22-7
帝都イグナイト、中心部。軍事国家の象徴である巨大な街並みを見下ろす場所に、その「聖域」はあった。
ヴァルシオン・ホテル 帝都イグナイト店。
全館に展開された特級防魔結界が、外部の騒音と魔力のノイズを完璧に遮断している。窓の外には、朝の光を浴びた鉄と魔導金属の摩天楼が整然と並び、軍事大国の威容をそのまま体現していた。
その最上階、魔軌士専用スイート。深夜の襲撃から数時間。アレン、リィナ、セリスの三人は、ガルディア公国から一瞬にしてこの部屋へと辿り着いていた。到着した現地の時間は夜が始まる午後九時頃であり、そのまま朝まで休息をとった。
「……アレン様。冷たいお飲み物を用意しました」
リィナが、銀髪を揺らしながら甲斐甲斐しくアレンの世話を焼く。彼女の淡い青の瞳には、まだ先ほどの惨劇の記憶が微かに残っていたが、その手つきに乱れはなかった。アレンは、広大なキングサイズのベッドに、衣服を纏ったまま横たわっていた。
一九二センチの長身が、白いシーツに深い影を落とす。その瞳は半分閉じられていたが、意識はかつてないほど鋭敏に研ぎ澄まされていた。彼の右手だけが、時折微かに動き、何かを確かめるように指先を握っては開いていた。
「…………」
アレンの全身から、「静かな怒りの魔力」が陽炎のように立ち上っている。理外の怪物が放つ、死の演算の気配。それは先ほど別邸で見せた荒れ狂う暴力性とは異なり、もっと凪いだ、しかし遥かに冷酷な質のものだった。
セリスは窓際に立ち、カーテンの隙間から帝都の様子を窺っている。朝の光を浴びた街並みは、何も知らぬまま平穏を装っていた。行き交う人々、走る魔導車両、そのすべてが、これから起こることを微塵も予感していない。
「……外は静かですわ。まさか自分たちの拠点が、既に死神の視界に入っているとは思いもしないでしょうね」
彼女の声には、これから振るわれる断罪への確信と、わずかな哀れみにも似た冷たさが滲んでいた。カーテンの隙間から差し込む光が、彼女の金髪をわずかに照らし出している。
アレンは、寝転んだまま思考の海に潜っていた。住宅を一つずつ回るなど、非効率の極みだ。確実に仕留め、かつ無駄な目撃者を増やさない方法。その思考は、感情の昂ぶりから完全に切り離され、ただ純粋な「処理」の手順として組み立てられていく。
(ダルケンなら、工作員の失敗を即座に総括するはずだ……)
アレンは《魔力直接操作》を、帝都の地下深部へと浸透させていく。標的は、軍務院の地下。そこには、周囲の魔力ノイズから完全に切り離された「魔力の空白」がある。彼の意識は、目に見えぬ触手のように地中深くを這い、幾重にも張り巡らされた帝国の防御網をすり抜けていった。
「見つけた……」
アレンの唇が、微かに弧を描いた。魔力遮断壁に守られた密室。そこへ吸い込まれていく、三つの強大な、そして見覚えのある魔力署名。それぞれの波長には、彼がこれまでの襲撃を通じて幾度となく感じ取ってきた、粘着質な悪意の残滓が刻まれていた。
ダルケン・シュタール。
レグナス・ハーゼン。
ヴァルド・グレイア。
「……揃った。一席、二席、三席。全員が『檻』に入ったぞ」
アレンが、ゆっくりと上身を起こした。その漆黒の瞳には、一切の慈悲が存在しない。五度にも及ぶ攻撃。彼らが手をかけたのは、アレンにとっての「絶対の聖域」だった。ベッドから起き上がる彼の動きには、これまでの疲労の色が微塵も見えなかった。むしろ、その所作の一つ一つが、これから振るわれる断罪への静かな準備であるかのように、迷いなく研ぎ澄まされていた。
「リィナ、セリス。作戦の最終確認だ」
アレンの声が、冷たく響く。
1.アレンが軍務院地下会議室の座標をこじ開け、全員で転移する。
2.出現と同時に、リィナが《空間隔絶結界》を展開。音、衝撃、魔力の流出を遮断し、そこを「この世に存在しない密室」に変える。
3.アレンが《魔術消去》を展開。室内の防衛装置と、奴らの魔導端末をすべて鉄屑に変える。
淡々と語られるその手順は、まるで戦闘の作戦というより、確立された処理工程のようだった。感情の起伏は一切ない。ただ、目的を達成するための、最も効率的な道筋がそこにあった。
「準備はいいか」
リィナが、右腕の袖口からショートロッドを滑り込ませ、静かに頷いた。その瞳には、もはや躊躇いの色はなかった。誓導者として、主の意志に最後まで寄り添うという確固たる決意だけが、そこに宿っていた。
セリスもまた、気品ある動作でレイピアの柄に手をかける。彼女の青色の瞳には、貴族としての誇りと、誓導者としての冷徹な覚悟が同時に燃えていた。
「いつでも、行けますわ。アレン様」
窓からは、帝都の美しい昼の陽光が差し込んでいる。それは何も知らぬ市井の営みを照らし出し、街のあちこちに人々の穏やかな生活を映し出していた。だが、その光に背を向け、アレンの手が虚空を掴むように動いた。
「……沈黙の中で、死ね」
パチン、と軽い指の音が響く。その音は、部屋の静寂の中で、まるで運命そのものが切り替わる合図のように、鋭く反響した。
次の瞬間、陽光溢れるホテルの一室から、三人の姿は掻き消えた。後にはただ、乱れることのないベッドのシーツと、静かに揺れるカーテンだけが残された。
帝国の「影の中枢」を灰にするための、処刑が幕を開ける。空になった部屋の中で、閉め忘れられたカーテンの隙間から差し込む陽の高い光だけが、静かに、そして無関心に、床を照らし続けていた。街の遠くから響く鐘の音が、まるで何かの始まりを告げるかのように、澄んだ音色で空気を震わせていた。




