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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第19章:鋼の記憶

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19-9

バルバラは、工房の奥へと続く分厚い鉄の扉の鍵を開けながら、低く笑った。その笑い声には、これまでの荒々しい気質とはまた違う、長年の秘密を打ち明ける者特有の含みが滲んでいた。扉の隙間から漏れる青白い光が、彼女の褐色の頬を淡く照らしている。


「この街で、あたしらの工房《灰銀炉アッシュ・シルバー》が看板も出さずに細々とやってこれた理由を知りてえか?」


アレンは答えず、ただ熱気を孕んだ風を受け流した。彼の視線は、開かれつつある扉の奥へと固定されたまま動かない。


「……この国じゃ、その『かたな』は、実在を疑われるほどの伝説になってるのさ」


バルバラが語る「伝説」。それは、二千年前に注文され、千八百年前に完成した、この世の「理」を外れた武具の物語。彼女の声は、単なる商談の説明とは異なり、まるで代々語り継がれてきた口伝を暗唱するような、独特の重みを帯びていた。


ゼルハルト王国の歴史において、それは「鍛冶神の遺産」として、多くの戦士や王族たちが追い求めた聖杯に等しかった。工房の壁に飾られた古い道具の数々が、その伝説の長さを静かに物語っているようだった。



「この国の英雄も、近隣諸国の王も、札束を積んでこの扉を叩きに来た」


バルバラは皮肉げに口角を上げた。彼女は工房の壁に掛けられた、幾つもの古い肖像画らしきものへと視線を投げた。それらは歴代の店主たちが記録として残してきたものなのか、いずれも煤で燻されたように黒ずんでいる。


「だが、あたしらの先祖は全員追い返したよ。代々の店主が守り続けてきた『家訓』があるんでね」


彼女はそう言うと、記録台に近い壁に刻まれた古い文字を指し示した。それは、この工房が長い年月をかけて刻み込んできた、絶対の掟だった。


『黒き瞳を持ち、山のような背丈の注文主本人が現れるまで、何人にもこの刃を渡すべからず』


「……それが、ドワーフの意地ってわけか」


アレンが呟くと、セリスが驚愕の色を浮かべて肩を震わせた。彼女の琥珀色の瞳が、その古い文字列を何度も読み返している。


「家訓として二千年も守り続けるなんて……。あまりにも、実直すぎますわ。それに、国宝級の装備がこの路地裏に眠っていたなんて、歴史的な大事件ですわよ!」


セリスの声には、貴族としての教養に裏打ちされた驚きが滲んでいた。彼女はこれまで、幾つもの歴史的遺産や国宝を目にしてきたが、それらのいずれもが、これほど無名の路地裏に隠されていたことはなかった。



「かたな(Katana)」──。その単語の響きが、アレンの脳内で鋭く反響し続けていた。地球で「亜連」として生きていた頃の、魂に刻まれた言葉。この世界のどこにも存在しないはずの発音とイントネーションが、彼の胸の奥に確かな熱を灯していく。


(……俺のいた場所の言葉だ。この世界で、その名称を知る者は俺以外にいないはずだ)


そして、バルバラが呼んだ「アレ(Ale)」という名。二千年前、第一召喚で喚び出されたアレンの名を、当時の住人が聞き違えたのか。あるいは、長い年月を経て「Allen」の『n』が欠落したのか。アレンは自らの推測を、幾度も心の中で反芻していた。


「かたな」という名称、そして「アレ」という不確かな呼び名。その二つのパズルが、アレンの中で完璧に噛み合った。彼の中で、これまで漠然とした違和感でしかなかったものが、確かな輪郭を持った真実へと結晶していく感覚があった。


「……そうか。やっぱり、俺だったんだな」


その言葉は、静かでありながらも、これまでのどんな戦闘後の呟きよりも、深い重みを孕んでいた。工房の熱気の中で、その一言だけが、まるで独立した存在のように静かに響いた。



アレンの言葉に、リィナがそっと彼の服の裾を握った。彼女の淡い青の瞳には、僅かな涙の膜が張っていた。


「アレン様……。二千年前のあなたが、ここを訪れていたのですね」


その声には、これまでずっと霧に覆われていたアレンの過去の一端が、ようやく明らかになろうとしていることへの、静かな感動があった。


「ああ。何を考えていたかは覚えていないが……。少なくとも、今の俺と同じように、何かを切り裂くための力が欲しかったんだろうな」


アレンはそう呟きながら、自らの手のひらを見つめた。そこには、まだ何も握られていない。だが、彼の脳裏には既に、これから対面するであろう「故国の欠片」への確かな予感が満ちていた。


アレンは迷いなく、バルバラが開いた扉の向こう側へと視線を向けた。そこは、周囲の熱気とは隔絶された、極めて静謐な空間だった。冷たい空気が、扉の隙間からゆっくりと工房の熱気を押し返すように流れ出している。



「さあ、見な。千八百年、誰の指も触れさせず、研ぎ澄まされ続けてきた最高傑作だ」


バルバラの太い指が、部屋の最奥にある「封印された岩」を指し示す。彼女の声には、これまでの荒々しさとは異なる、深い敬意すら滲んでいた。長年守り続けてきたものを、ついに正当な持ち主へと渡す瞬間を前にした、職人としての誇りと安堵が入り混じっていた。


アレンの漆黒の瞳に、宿命とも呼ぶべき銀色の輝きが映り込んだ。彼はゆっくりと、その扉の奥へと足を踏み出そうとしていた。工房の外では、依然として他の鍛冶師たちの槌音が絶え間なく響き続けていたが、この一室の静寂だけは、まるで別の時間軸に取り残されているかのように、深く、そして厳かに満ちていた。


リィナとセリスは、互いに視線を交わし、静かに頷き合った。二人の脳裏には、これまで共に歩んできたアレンとの旅路が過っていた。数々の迷宮を踏破し、帝国の最強と渡り合い、国家の均衡すら左右する存在となった彼が、今、二千年前の自分自身と向き合おうとしている。その瞬間に立ち会えることに、二人は言葉にならない感慨を覚えていた。


工房の奥から漂う冷気が、三人の頬を撫でた。それは、これから対面するであろう「鍛冶神の最高傑作」が放つ、静かで確かな存在感の予兆だった。アレンの足が、封印の解かれた扉の敷居を越えようとしている。二千年の時を超えて、ようやく主のもとへと辿り着こうとしている刃の気配が、部屋の奥から確かに伝わってきていた。


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