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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第22章:帝都断罪

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22-5

帝国の工作員たちが「魔力の隙間」へと消え去った後の別邸主寝室。静寂が戻った室内には、焼け焦げた絨毯の異臭と、アーク・ジャマーが放っていた高周波の耳鳴りだけが、不吉な残響として漂っていた。破られた扉の向こうから流れ込む夜風が、燭台の炎を揺らし、壁に映る影を落ち着きなく震わせている。


「……証拠を探す」


アレン・ヴァルグレイの声は、深夜の冷気よりも鋭く、そして研ぎ澄まされた氷の刃のように硬かった。彼はリィナの肩からゆっくりと手を離すと、身体を直立させ、冷徹な眼差しで「天災」が去った後の現場を俯瞰した。その瞳にはもはや、先ほどまでの荒れ狂う怒りの色はない。あるのはただ、獲物の痕跡を執拗に洗い出そうとする、猟犬のような静かな執念だった。


「アレン殿……宮廷魔導士による解析を待たずともよいのですか?」


部屋の隅で震えていた近衛兵の一人が、恐る恐る声をかける。だが、アレンは一瞥もせずに応じた。


「お前たちの『理』に基づく捜査では、奴らが残した微細な痕跡を掴む前に、魔力が霧散して終わる。……掃除の前に、俺が直接この手で根拠を固める」


アレンはリィナとセリスへ視線を投げた。二人は魔力循環の逆流による苦痛からようやく回復しつつあったが、その瞳には主と同じ、峻烈な怒りの炎が宿っていた。青白かったリィナの頬にも、わずかながら血の気が戻り始めている。セリスもまた、震えていた指先を落ち着かせるように、レイピアの柄を静かに握り直していた。


「リィナ。思考読解で、この部屋に残留している『悪意の質感』を特定しろ。セリスは、散らばった飛沫や資材の魔導鑑定を」


「はい、アレン様。……犯人たちの、消えゆく思考の残滓を辿ります」


リィナが瞳を閉じ、集中を高める。彼女の『思考読解』は目視が基本だが、直前までこの場にいた者が放っていた強烈な殺意や精神の昂ぶりは、空間に「気配の泥」として数分間は残留する。彼女はそれを通じて、襲撃者が訓練された帝国の特科兵特有の、冷酷で規律だった精神構造を持っていたことを確信する。まぶたの裏に浮かぶ断片的な映像――冷たい命令、迷いのない殺意、そして帝国という組織への絶対的な服従。それらが、糸のように繋がっていくのをリィナは静かに感じ取っていた。


一方、アレンは窓を開け、工作員が潜んでいた庭園の茂みへと向かった。夜露に濡れた草木をかき分ける音だけが、しばらくの間、室内の緊張を破って響いていた。


「アレン様、これを見てください」


サツキが茂みの奥から、黒鋼色の異様な形状をした装置を抱えて戻ってきた。先ほどまで別邸を包む結界を内側から軋ませていた『ポータブル中継端末』だ。工作員たちが、サツキの猛攻によって破壊も回収も間に合わず、放棄せざるを得なかったものである。その表面には無数の擦り傷が刻まれ、彼女がどれほどの死闘を潜り抜けてきたかを物語っていた。


アレンは無言でその装置に右手をかざした。


「《魔力直接操作アーケイン・マニピュレーション》」


アレンの指先から、目に見えぬ無属性の魔力触手が装置の内部回路へと浸透する。現代のハッキング技術ではアークレスト製のセキュリティは突破不可能だが、アレンの能力は回路に流れる「魔力の物理的な流れ」そのものを、記録ログごと掴み取ることができる。装置の表面がわずかに発光し、内部から微かな駆動音が漏れ聞こえた。


「……見つけた。この端末は、本体からの指向性信号を受信する『照準器』に過ぎない。……だが、内部の通信バッファには、本体と同期した際の魔力通信アドレスと、信号の飛来方向が焼き付いている」


アレンは目を閉じ、空間に残る精神波形の揺らぎと、端末に残ったベクトルの記録を重ね合わせる。彼の意識の中で、目に見えぬ「悪意の糸」が数千キロの彼方へと伸びていった。その糸を辿る感覚は、まるで暗闇の中で一本の縄を手繰り寄せるような、確かな手応えを伴っていた。


「アレン様、そのアドレスの正体は分かりますか……?」


リィナの問いに、アレンは迷いなく頷いた。


「ああ。……覚えている。一年と半年前、俺が帝都イグナイトを『散歩』した際、皇宮の地下から漏れ出していた巨大な魔導炉の不協和音……。この魔力通信アドレスに含まれる基幹波長は、あの時感じた『帝国魔導兵器開発局』の最深部にある動力源の署名と完全に一致する」


アレンにとって、場所の特定は住所を調べるような事務的な作業ではない。魔力の流れを視覚化して捉える彼にとって、それは以前嗅いだ「不快な臭い」を辿るような、確信に満ちた照合だった。脳裏に、あの日の帝都の重苦しい鉄と油の匂いが鮮明に蘇る。


