18-14
爆炎の残滓と不気味な静寂が、交互に廃墟を支配していた。
帝国最強の「双璧」、ヴァルツとアドラは舗装路に膝をつき、肩を激しく上下させていた。荒い呼吸が二人の口元から漏れるたび、白い息が曇天の下に立ち昇っては消えていく。その背後では、六名の特級誓導者たちが魔力枯渇により顔を蒼白にさせ、もはや主に送るべき循環の糸さえ維持できず、その場に頽れていた。エリナが地面に手をついたまま、震える指先で自らの魔力回路を確かめ、その反応の鈍さに小さく息を呑んでいる。
「……まだだ。No.0……。貴様の底、もっと見せろ……!」
ヴァルツが、口内に溜まった血を吐き捨てながら、震える腕で立ち上がろうとする。軍神と謳われた男の瞳には、敗北への恐怖ではなく、自身の研鑽の全てを「無」へと還す理外の深淵に触れたことへの、狂おしいほどの渇望が灯っていた。腕の震えを堪えながら、彼はもう一度地面を踏みしめようとしたが、両膝は再び崩れ落ちた。
「はは……楽しいな……! 久しぶりだよ、こんな絶望……! もっとやろうぜ、アレン!」
アドラもまた、清々しさすら漂う乾いた笑みを浮かべ、指先から溢れ出す不安定な燐光を弄んでいた。だが、その命の灯火である魔力はすでに限界を超え、構築しようとする魔法陣が霧散を繰り返している。彼が指先を軽く振るたびに、微かな光の粒がわずかに形を成しては、すぐに崩れて消えていった。
「アレン様……もう、これ以上はいけません!」
悲痛な声を上げたのはリィナだった。震える足取りでアレンの隣へと駆け寄った。彼女の瞳には涙が滲み、両手はアレンの袖をきつく握りしめている。
「このままじゃ、本当にどちらかが死んでしまいますわ……!」
セリスもレイピアを鞘に収め、これ以上の衝突を物理的に拒むように、アレンと帝国の間にその身を置いた。彼女の背中には、これ以上の破壊を止めたいという強い意志が滲んでいた。彼女自身、これまでの戦いの中で幾度となく「誰かを守るための力」と「誰かを壊すための力」の境界について考え続けてきた。今このとき、その答えを目の前で確かめようとしているかのようだった。
アレンは二人の気配を背中に感じながら、感情の起伏を一切見せず、ただ静かに一歩前へと踏み出した。彼の足取りには、迷いも躊躇いもなかった。
「……分かっている。ここで終わらせる」
全世界の『アーク・リンク』が、夕闇の逆光に浮かび上がらせるアレンの「右手」を、鮮明に映し出していた。各国の指揮所、市井の家庭、軍の兵舎――あらゆる場所で、無数の視線がその一点に注がれていた。アレンは無造作に、抵抗する意志を失わぬ二人の戦士へと掌を向けた。
「──《衝撃制御》」
次の瞬間、戦場に「音のない衝撃」が走った。それは周囲の瓦礫を吹き飛ばすような粗野な暴力ではない。対象の内部組織へのダメージを完全に遮断し、ただ「睡眠」と「転倒」の運動ベクトルのみを強度を固定して叩き込む、理外の精密制御であった。空気そのものがわずかに歪んだように見えたが、目に見える衝撃波は一切生じなかった。
「……っ……あ……」
ヴァルツの岩のような巨躯が、見えない壁に打たれたように静かに揺れた。アドラの狂気を帯びた意識も、アレンが放った純粋な「停止の数式」によって、一瞬で深い闇へと沈められた。帝国の象徴であった二人は、傷一つないまま、糸の切れた人形のようにその場へ膝をつき、そのまま眠るように崩れ落ちた。地面に横たわる二人の胸は、規則正しく上下していた。それは戦闘の終わりというよりも、まるで穏やかな眠りに落ちたかのような光景だった。
「……アレン様……!」
「……殺さずに、あの二人を……一瞬で……?」
セリスの驚愕の声が、中継ドローンを通じて大陸全土へと響き渡った。彼女自身、これまで数えきれないほどアレンの戦いを間近で見てきたはずだった。それでも、この瞬間の光景には、改めて言葉を失わずにはいられなかった。
数十億の画面越しに、エルディア大陸全体が深い沈黙に包まれた。そこに映っていたのは、黒鋼派が喧伝した「破壊の怪物」ではない。帝国最強の二人を「殺す」ことよりも遥かに困難な「無傷での完全制圧」を、呼吸をするように成し遂げた、圧倒的な理の支配者であった。各国の指揮所では、これまでアレンを危険視していた将校たちでさえ、言葉もなくその映像を見つめ続けていた。
(……嘘だろ。あの二人を、眠らせただけなのか……?)
