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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第21章:強国たちの来訪

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21-11

石造りの冷たい階段を上る軍靴の音だけが、虚しく迷宮に反響していた。地上への帰路――それは、深層の「理外」を目撃した生還者たちにとって、誇りを埋葬するための葬列にも似ていた。


帝国の随行員たちは、もはや言葉を失っていた。かつての傲慢な光輝は消え失せ、その瞳には底知れぬ恐怖と、魂が抜け落ちたような虚無だけが宿っている。誰もが俯いたまま黙々と足を進め、時折、亡くなった仲間を思い出したのか、小さく喉を詰まらせる音だけが階段の反響に混じっていた。自国の英雄ガルドですら届かなかった三十階層。そこで彼らが見たのは、神の如き蹂躙と、あまりにも呆気ない仲間の消滅だった。彼らは、世界の残酷な真実を知ってしまったのだ。二十八階層の先にあるのは、帝国の威信も、人間の積み上げた「理」も通用しない絶対的な死域であると。


一行はついに迷宮の入り口を抜け、夕刻の陽光が差し込むガルディア公国宮殿へと辿り着いた。肺を焼く魔力の不協和音がない、清浄で穏やかな空気。夕陽に照らされた宮殿の白亜の壁が、これまでの過酷な一か月の行軍とはあまりにも対照的な、静謐な美しさを湛えていた。だが、サツキ・ハートフィールドの胸は、迷宮の最深部よりも激しく締め付けられていた。


サツキの手は、未だに微かに震えている。握りしめた家伝の魔導薙刀《朧月おぼろづき》が、今はただの重い鉄の棒のように感じられた。命を懸けて研鑽を積んだはずの武技は、深層の魔力密度の前には届くことさえ許されなかった。彼女は情けなさに耐えながら、感覚の消えかけた指で、主を失い沈黙した獲物を握り直す。石畳を踏みしめる足取りにも、以前の凛とした強さは見る影もなかった。


アレン・ヴァルグレイは、彼女を振り返ることもなく、宮殿の石畳を歩んでいた。その背中からは、未だに黒い陽炎のような魔力圧が漏れ出し、周囲の空気をピリつかせている。指数関数的に増大し続ける魔力がもたらす内側からの激痛が、彼の精神を極限まで磨り潰し、その表情に冷徹な焦燥を刻んでいた。彼の歩調は普段と変わらぬ静けさを保っていたが、その周囲だけが、明らかに常人には近寄りがたい緊張を纏っていた。


アレンが、ふと足を止めた。振り返ることなく、その温度を欠いた低い声が夕闇の静寂を切り裂く。


「サツキ。お前にはこれ以上は無理だ」


心臓を直接貫かれたような衝撃が、サツキを襲った。アレンの言葉には、かつてのような僅かな慈悲も、熱量も含まれていない。ただ、自分自身の暴走しそうな力への忌まわしさと、これ以上誰一人として自身の「異常」に巻き込みたくないという、悲鳴にも似た攻撃的な拒絶だった。夕暮れの風が二人の間を吹き抜け、サツキの茶系の髪をわずかに揺らした。


「命を無駄にしたくないなら、二度と深層へ行くなどとは口にするな」


最後通牒。それは、一人の武人として生きてきたサツキにとって、自身の存在価値を根底から切り捨てられる宣告だった。彼女の「武」は、アレンの歩む地平においては、守るべき対象にすらなれない「足手まとい」に過ぎないのだと、突きつけられたのだ。彼女の脳裏には、幼い頃から積み重ねてきた鍛錬の記憶――ゼルハルトの山間で薙刀を振るい続けた日々、誓環学院で首席の座を勝ち取った瞬間の高揚――が、次々と過っては、今の言葉の前に色褪せていった。


「……アレン、様……」


絞り出した声は、冷たい風にかき消された。アレンは再び歩き出し、第一誓導者のリィナと第二誓導者のセリスを伴って、宮殿の奥へと消えていく。二人の誓導者は、去り際にサツキへと視線を向けたものの、何を言葉にすればよいのか分からぬまま、静かに主の後を追った。リィナの淡い青の瞳には、痛ましさと、けれど今は何もできないという歯痒さが滲んでいた。セリスもまた、振り返りながら唇を微かに動かしかけたが、結局、言葉にはならなかった。


サツキは、その場に立ち尽くすしかなかった。溢れそうになる涙を、唇を血が滲むほどに噛み締めて堪える。視界が滲み、遠ざかっていくアレンの広い背中が霞んでいく。宮殿の白亜の壁に落ちる夕陽の色が、いつもより一層、冷たく感じられた。


届かない。どれほど槍を振ろうとも、今のままでは、あの男を苛む「理外」の苦痛を分かち合うことさえ許されない。彼女がこれまで培ってきた武技も、覚悟も、この男が背負う次元の異なる孤独の前では、あまりにも無力だった。二十八階層で見た特級魔軌士の死、三十階層で味わった圧倒的な無力感――それらの記憶が、今のアレンの言葉と重なり合い、サツキの胸を鈍く締め付けていく。


石畳の上に、彼女の影だけが、夕闇に溶け込むように長く伸びていた。遠くから聞こえる宮殿の使用人たちの声も、庭園を渡る風の音も、今の彼女の耳には遠く霞んで届いていた。ただ、握りしめた薙刀の重みだけが、彼女がここに立っている確かな証として、その手のひらに残されていた。


サツキ・ハートフィールドは、己の無力さと、届かぬ恋心の鋭い痛みを、静まり返った夕闇の中で独り噛み締めていた。彼女はしばらくの間、動くことができなかった。ただ、アレンの消えた宮殿の奥を見つめ続けながら、これから自分がどう在るべきかという問いだけが、答えのないまま彼女の胸の中で繰り返されていた。夕陽が完全にその輝きを失うまで、彼女はその場に立ち続けていた。


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