20-4
ゼルハルト王国、アイアンフォージ。絶えず響く重厚な槌音と、火花の匂いが立ち込める鍛冶場の片隅で、サツキ・ハートフィールドは自身の掌をじっと見つめていた。冷え込んだ夜気が工房の熱気とせめぎ合い、彼女の吐く息が僅かに白く滲んでは消えていく。
脳裏を離れないのは、あの白銀の「鞘」だ。アレンから放たれた、音を置き去りにするような技の冴え。魔術を介さない純粋な武技の前に、彼女が積み上げてきた首席としての誇りは完膚なきまでに砕け散っていた。あの日、雪の降る裏庭で叩きつけられた敗北の感触は、まだ生々しく彼女の掌に残っている。薙刀の柄を握るたびに、あの一瞬の「終わりだ」という平坦な声が、耳の奥で静かに反響した。
「追うべきか、あるいは……」
サツキがポツリと呟くと、背後から無造作な声が響いた。
「武人が惚れたなら、迷うんじゃないよ」
店主のバルバラが、重い槌を肩に担いで鼻を鳴らした。褐色の肌に刻まれた火傷の痕が、炉の残り火に赤く照らされている。
「想いも、技も、貫いてこそ“首席”だろう? 違うかい」
「……私は、まだその名に恥じておりますわ」
サツキは深く息を吐き、茶系のポニーテールを強く結び直した。その瞳に、迷いはもうなかった。たとえ選ばれた誓導者でなくとも、あの孤独なほどに鋭い背中を放っておくことはできなかった。あれは単なる武技ではない、一つの「生き方」だったのだ。二千年の時を超えて主を待ち続けた刃と、それを易々と手に馴染ませてしまった男。その両方に、彼女は抗いがたい引力を感じていた。
数日後。ガルディア公国宮殿、別邸。
セリス・ヴァレンティアのアーク・リンクが、鋭い着信音を鳴らした。画面に表示された名を見て、彼女の指が凍りついたように止まる。窓の外ではガルディアスの秋風が庭木の葉を静かに揺らしていたが、室内の空気は瞬時に張り詰めたものへと変わった。
『アレン殿に敗れてから、考え続けている。私は武技を学び直したい。アレン殿の近くで。……今、ガルディアへ向かっている。常にアレン殿の傍で、武を磨きたい』
「……常に、傍で……!? それはもう、誓導者の生活圏ではありませんか!」
セリスは頬を朱に染め、思わず叫んでいた。サツキはゼルハルトの重要魔軌士No.1207。宮殿敷地内に住むとなれば、公女王エリシアの許可、さらには正式な外交手続きも必要になる。彼女の脳裏には、あの裏庭での立ち合いの光景と、サツキの真剣な茶色の瞳とが、鮮明に蘇っていた。
(サツキ先輩が嘘をつくはずはありません。ですが……これ、暗に“三番目の座”を狙っていませんこと!?)
セリスの理性と感情が火花を散らす中、事態は公女王エリシアの元へと持ち込まれた。
宮殿最上層、夕闇に染まり始めた執務室。セリスからの報告を受けたエリシアは、意外にも楽しげに目を細めた。窓辺に置かれた魔導灯が、彼女の表情を柔らかく照らし出している。
「……あなたの先輩、随分と真っ直ぐな人ね。いいわ、許可しましょう。外交上の処理はセルヴェンに任せなさい」
「よろしいのですか、陛下。彼女は他国の、それも武門の名家の娘ですわ」
セリスが退出した後、エリシアは開け放たれた窓から、アレンたちの住む別邸を見下ろした。その傍らには、影のように情報局長セルヴェンが控えている。
「局長。アレン殿の周辺が、また騒がしくなりそうね」
「……御意に。サツキ・ハートフィールド。ゼルハルトが秘蔵していた『戦技だけなら歴代最強』と謳われる武人です。彼女の入国、およびNo.0への同行を許可するのは、軍事的な意味でも極めて重い決断かと」
セルヴェンが眼鏡のブリッジを押し上げ、手元のホログラム端末に表示された戦力分析図をエリシアに提示した。データの数値は、これまでアレン隊が積み上げてきた既存の戦力予測値を、明らかに上回るものへと書き換えられようとしていた。
エリシアはそれを一瞥し、静かに独白した。
「サツキという『武の極致』がアレン殿の傍に加わる。……それは、魔術の理を書き換える『零』に、現代魔導文明が忘れ去った純粋な『武』の刃が組み合わさるということ。……ガルディアの軍事的均衡は、もはや一国で抱えきれるレベルを完全に超えつつあるわね」
エリシアの青い瞳が、政治家としての冷徹な鋭さを宿す。
「リィナの絶対防御、セリスの多属性砲撃。そこにサツキの近接制圧が加われば、あのパーティはもはや一つの軍隊を凌駕する……。いいえ、世界十五か国を相手にしても揺るがない、『歩く世界戦略兵器』そのものだわ」
「陛下……。それでも、彼らを繋ぎ止めると?」
「ええ。アレン殿は兵器ではない。人として、ここに居場所を求めている。ならば、彼に引き寄せられる三番目の星も、私は歓迎するわ。……ただし、アレン殿の迷惑にならない範囲で、ね」
エリシアの声には、これまで数多の政治的攻防を乗り越えてきた者だけが持つ、静かな確信があった。彼女にとって、アレンを兵器としてではなく人として扱うという選択は、単なる理想論ではなく、これまで自らが積み重ねてきた判断の延長線上にあるものだった。
数日後。ガルディア公国宮殿の正門。
そこには、家伝の魔導薙刀《朧月》を背負った、凛々しき武人の姿があった。サツキは誓環学院に伝わる『誓導者は、自らの足で主を追うべし』という古い伝統を胸に、一歩を踏み出した。宮殿正門の白亜の柱を見上げる彼女の目には、これまでの旅路の疲労よりも、確かな緊張と決意の色が濃く滲んでいた。
出迎えたアレンに対し、サツキは居住まいを正して深く頭を下げた。
「あなたの力になりたい。あなたの背中を守りたい。そのために、私は参りました」
「…………。お前、何を言っているんだ?」
アレンは身体を僅かに揺らし、本気で困惑した声を上げた。彼の黒い瞳には、これまでの戦場で幾多の理不尽を「消去」してきた者らしからぬ、素朴な戸惑いが浮かんでいた。だが、サツキの真っ直ぐな茶色の瞳は揺るがない。
「承知しております。だからこそ、私は“ここから”始めたいのです」
それはまだ恋を知らぬ、けれど「理外」の男にすべてを捧げようとする、峻烈な誓願の輝きだった。
「サツキ様……本当に来ちゃったんですね……」
リィナが、おろおろと心配そうにアレンの袖を掴む。彼女の淡い青の瞳が、目の前に立つ武人の姿と、アレンの困惑した表情との間を、忙しなく行き来していた。
「アレン様、どうされるんでしょう。本当に居候させるのですか……?」
「先輩は誠実な方です。……ですけれど!」
セリスは隣で、もどかしげに拳を握りしめていた。
(“常にそばに”なんて、やはり誓導者を狙っているに決まっていますわ!)
別邸を包む、かつてない奇妙な緊張感。それを高みから見下ろすエリシアは、静かに独りごちた。
「さて……彼女はどう動くのかしら。理外の男に引き寄せられる、三番目の星になるのか」
ガルディアに吹く新たな風。それは、アレン・ヴァルグレイという男を巡る運命を、さらなる混沌と、そして強固な「最強」へと加速させていく。夕暮れの正門に立つ四人の影は、それぞれの思惑を宿しながら、静かに長く伸びていった。