「……間違いありませんわ。兵器開発局の局長は、黒鋼二席のレグナス・ハーゼン。奴らが直接、この楔を打ち込んだということですわね」


セリスが、氷のように冷たい声で補足した。彼女の青色の瞳には、貴族としての怒りと、誓導者としての冷徹な分析力が同時に宿っていた。


場所の特定。それは個人の暴走ではなく、帝国軍の兵器開発を担う国家機関が、直接この暗殺に関与していることを示す決定的な空間的証拠であった。


さらにアレンは、端末のストレージ内に保存されていた調整用データを引き出した。


「セリス。このデータファイルに含まれるメタデータを読み取れるか?」


セリスが魔導端末を操作し、アレンが抽出したデータをホログラムとして展開する。青白い光の文字列が、宙に無数の数値と記号を刻み出した。


「……不快ですわ。わたくしたちの魔力循環のリズムが、秒単位で記録されています。……!? アレン様、これを見てください。このデータ、生成時の『記録時刻タイムスタンプ』が残っていますわ」


デジタル音声録音や写真のデータに撮影日時が刻印されるように、帝国の測定器もまた、魔力波形を記録した瞬間の内部時刻をデータに付随させていたのだ。


「データの生成時刻を読み取ります。……十月二十五日の十五時四十二分。……リィナ、この日時は?」


リィナが手元のアーク・リンクのログと照らし合わせ、顔を蒼白にさせた。震える指先が、画面をなぞる速度を徐々に落としていく。


「……迷宮遠征、二十八階層。アレン様が『理外の苦痛』に耐えながら前進し、私たちが必死に魔力を循環させていたあの瞬間です」


サツキが愕然としてその言葉を聞いていた。あの時、後方で恐怖に震えながら「査定」を行っていた帝国の随行員たちが、密かに何をしていたのかを悟ったからだ。彼女の脳裏に、二十八階層で命を落とした帝国魔軌士の姿と、その場の凄惨な光景が重なって浮かんだ。あの現場に紛れ込んでいた誰かが、静かに測定器を構えていたのかもしれない――そう思うだけで、背筋に冷たいものが走った。


「……奴らは地上に戻った後、迷宮内でローカル記録していたこの『実測データ』を開発局のサーバーへアップロードし、暗殺兵器の最終調整に使ったというわけか」


アレンの言葉が、部屋の温度をさらに数度下げた。迷宮三十階層往復に一か月もの時間をかけた、自分たちの献身と苦痛を「兵器の部品」として加工し続けていたという帝国の執拗な悪意。それは、アレンの逆鱗に触れるには十分すぎる事実だった。


「……言い逃れは、もはや不可能。あの迷宮遠征そのものが、この夜の惨劇のための『仕込み』だったのですわね」


セリスの言葉には、騎士としてのプライドを汚されたことへの、極低温の怒りが込められていた。彼女の拳が、無意識のうちに白くなるほど強く握られている。


「アレン様、最後にもう一つ。……これを見てください」


サツキが、足元に落ちていた「黒い衣服の断片」を、薙刀の刃先で拾い上げた。先ほど、サツキの鋭い一撃が工作員の肩口を掠めた際に切り裂いたものだ。その布地は、燭台の光を受けてもなお、不気味なほど光を吸い込んでいた。


セリスがその破片を指先でつまみ、自身の魔力を微弱に流した。


「……不快な手応え。魔力を通さないどころか、吸い込んで消滅させていますわ。これはガルネリア本店の魔導織布とは真逆……『低周波遮断用織布』。ヴァルゼン帝国の軍事工場でのみ限定生産されている、対魔術師用の隠密資材ですわ」


セリスの青色の瞳に、峻烈な知識の光が宿る。


「辺境伯家では、帝国の新兵器に対抗するため、この素材のサンプルを長年追ってきましたの。外部への流出は厳重に制限されており、これがここにあるということは……実行犯が帝都から派遣された直属の特科部隊であることの、動かぬ証拠ですわ」


空間的特定、時間的整合性、そして軍専用の装備。もはや状況証拠の域を超え、ヴァルゼン帝国『黒鋼派』の中枢が首謀者であることを、アレンの理外の解析が完全に証明してみせた。


アレンの周囲で、再び漆黒の魔力が静かに渦を巻いた。それは先ほどのような暴走の予兆ではなく、獲物を確実に仕留めるための、死神の如き静かな殺意であった。その気配に、床に散らばる家具の破片や、割れたガラスの欠片までもが、微かに震えているように見えた。


「……決まりだ」


アレンの漆黒の瞳から、最後の一欠片の慈悲すらもが消失した。五度にも及ぶ工作。そして何より、自身の「器」であるリィナとセリスを、卑劣な罠で内側から壊そうとしたこと。その事実は、アレンにとって世界の理を破壊されるよりも許しがたい暴挙であった。


「証拠は揃った。……奴らは、俺が直接この手で裁く」


それは、誓導者二人を狙うという最大の禁忌を冒したヴァルゼン帝国『黒鋼派』への、抗いようのない死刑宣告であった。部屋を満たす「天災の静寂」は、次なる嵐――帝都への無慈悲な強襲の前触れを告げていたのである。


リィナは静かにアレンの傍らへ寄り添い、セリスもまたその反対側に立った。三人の間に流れる沈黙は、もはや恐怖ではなく、これから振るわれる断罪への確かな決意に満ちていた。窓の外、庭園に差し込む月明かりだけが、破壊された部屋の惨状を淡く照らし続けていた。


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