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王都アルヴェンの朝は、雲一つない青空から降り注ぐ鋭い陽光が、林立する高層ビルの窓ガラスに反射し、街全体を白銀の輝きで包み込むところから始まった。
数日前に四大迷宮『蒼風峡谷』の二五階層を踏破し、一〇二億エルという天文学的な報酬を得たアレンとリィナは、滞在していた迷宮近くの高級ホテルの部屋を早々にチェックアウトした。
「忘れ物はないか?」
ホテルのロビーで、アレンは傍らに立つリィナへ視線を落とした。黒を基調とした機能的な戦闘服に身を包んだ彼の長躯は、雑踏の中でも一際目立つ静かな威圧感を放っている。
「はい。物資なら、アレン様の《空間収納》に一ヶ月分以上たっぷり残っていますから」
リィナは可憐な刺繍が施された小鞄を抱きしめ、少しだけ誇らしげに微笑んだ。
前回の遠征がわずか三日で終わったため、アレンが独自に構築した「内部の時間が停止し、容量も無制限」という理外の収納空間には、手付かずの食料と機材が山のように眠っている。
二人は迷宮都市の喧騒を抜け、再び『蒼風峡谷』の重厚な魔導門をくぐった。
一歩足を踏み入れれば、外界の喧騒は遮断され、大地の裂け目から絶え間なく吹き上げる、湿り気を帯びた冷たい風が二人の頬を撫でる。
中層へと至る回廊を、アレンは迷いのない足取りで進んでいく。リィナはその後ろ姿を追いながら、ふと募った不安を口にした。
「アレン様。魔軌士局の支局長……レイフォルトさんのお話では、ボスの再生間隔は一〇日ほどでしたよね?」
「ああ。そうだったな」
「前回の討伐から、まだ数日しか経っていません。……このままだと、二五階層のボスはまだ再生していないはずです」
魔石が得られなければ、今回の遠征は収益ゼロに終わる。一介の魔軌士からすれば、それは致命的な効率の悪さだ。リィナが足を止め、心配そうにアレンの真意を問うように見つめた。
「再生していなくてもいいんだ。……今回は、別のことを試したくてな」
「試したいこと……? 新しい攻撃魔術の実験、ですか?」
「いや。……《空間転移》だ」
その言葉に、リィナは息を呑み、金縛りにあったようにその場に立ち尽くした。
「転移……!? 空間を、文字通り飛び越えるんですか? そんな魔術……人類が千七百年かけて積み上げた現代魔術の理論には、一文字として存在しません……!」
「ああ。だから座標を覚えに行く必要があるんだ。一度行った場所に、次からは一瞬で戻れるようにな」
アレンは感情の起伏を感じさせない淡々としたトーンで告げ、再び歩き出した。
彼にとっての「魔術」とは、術式を構築する手間も、魔力炉の予熱も必要としない。ただ、世界の理を読み取り、自らの意志で現象を強制する《魔力直接操作》の応用に過ぎないのだ。
二人はリィナの体力を気遣いながらも、かつてない安定感で深層へと突き進んでいく。
行く手を阻む魔獣に対し、アレンは視線を向けるだけで指先から鋭い閃光を放つ。
《光束魔術》──光速で空間を貫くその一撃は、魔獣が咆哮を上げることさえ許さず、その核を正確に光の粒子へと変えていった。
二一階層……ボスは不在。
二三階層……広大な空洞が広がるのみ。
そして、前回の終着点であった二五階層。
本来なら王都の精鋭たちが死闘を繰り広げるはずの広大なボス部屋には、魔獣の足音一つなく、ただ重苦しい静寂だけが支配していた。
リィナがアーク・リンクを取り出し、大気中の魔力密度を測定する。
「……やはり、未再生です。残留魔力の収束具合から見て……あと四日はかかりますね」
「ふん、計算通りか」
アレンは満足げに頷くと、ボス部屋の奥に鎮座する巨大な石扉を見上げた。
そこから先は、人類の記録が途絶え始めている未知の領域──未踏域への入口。
アレンの黒い瞳には、昨日までの静かな隠遁者の色ではなく、未知の「理」を解き明かそうとする貪欲なまでの光が宿っていた。
「……リィナ、今日は二六階層の安全地帯まで行って休もう。本格的な『座標固定』の作業は、そこからだ」
アレンの言葉には、確かな決意の響きがあった。
二人は未踏の二六階層へと足を踏み入れる。周囲の空気を満たす魔力圧が一段と重くなり、肺を押し潰すようなプレッシャーが襲うが、リィナの展開する《三重魔導護膜》と、アレンから供給される膨大な魔力循環が、それを無害な微風へと変えていた。
静寂に包まれた二六階層の安全地帯。
アレンは無機質な石床に腰を下ろすと、自身の魔力回路を極限まで研ぎ澄ませ、この場所の「空間の歪み」と「座標」を、魂へと深く刻み込み始めた。
明日から始まる、迷宮の常識を根底から覆す「本番」に備えて。




