うように、また静かにサツキへと戻された。
アレンは沈黙した。サツキの実力は知っている。魔術は平均的だが、純粋な戦技のみであれば、特級魔軌士すら圧倒しかねない「化け物」だ。あの帝都での夜、彼女が見せた薙刀の閃きを、アレンは今も鮮明に覚えている。
(……この人は、もう『待つ側』には戻れないんだな)
その内心の呟きは、拒絶ではなく、静かな理解だった。誰かを置き去りにすることの残酷さを、自分自身が誰よりも知っている。だからこそ、今この瞬間の彼女の言葉を、無下にはできなかった。
「……分かった。先鋒はサツキ、お前に任せる」
アレンの言葉に、サツキの肩が微かに震えた。膝をついたまま、彼女は深く頭を垂れる。
「……はっ。命に代えても」
「命は懸けなくていい。俺が死なせない」
アレンは短く断じると、エリシアへと向き直った。その声には、先ほどまでの淡々とした事務的な響きとは違う、確かな芯が通っていた。
「公女王陛下。護衛は四名で行います。ノルディアの雪原に潜む影……すべて俺たちが消しましょう」
エリシアは静かに目を細め、小さく頷いた。四人の顔ぶれを見渡す彼女の瞳には、頼もしさと、同時にこれから彼らを北の地へ送り出すことへの、一抹の緊張が滲んでいた。
窓の外、北の空には重い雪雲が広がり始めていた。灰色の雲塊が、まるで遠いノルディアの気配をこの部屋にまで運んできたかのように、じわじわと空を侵食していく。平和の影に潜む絶望を断ち切るための、新たな進軍が始まろうとしていた。




