20-10
翌朝、ガルディア公国宮殿。別邸のリビングには、朝食後の穏やかな空気ではなく、これからの戦いを見据えた静かな熱が漂っていた。窓から差し込む秋の陽光が、テーブルの上に置かれた茶器の陰影をくっきりと浮かび上がらせている。
「……俺は、この街の武器屋には詳しくない」
とアレンが呟くと、セリスも「わたくしも、軍の支給品か実家の伝手ばかりでしたから……」と視線を落とす。これまで貴族の令嬢として与えられてきた装備への、ある種の無関心が滲んでいた。実力を磨くことには惜しみない努力を注いできた彼女だが、道具そのものを選び抜くという経験は、意外にも乏しかったのだ。
その会話を耳にした別邸の侍従が、音もなく一歩前へ出た。
「アレン様。もし宜しければ、当宮殿の情報網をご利用ください」
侍従は手際よく『アーク・リンク』を操作し、数分と経たぬうちに顔を上げた。その所作には、長年宮殿に仕える者らしい無駄のなさがあった。
「ガルディアで最も腕が良いとされる鍛冶師への連絡が完了しました。今すぐ案内可能です」
「……助かる。やはり餅は餅屋だな」
アレンは宮殿の情報網の有能さに小さく感心し、三人を伴って表へ出た。秋の澄んだ空気が、四人を包み込む。街路樹の葉は少しずつ色づき始め、行き交う人々の服装にも、うっすらと涼やかさが加わっていた。
案内された場所は、華やかな商店街から大きく外れた、無機質な石造りの鍛冶店だった。店先に飾られた商品は一つもなく、代わりに壁を震わせる重厚な槌音と、肺を焼くような焼けた鉄の匂いが漂ってくる。
「ご主人! この薙刀の診断をお願いしたいのですが!」
リィナが先日のゼルハルト王国での反省を込めて、凛とした声で呼びかけた。奥から現れたのは、煤で汚れた顔に強面の表情を浮かべた、岩のようにがっしりとした体格のドワーフだった。
「あぁ? どこのお嬢ちゃんだ……って、な、No.0様じゃねぇか!」
ドワーフの主人ブロム・ハイロックの目が驚愕に見開かれ、手に持っていた火箸を落としそうになりながら居住まいを正した。アレンは「……俺、この国で顔が広くなりすぎじゃないか?」と内心で溜息をつきながらも、サツキの薙刀《朧月》を差し出した。
主人ブロムは、使い込まれた薙刀を手に取ると、瞬時に職人の目となり、眉間に深い皺を刻んだ。
「…………こいつはヤバいな。よく折れずに戻ってこれたもんだ」
「そんなに、ひどいのですか?」
とサツキが不安げに問いかける。彼女の手が、無意識のうちに自らの薙刀の柄を求めるように動いた。
「ああ。衝撃で芯までガタが来てる。今すぐ直さなきゃ、次の一撃で粉々だ。……修理には十日、費用は一億エルといったところだな」
「一億……!」
とサツキは絶句した。
「新品なら十億エルは下らねぇ業物だが……今のままじゃただの鉄屑だ」
サツキは戦慄し、隣に立つアレンを見上げた。
「アレン様の忠告を聞いて……本当に良かったです。……私の、不徳の致すところです」
「気づけたならそれでいい。……無理をさせたのは俺も同じだ」
アレンは短く答え、主人の背後にある保管庫へ視線を向けた。工房の奥、幾重にも重なる棚には、これまで彼女が目にしてきたどの武具よりも研ぎ澄まされた気配を纏う品々が、静かに並んでいた。
「今のアンタらに見せられる最高の剣はこれだ」
ブロムが奥から持ち出してきたのは、透明がかった青白い光を放つ、美しくも禍々しい両手剣だった。
「アダマンタイト製だ。値段は百億エル。特級魔軌士様なら出せる額だろ?」
「サツキ。お前にはこれくらいの剛性が必要だと思うぞ」
「百億……。……見ただけで分かります。これは、私の常識を超えています」
アレンは周囲に人がいないことを確認し、その百億エルの剣を手に取った。そして、身体を僅かに沈め、無造作に、片手で上段から縦に振り下ろした。
──ビュッ!
