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バルバラの工房を後にしたアレンの腰には、新たな「理外の刃」が帯びられていた。夕暮れのアイアンフォージを歩く三人の足音が、石畳の上に規則正しく響いていく。アレンの身体に、銀色の鞘は驚くほど自然に馴染んでいる。それは二千年の時を超え、主を待ち続けたヒヒイロカネの脇差であった。
「……悪くない。驚くほど手に馴染む」
アレンは無意識にその柄に触れ、鉄の確かな温度を確かめた。指先に伝わる冷たさの奥に、なぜか温もりにも似た確信があった。百八億エルという大金を支払った自覚など、彼には微塵もない。ただ、欠落した第一召喚の記憶の欠片を、ようやく一つ拾い上げた感覚があった。
ふと、アレンは足を止め、アイアンフォージの入り組んだ街並みを見上げた。谷底に沿って立ち並ぶ石造りの建物の間から、幾筋もの煙が夕焼けの空に立ち昇っている。頭をよぎったのは、あまりにも不可解な「時間の空白」だ。バルバラの話によれば、この刀が完成したのは千八百年前。注文されたのは、さらにその二百年前だという。
(……二千年前、俺はどうやってこの大陸に渡ったんだ?)
現代のエルディアでは、大陸間の移動は航空機が一般的だ。中央大陸からここ東大陸まで、空路でも八時間から十二時間はかかる。だが、二千年前の文明に、航空機など存在していたはずがない。彼の脳裏には、これまで見てきた古代文明の遺構や、迷宮に眠る古い技術の断片が次々と浮かんでは消えていった。だが、そのどれもが、二千年前の自分がどのようにしてこの大陸を渡ったのかという疑問には答えてくれなかった。
(セラフィナか。……彼女の術式が、俺を運んだのか?)
古代魔術理論の第一人者である彼女なら、空間を越える術を持っていたのかもしれない。時越召喚術を発明し、魔術生命体創造を完成させたという彼女の存在は、アレンにとって未だ多くの謎に包まれたままだった。だが、その答えを語る者は、今のこの世界には誰もいなかった。アレンは僅かに視線を落とし、雪の残る石畳に映る自らの影を見つめた。
「アレン様、何を考え込んでいらっしゃるのですか?」
リィナが、少し心配そうにアレンの顔を覗き込んだ。彼女の銀髪がゼルハルトの冷たい風に揺れ、柔らかい光を放っている。夕焼けの残照が、その髪をほのかな橙色に染めていた。
「……いや。少し、昔の自分に興味が出ただけだ」
「あら、アレン様が自分から過去を気にされるなんて珍しいですわね」
セリスが、凛とした所作でレイピアのベルトを整え、呆れたように溜息をついた。彼女の口元には、しかし僅かな微笑みも浮かんでいる。
「それよりも、あのような国宝級の品を一発で買い叩くなんて。……相変わらず、私の常識を壊すのがお上手ですわね」
「金なら、また迷宮で稼げばいい」
「ふふ、アレン様らしいです。……でも、新しい旅が楽しみですね」
リィナの満面の笑顔が、アレンの凍てついた思考を優しく解かしていく。彼女の言葉には、これから訪れるであろう新たな展開への、素直な期待が滲んでいた。
「……ああ。帰るか、ガルディアへ」
アレンの短い言葉と共に、三人は空港へと向かって歩き出した。腰の銀刃が、夕暮れの街灯を反射して静かに煌めいている。街並みを行き交うドワーフの職人たちが、時折三人へと視線を向けるが、誰もが忙しなく自らの仕事へと戻っていく。この鍛冶都市にとって、伝説の刃がついに主のもとへ渡ったという事実は、いずれ広く語り継がれることになるのだろう。
だが、彼らはまだ知らない。帝国の地下深くでは、黒鋼派ダルケンがさらなる毒牙を研いでいることを。アレンが英雄視される現状を、彼らは「排除すべき脅威」としてしか見ていない。表向きには称賛と敬意に包まれたこの世界の裏側で、静かに、しかし確実に、新たな謀略が形を成し始めていた。
手にした新たな力は、来るべき動乱への備えとなるのか。それとも、さらなる因縁を呼び寄せる呼び水となるのか。魔軌士No.0の歩みは、世界の運命をより深く、より加速的に変えようとしていた。
空港へと続く道すがら、アレンはふと立ち止まり、腰の《白緋》へと視線を落とした。夕闇が徐々に濃くなる中、その鞘に反射する僅かな光が、彼の黒い瞳に映り込む。二千年前の自分が何を望み、何を守ろうとしていたのか。その答えの全貌は、まだ霧の向こうに沈んだままだった。だが、確かに一つの手がかりを掴んだという実感だけは、彼の胸の内に静かに根付いていた。
「アレン様、飛行機の時間が迫っておりますわ」
セリスの声に促され、アレンは再び歩き出した。三人の背後には、アイアンフォージの谷を埋め尽くす煙突の群れが、夕闇の中でなおも静かに煙を吐き続けている。鋼を打つ音は、この時間になっても絶えることなく、都市全体の鼓動のように響き渡っていた。
空港に到着した三人は、待機していた魔導航空機のタラップへと足を進めた。搭乗口の手前で、アレンは一瞬だけ振り返り、ゼルハルトの山々を見つめた。白銀の峰々が、夕焼けの最後の光を受けて、燃えるような橙色に染まっている。その雄大な景色は、これまでの旅路の重みと、これから続くであろう新たな謎の予感を、静かに三人に刻み込んでいるかのようだった。
「……行くか」
アレンの低い呟きと共に、三人は機内へと乗り込んでいった。ハッチが閉ざされ、やがてエンジンの駆動音が静かに響き始める。滑走路に描かれた魔力陣が青白く発光し、機体がゆっくりと浮上していった。
窓の外に広がるゼルハルトの山岳地帯が、みるみるうちに小さくなっていく。アレンはその景色を眺めながら、腰に収まった《白緋》の重みを、もう一度確かめるように手のひらで触れた。二千年前の自分と、今の自分。その二つの存在を繋ぐ細い糸が、この一振りの刃を通して、ようやく手繰り寄せられ始めていた。
だが、その糸の先に何が待ち受けているのか、この瞬間のアレンにはまだ知る由もなかった。機体は雲海を突き抜け、西大陸へと続く長い航路へと入っていく。理外の騎士の新たな旅は、こうして静かに、しかし確実に、次なる幕を開けようとしていた。




