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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第19章:鋼の記憶

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19-8

バルバラはすすのついたタオルを肩に投げ、工房の奥にある古びた記録台へと歩み寄った。彼女の足取りには、先ほどまでの荒々しさとは異なる、どこか厳かなものが滲んでいた。そこには、現代の紙とは明らかに質感が異なる、黄ばんだ羊皮紙が厳重に保管されている。硝子の覆いの中に収められたその紙束は、幾重にも折り重なった年月の重みを静かに主張していた。


「……話は二千年前まで遡る。ご先祖様が残した記録だ」


バルバラの低い声が、工房の熱気の中に重々しく響く。彼女は硝子の覆いを慎重に開け、羊皮紙の一枚を丁寧に取り出した。その手つきには、鍛冶師としての荒々しさとはまるで異なる、繊細な扱いがあった。


「一人の剣士が現れた。お前と同じ、漆黒の髪と瞳を持つ男だ」


アレンは無言でその言葉を咀嚼そしゃくした。二千年前──それは、彼がセラフィナによって「第一召喚」を受けた時期と重なる。その符合が、彼の胸の奥にじわりと熱を灯していく。



「男は言った。『故国の形を打ってくれ』とな。こっちの世界にゃ存在しねえ、反りのある片刃の剣 ── それが『かたな』だ」


バルバラが鉄の机を指先で叩く。その音が、静まり返った工房に硬質な余韻を残した。


「代金は、当時の言葉で『古代金貨』。全額前払いだ。今の価値に直せば、一国が買えるほどの額だったそうだよ」


リィナが小さく息を呑んだ。彼女の指先が、無意識にアレンの袖をそっと掴んでいた。


「前払い……。二千年も前に、ですか?」


「ああ。だがな、注文を受けた当時の職人どもは頭を抱えた。その『かたな』という形状を魔導工学で再現するには、当時の技術じゃあまりに時間が足りなかったんだ」


バルバラは羊皮紙を目の高さに掲げ、その文字を追うようにして語り続けた。彼女の瞳には、これまでの世代を通じて受け継がれてきた職人としての誇りと、僅かな苦労の色が滲んでいた。



バルバラは不敵に笑い、炉の炎を睨みつけた。炎の揺らめきが、彼女の褐色の肌に赤々とした陰影を刻んでいく。


「鉱石を打ち、魔石を練り込み、魔術式を鋼に刻む。……完成までに、実に二百年を要した」


「二百年……!?」


セリスが、驚愕のあまり令嬢らしからぬ声を上げた。彼女は普段の凛とした佇まいを一瞬忘れ、思わず身を乗り出していた。


「作成に二百年なんて、普通なら職人も注文主も死んでしまいますわ!」


「ドワーフの執念を舐めるな。当時の鍛冶師が切磋琢磨し、ようやく完成したのが千八百年前だ。だがな ── 」


バルバラが、鋭い眼光をアレンに向ける。工房の炎の音だけが、その一瞬の沈黙を埋めていた。


「商品は、ついぞ受け取りに来なかった」


その言葉には、二千年という気の遠くなるような年月の重みと、幾世代にもわたる職人たちの無念が込められているようだった。



アレンはこめかみに指を当て、思考を巡らせた。二百年。千八百年前。数字の桁が、あまりにも現実離れしている。彼の脳裏には、これまで見聞きしてきたどんな歴史的事実よりも、遥かに長大な時間の流れが横たわっていた。


「……普通、人間なら死んでるな」


アレンの乾いた声が響く。その声の端には、僅かな自嘲めいた響きが混じっていた。


「全くだ。だが記録に残る注文主の名前は、お前がさっき言った言葉にそっくりだ。……『アレ(Ale)』。お前様、本当に心当たりはねえのか?」


バルバラの言葉に、リィナとセリスの視線が一斉にアレンへと向けられた。工房の熱気の中で、その視線だけが静かに彼を追い詰めていく。


アレンの脳裏に、第一召喚時の記憶が火花のように散った。亜連あれん。Allen。もし、二千年前の住人が、彼の「名前」を正確に聞き取れなかったとしたら。


(……俺の聞き間違いか? 『アレン(Allen)』が、長い年月を経て『アレ(Ale)』に転訛てんかしたのか……?)


その仮説が、彼の中で急速に確信へと変わっていく。彼はゆっくりと拳を握りしめ、こみ上げる感情を静かに抑え込んだ。



「二百年かけて作り、千八百年待ち続けた。それがこの店の『誇り』だ」


バルバラが、工房の奥にある扉の魔導封印を解いていく。彼女の指先が、幾重にも刻まれた魔法陣の一角に触れると、青白い光が波紋のように扉全体へと広がっていった。長年の封印が、ゆっくりと、しかし確実に解かれていく様子が、三人の目にも鮮明に映った。


「さあ、入んな。二千年のときを越えて、お前さんを待ち続けていた『故国の欠片』と対面しな」


その言葉には、ドワーフとしての矜持と、二千年の間、家訓を守り続けてきた者だけが持つ深い感慨が滲んでいた。バルバラの瞳には、僅かながら潤みすら見えた。彼女自身、幾世代にもわたって語り継がれてきた「伝説の注文主」が、ついに目の前に現れたという事実に、内心では激しく心を揺さぶられているようだった。


リィナがアレンの背中にそっと手を添え、セリスが凛とした表情で頷く。二人の視線には、これから明らかになるであろうアレンの過去への、確かな期待と、僅かな緊張が同居していた。


アレンは一歩、工房の最奥へと踏み込んだ。彼の足音が、静まり返った空間に硬質な余韻を残す。開かれた扉の向こうから、これまでの熱気とはまた異なる、静謐で冷たい空気が僅かに流れ出してきた。そこには、彼の失われた過去と、この世界の「ことわり」を切り裂くための、新たな力が眠っているはずだった。


工房の外では、依然として他の鍛冶師たちの槌音が絶え間なく響いていた。だが、この一室だけは、まるで時が二千年前のまま止まっているかのような、深い静寂に包まれていた。アレンの黒い瞳が、その奥に眠る何かを、確かに見据えていた。


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