空気が悲鳴を上げ、凄まじい風圧が工房を揺らした。壁に立てかけられていた工具が、その余波でカタカタと震える。ブロムは口を半開きにして固まった。
「ひ、片手で……!? だ、旦那……その腰のやつ……まさか……」
主人の視線が、アレンの左腰にある、現代魔術の規格を嘲笑うかのような銀色の脇差に釘付けになった。
「ん? 知っているのか。見るか?」
アレンが《白緋》を鞘ごと抜き、無造作に提示した瞬間だった。
ブロムは、まるで神の啓示を受けた信者のように、その場に膝を突き、震える手を銀色の鞘へと伸ばしかけて止めた。
「こ、こいつは……嘘だろ……。ゼルハルトの『灰銀炉』に伝わる、鍛冶神様の一振りじゃねぇか! 千八百年もの間、ついぞ完成しなかったと言われていた、あの伝説の……! なぜ、それがガルディアにある!? なぜアンタが持っていやがるんだ!?」
ブロムの顔が、信仰心にも似た熱狂と、同業者としての圧倒的な敗北感に染まった。アレンは「ゼルハルトで、少々手間取って手に入れただけだ」と淡々に答えた。
熱烈なブロムの様子から視線を外してリィナとセリスへ向き直った。工房の熱気の中で、彼の思考は既に次の課題へと切り替わっている。
「二人は物理攻撃よりも“魔力集束”がメインだ。……“ミスリル”という金属があるんじゃないか?」
アレンが地球のファンタジー知識として口にした言葉に、二人は即座に反応した。
「あ、聞いたことあります。魔導金属ですね」
「魔力伝導率が高い金属ですわ。確かにわたくしたちの武器には最適ですわね」
アレンは内心で(……ミスリル、やっぱりあるんだな)と納得しつつ、いまだに《白緋》を拝んでいる主人を呼んだ。
「おいおやっさん、聞こえているか! リィナたちの武器の話だ!」
「あっ……か、神様……! はい、何でしょうか!」
ブロムは慌てて立ち上がり、汗を拭った。
「魔術師用なら……これだな」
ブロムが誇らしげに提示したのは、銀色の輝きが水面のように波打つショートソードだった。
「オリハルコン製だ。魔力の通りが異常に良く、ミスリルより上だ。
術者の属性をそのまま刃に乗せられる。一本六十億エルだ」
リィナとセリスは顔を見合わせた。
「ろ、六十億……。豪邸が数軒建ちますわね……」
「でも、今のアレン様の取り分があれば……買えますね」
三兆エルの年俸、そして今回の五億エルの配当。アレン隊にとって、金銭はもはや戦いを制限する理由にはならなかった。
「サツキの場合は、魔術を乗せるよりは物理的な破壊力に特化すべきだろう。アダマンタイト級の薙刀が必要だな」
「……たしかに。私の技量を最大限に活かすなら、魔導金属の剛性が必要ですわ」
「へっ、No.0様の周りは化け物揃いだ。アダマンタイトなんて、うちでも年に一本出るか出ないかだぞ」。
「「「「出るんだ……」」」」
四人の声が綺麗に重なり、工房に乾いた笑いが漏れた。窓から差し込む午後の光が、工房の壁一面に掛けられた道具の影を長く伸ばしている。結局、今日はサツキの薙刀の修理だけを正式に依頼し、新調については後日改めて検討することになった。
ハイロック工房を出た後、夕陽に染まるガルディアスの街を歩きながら、サツキはリィナに小声で尋ねた。石畳を照らす夕陽の橙色が、二人の足元に長い影を落としていた。
「……アレン様の仰る通りでしたね。武器一つに十億、百億という価値が動くなんて。私の知らない世界でした」
リィナは穏やかに微笑み、前を行く背中を見つめた。彼女の視線の先には、変わらず飄々とした様子で歩くアレンの長身があった。
「ふふっ、サツキ様。アレン様の周りは……全部が“規格外”なんです」
理外の男の隣に立つための代償は、決して安くない。だが、サツキの胸には、その高みへと至るための確かな道筋が刻まれ始めていた。夕暮れの街並みに響く鍛冶場の槌音が、いつまでも遠くから聞こえていた。