(No.0……。こいつは怪物なんかじゃない……。その力を完璧に御せる、本当の守護者なんだ……)
情報の毒液によって塗り固められていた不信感は、この瞬間、完全に霧散した。世界中の首脳陣、そして魔術師たちは悟った。アレン・ヴァルグレイという最強の牙を敵に回すのは、もはや生存を諦めるに等しい。彼という「零」は、味方にする以外の選択肢など存在しないのだということを。
その時、戦場の端にある地下軌道のハッチが跳ね上がり、金属の擦れる激しいブレーキ音が廃墟に響き渡った。中継を終えるや否や、王宮から超高速魔導車を逆走させて駆け戻ってきたのは、新国王エリオットであった。彼はまだ動いている車両から飛び出すようにして降りると、砂煙をものともせず、畏敬の念を隠さぬ確かな歩調でアレンへと歩み寄った。その顔からは先ほどの焦燥が消え、代わりに一国の主としての深い覚悟が宿っている。彼の礼服の裾は瓦礫の埃で汚れていたが、そんなことを気にする余裕は今の彼にはなかった。
「アレン殿……。アークレスト王国を救ってくださり、心より……心より感謝いたします」
エリオットは深く頭を下げた。一国の王が他国の、しかも自分より若い魔軌士に膝を折るという、外交史を塗り替える異例の事態。だが、その瞳はアレンの強さを「世界の真理」として認め、自国の再建を彼の背中に託す決意で満ちていた。周囲に集まりつつあった復興作業員たちも、遠巻きにその光景を見守っていた。
「礼はいらない。……任務だからな」
アレンは胸ポケットの、白銀の「0」が刻まれた端末を軽く叩き、短く返した。その言葉には気負いも誇示もなく、ただ淡々とした事実だけが込められていた。
「……お疲れ様でした、アレン様」
リィナがそっとアレンの隣に寄り添い、その腕を優しく抱いた。彼女の瞳にはまだ涙の跡が残っていたが、その表情はすでに穏やかな安堵に満ちていた。その穏やかな微笑みは、世界中のどんな喝采よりも、戦い終えたアレンの心を静かに満たしていく。
「ほんと……。あなた様は、いつも無茶ばかりなさるんですから」
セリスが呆れたように、けれど赤らんだ顔を隠すようにそっぽを向いた。彼女の口元には、隠しきれない安堵の笑みが浮かんでいた。
「……二人が無事なら、それでいい」
アレンのその言葉は、マイクが拾えないほど微かな呟きだったが、隣にいる二人には何よりも強く、魂を震わせる響きとなって届いた。
アレンたちは、動揺する帝国軍やアークレストの群衆を余所に、ゆっくりと戦場を離れた。中継ドローンは、その静かな退場を、まるで伝説の目撃者となったかのようにいつまでも追い続ける。倒れ伏したままのヴァルツとアドラの周囲には、彼らの誓導者たちがようやく身を起こし、静かにその身を寄せ集めていた。誰一人として、もはやアレンたちを追おうとする者はいなかった。
高身長が落とす長い影が、夕暮れのアークレインの舗装路に伸びていく。既存の序列を無効化し、魔術の理を書き換える「No.0」。誰よりも強く、そして誰よりも静かに愛する者を守り抜くその背中こそが、エルディア大陸の新たな秩序を象徴する「理外」の姿であった。




