19-7
アイアンフォージの裏路地。魔石精錬の煙が低く立ち込め、肺を焼くような熱気が漂っている。石畳の隙間からは、幾重にも重なった錆と煤の匂いが立ち上り、都市の空気そのものに染み付いていた。立ち並ぶ工房から響くのは、鋼を叩く力強い律動。カン、カン、という規則正しい音が、路地の奥から奥へと反響しながら重なり合っている。
三人は空港からの道すがら、都市の中心部から外れた区域へと足を進めていた。表通りの喧騒――商人たちの呼び込みや、行き交う職人たちの怒声にも似た挨拶――が徐々に遠のき、代わりに静けさと熱気だけが濃くなっていく。狭い路地は迷路のように入り組み、頭上には洗濯物や乾燥中の薬草らしきものが吊るされ、僅かに揺れていた。
「……ここか」
アレンが足を止めたのは、看板すら掲げていない石造りの古びた工房だった。壁面には長年の使用によって黒く煤けた跡が幾筋も走り、扉の木材も年輪を刻むように風化している。隙間から漏れ出す火花が、石床をオレンジ色に染めていた。その規則的な明滅が、まるで工房そのものが呼吸をしているかのように見えた。
「アレン様、本当にここでよろしいのですか……?」
リィナが不安げにアレンの袖を引いた。彼女の淡い青の瞳が、看板の一つもない工房の外観を不安げに見つめている。周囲の他の工房と比べても、際立って質素な佇まいだった。
「構いませんわ。歴史ある技術ほど、路地裏に隠れているものですわよ」
セリスがレイピアの柄に手を添え、凛とした佇まいで周囲を警戒する。彼女の視線は油断なく通りの左右へと向けられていた。誓導者としての本能が、この静かな区画に潜む僅かな緊張感を敏感に嗅ぎ取っていた。
アレンが無造作に扉を開けると、凄まじい熱波が三人を迎えた。それはこれまで感じていた工房群の熱気とはまったく異なる、肌を直接炙るような強烈な熱だった。工房の中央。巨大な魔導炉の前で、一人のドワーフが巨大なハンマーを振るっていた。
逞しい腕。火床の熱に焼かれた褐色の肌。筋骨隆々としたその体躯は、まさに「動く岩山」そのもの。振り下ろされるハンマーのたびに、鋼の塊が火花を撒き散らし、その残光が薄暗い工房の壁を一瞬だけ照らし出す。短い髭を蓄えたその顔は、職人の険しさに満ちていた。
「──チッ、客か。見ての通り忙しいんだ。あっちへ行ってな」
地響きのような低い声。ドワーフは手を止めず、背中越しに吐き捨てた。ハンマーの一撃一撃が、まるで会話を遮断するかのように工房全体を震わせていた。
「あの、すみません。親父さん……!」
リィナが気圧されながらも、勇気を出して声をかける。彼女は声を張り上げながらも、両手を胸元でぎゅっと握りしめていた。
「……親父さん?」
ハンマーの音がピタリと止まった。工房の中に、火の爆ぜる音だけが残された。
ドワーフがゆっくりと振り返った。腰に手を当て、煤で汚れた顔を歪めて叫ぶ。
「誰が『親父』だ、この小娘! あたしを捕まえて男扱いするたぁ、いい度胸してるじゃねえか!」
「……えっ?」
リィナが目を丸くする。彼女はその剣幕に驚き、思わず一歩後ずさった。
「……失礼。……男性の方では、ないのですか?」
アレンが珍しく、戸惑ったように瞬きをした。彼のこれまでの経験の中でも、これほど明確に判断を誤ったことは稀だった。
「どこをどう見りゃ男に見えるんだよ! この豊かな胸(大胸筋)と、しなやかな腰つき(腹筋)が見えねえのかい!」
ドワーフ──バルバラ・グレイアンクは、自らの隆起した筋肉を誇示するようにポーズを取った。工房の炎の光を受けて、その筋肉の陰影がくっきりと浮かび上がる。彼女の表情には、憤慨と同時に、どこか誇らしげな色も滲んでいた。
「……リィナ。ドワーフの美意識というのは、人間のそれとは根本的に異なるようですわね」
セリスが頬を引きつらせながら、そっとリィナの耳元で囁いた。彼女は必死に表情を保とうとしていたが、口元がわずかに震えていた。
「そ、そうですね、セリス……。失礼いたしました、バルバラさん」
リィナが慌てて頭を下げる。彼女の頬には、僅かな赤みが差していた。
バルバラはフン、と鼻を鳴らすと、タオルで乱暴に顔を拭った。汗と煤が混じり合い、タオルには黒い染みが幾つも刻まれていく。
「……まあいいさ。アイアンフォージじゃよくある間違いだ」
そう言いながらも、彼女の視線には、先ほどまでの怒りとは違う、何かを推し量るような色が浮かんでいた。彼女の視線が、改めてアレンへと向けられる。不機嫌そうな眼光が、アレンの足元から、遥か頭上へと移動していく。
百九十二センチの圧倒的な長身。そして、漆黒の闇を溶かし込んだような、静謐な黒い瞳。バルバラの視線がその瞳の奥に留まった瞬間、彼女の動きが、凍りついたように止まった。
「……でかいな。それに、その黒い目」
バルバラの声から、先ほどまでの冗談めいた勢いが消えた。彼女はアレンを見上げ、不敵な、それでいてどこか感慨深げな笑みを浮かべる。工房の炉の炎が、彼女の表情に赤く濃い影を落としていた。
「家訓にある通りの姿だ。山のような背丈に、黒い瞳」
彼女は工房の奥、厳重な魔導封印が施された扉を親指で指し示した。その扉には、複雑な魔法陣が幾重にも刻まれ、僅かに青白い光を帯びていた。長い年月をかけて積み重ねられたであろう封印の跡が、扉全体を覆っている。
「……ようやく、取りに来たか。二千年の刻を越えて」
バルバラはハンマーを肩に担ぎ、白い歯を見せて笑う。その笑顔には、これまで幾度となく現れたであろう偽物の注文主たちを追い返してきた、長い年月の重みが滲んでいた。だが同時に、今この瞬間の到来を、まるで自分自身のことのように喜んでいるような、素朴な温かさもあった。
「あんたが注文した、この世で最も理外な『鉄の塊』 ── しっかり受け取っていきな、アレ(Ale)!」
その一言に、工房の熱気が一段と重みを増したように感じられた。アレンは無言でその言葉を受け止め、僅かに目を細めた。二千年前の「アレ」という呼び名が、初めて他者の口から発せられたその瞬間、彼の胸の奥で、鈍く何かが疼いた。それは痛みにも似ていたが、同時に、長らく探し求めていたものへと確実に近づいているという、確かな手応えでもあった。
リィナとセリスは、その言葉の重みを察し、互いに顔を見合わせた。二人の視線が、アレンの横顔へと戻る。彼の表情に浮かぶ僅かな緊張の色を、二人は静かに見守っていた。工房の外では、依然として鋼を打つ音が絶え間なく響き続けている。その律動が、まるでこれから明かされるであろう、二千年に及ぶ物語の序曲のように、三人の周囲に静かに満ちていった。




