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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第20章:押しかけの武人

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20-1

八月末。ガルディア公国を包む空気は、未だに肌を焼くような熱を帯びていた。夏の終わりを告げるはずの風は、まだ湿り気を帯びた熱をわずかに孕んだままで、街路樹の葉の色にもどこか気だるさが滲んでいる。ゼルハルト王国での「私用」を終え、航空機から降り立ったアレン、リィナ、セリスの三人は、乾いたアスファルトに落ちる長い影を引きずりながら、その足で公国宮殿へと向かっていた。


「……俺は別邸に帰るぞ。報告など後でいい」


百九十二センチの巨躯を揺らし、アレンが億劫そうに足を止める。腰に新たに収まった白銀の鞘が、宮殿へと続く石畳の照り返しを受けて、鈍く煌めいた。彼は特級魔軌士No.0。その立場上、どこで何をしていようが自由というのが公女王との約束だった。誰に断りを入れる必要もなく行動できる立場にあるからこそ、彼にとって「報告」という行為自体が、優先順位の低い雑務に思えてならなかった。


「そうはいきませんわ。無事に帰国されたのですから、お顔を見せるのが礼儀ですわよ」


セリスが凛とした口調でアレンの腕を軽く引く。彼女の金髪が夏の名残の風に揺れ、その仕草には貴族の令嬢としての矜持と、同時に旅の疲れを労うような柔らかさが同居していた。


「アレン様、エリシア様もきっと心配されていますから……」


リィナも困ったように微笑みながら、主の背中をそっと促した。彼女の淡い青の瞳には、これまでの旅路――二千年の時を超えた刃との邂逅、サツキとの立ち合い――を思い返すような、静かな余韻が宿っている。


結局、アレンは二人の「誓導者」に連れられる形で、公女王の執務室へと向かうことになった。彼は内心で小さく息を吐いたが、その足取りに抗う色はなかった。二人に促されて動くことは、彼にとってもはや自然な日常の一部になりつつあった。



執務室の重厚な扉が開く。そこには、膨大な書類を前にしても気品を失わない、公女王エリシアの姿があった。窓から差し込む夕刻に近い陽光が、彼女の淡い金の髪を柔らかく縁取っている。机上には国政に関わる書類が幾重にも積まれていたが、彼女の背筋はいささかも揺らいでいなかった。


「おかえりなさい、アレン殿。それにリィナ、セリスも」


エリシアはペンを置き、穏やかな微笑を浮かべた。だが、その視線は即座に、アレンの腰に据えられた「それ」を射抜いた。政治家としての鋭敏な観察眼が、些細な変化すら見逃さない。


アレンが普段帯びていた象徴的なショートソードとは明らかに違う。銀色の鞘から漏れ出すのは、現代魔術の規格を嘲笑うかのような、重く静謐な魔力圧だった。それは攻撃的な圧力ではなく、むしろ深い海の底に沈む古い遺物のような、静かで揺るがない存在感だった。


「……大した業物のようね、アレン殿。抜かれずとも伝わってくるわ。その刀身にどれほどのことわりが込められているのか」


エリシアの言葉に、アレンは無造作に鞘に触れた。彼女の言葉には政治的な打算の色は薄く、純粋に一人の女性として、そして国の元首として、目の前の男が纏う新たな気配への率直な好奇心が滲んでいた。



「手に入れるのに、少々手間取ったがな」


アレンは淡々と答え、自身の『アーク・リンク』を操作して決済画面をエリシアに向けた。


画面に躍る数字は、百八億エル。


エリシアはそれを見て、一瞬だけ目を見開き、それから楽しげに口角を上げた。彼女の指先が、その桁数を確かめるように画面をなぞる。


「……百億エルを即座に個人決済。公国の予算を動かす手続きより、あなたの一存の方がよほど動きが速いわね」


ガルディアがアレンに支払っている年俸三兆エルからすれば、それはわずかな端数に過ぎないのかもしれない。だが、一振りの武器の維持管理費としてこれほどの巨額を迷いなく投じる決断力に、エリシアは苦笑するしかなかった。国家財政を預かる者として、彼女はこれまで幾度となく予算配分の攻防を経験してきた。だからこそ、この男の金銭感覚の異常さが、逆に微笑ましく映るのだった。


リィナとセリスは、その光景を慣れた様子で見守っている。


「アレン様ですから、この程度のことは当然ですわ」


セリスが当然のように言い切り、リィナも静かに頷いた。二人にとって、アレンの決断力はもはや驚くようなことではなくなっていた。むしろ、この程度の金額で二千年の歴史を持つ刃を手に入れられたことを、彼女たちは幸運とすら感じていた。



「それで? その美しい刃の由来を聞いてもいいかしら」


エリシアの問いに、アレンは銀色の鞘を一度だけ叩いた。硬質な音が、執務室の静けさにわずかな余韻を残す。


「ゼルハルトの古物商に預けられていた、俺のルーツに繋がる一振りだ。……それ以上の意味はない」


アレンは表情を変えずに答えた。二千年前、第一召喚された自分が特注し、千八百年かけて完成した「この世で最も理外な鉄の塊」だという核心は、今はまだ誰にも明かすつもりはなかった。それは彼にとって、まだ自分自身の中でも整理のついていない、極めて個人的な領域の記憶だった。故国の言葉、二千年前の自分の執念、そして未だ解けぬ召喚の謎――それらを軽々しく口にするには、あまりにも重すぎる過去だった。


エリシアはその言葉の奥にある「語られなかった何か」を、政治家としての鋭い勘で敏感に察知していた。だが、彼女はそれを深く追及することはしなかった。アレンが自ら語るべき時が来るまで、静かに待つ。それもまた、彼女がこの理外の男との関係を築く上で選んだ、一つの誠実さの形だった。


「あなたのルーツ、ね。……いつか、その刃を抜く時が来るのかしら」


「抜かずに済むことを、俺も願っているよ」


アレンは短く答え、執務室を後にした。夕暮れの陽光を浴びて、銀色の鞘が冷たく、けれど確かな温もりを持って煌めいていた。


執務室に一人残されたエリシアは、閉じた扉をしばらく見つめていた。窓の外では、宮殿の庭園に夏の終わりを告げる蝉の声が、まだ名残惜しげに響いている。彼女は静かに息を吐き、再び書類の山へと視線を戻した。だがその胸中には、あの刃の奥に眠る「語られなかった真実」への、拭いきれない予感が、静かに、しかし確かに根を下ろし始めていた。


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