18-12
戦闘開始から、わずか数分。
アークレストが誇る地下高速軌道によって王宮へと帰還した新国王エリオットは、肩で激しく息をしながら王宮最上層の広報官制室へと飛び込んだ。魔導車を降りた瞬間から全力で走り続けた彼の額には、汗と埃が入り混じり、王族としての気品を取り繕う余裕すらなかった。
「……陛下! お戻りで!」
「構うな、準備を急げッ!」
エリオットは官僚たちの制止を振り切り、指揮席のコンソールへと手を伸ばした。彼の指先は、極限の緊張と怒りで微かに震えている。周囲の官僚たちは、普段温厚な若き王のこれほどまでに切迫した様子を見たことがなく、誰もが息を呑んで彼の動きを見守っていた。
(……ふざけるな。帝国が、我が国でこれ以上の暴挙を働くなど……断じて許されることではない)
エリオットの脳裏には、再建途中の自国を土足で踏み荒らし、国際任務として訪れたアレンたちを「検分」と称して蹂躙しようとするヴァルツとアドラの姿が焼き付いていた。このまま沈黙を守れば、アークレストは再び「力」を持つ帝国の支配下に置かれ、再建の灯火は消されてしまう。彼の脳裏には、父フォルディスが精神侵食によって国を歪ませた過去の光景も重なっていた。二度と、この国を他者の思惑に蹂躙させるわけにはいかない。
(世界に見せるんだ。情報の毒液で塗り固められた嘘ではなく、今、目の前で起きている『真実』を! これが帝国のやり方だと……世界に告発してやる!)
若き王の瞳に強い覚悟が宿る。彼はコンソールの中央にある真紅のカバーを跳ね除け、一つの物理スイッチを力任せに押し込んだ。それは、国家再建の記録を世界に証明するために用意されていた、アークレストが持つ正当な国際権限 ──「全大陸緊急優先チャンネル」の起動プロトコルであった。指先に走る痺れるような感触とともに、彼はこの決断が持つ重みを全身で感じ取っていた。
その瞬間、王都アークレインの中央にそびえ立つ巨大な通信監視塔が、天を衝く白銀の輝きを放ち始めた。塔全体を包み込むように広がる光は、まるで王都全体に新たな心臓が鼓動を始めたかのようだった。
「……何? あの塔、光ってますわ……!?」
重圧の中でレイピアを構えていたセリスが、驚愕に目を見開いた。周囲を旋回し始めた無数の記録ドローンが、一斉にレンズをアレンたちへと向け、赤く明滅する。それらは工業区の各所に配置された監視機構の一部であり、通常であれば建築物の安全確認に用いられるだけの装置だった。だが今、それらは全く別の役割を担わされようとしていた。
アレンは迫り来る光矢を無造作に払いながら、不快そうに監視塔を睨みつけた。彼にとって、他者の目に晒されることそのものにはさほど関心がなかったが、この不測の事態が戦況に何らかの変化をもたらすことだけは即座に察知していた。
「……嫌な予感しかしないな」
直後、大陸全土に激震が走った。世界十五か国、数十億のアーク・リンクが一斉に、耳を劈くような緊急通知音を奏でたのである。街の雑踏で、家庭の食卓で、軍の指揮所で、その音は一斉に鳴り響き、人々の日常を切り裂いた。
「えっ……何これ、勝手に映像が……!?」
ガルディアの賑やかな市場で買い物客が足を止める。籠を抱えたまま立ち尽くす女性、露店の主人が慌てて端末を覗き込む様子。市場全体が、一瞬にして静寂に包まれた。
帝国の前線兵舎で、兵士たちが自身の端末に映し出された「信じがたい光景」に息を呑んだ。訓練の合間に休憩を取っていた者たちが、次々と端末の周りに集まり始める。誰もが無言のまま、画面に釘付けになっていた。
画面に映っていたのは、これまで黒鋼派が「魔術師を殺す非道な怪物」として情報を流し続けていたアレン・ヴァルグレイの姿だった。だが、エリオットが晒した「真実」は、情報の毒液によって加工されたそれとは根底から異なっていた。
画面の中では、帝国最強のNo.1ヴァルツとNo.3アドラが、計六名の誓導者を従え、まるで死神の群れのようにアレンたちへ殺到していた。対するアレンは、長身の巨躯を「壁」として立たせ、背後に控えるリィナとセリスを、その大きな背中で完全に覆い隠していたのである。カメラのアングルが変わるたびに、その構図はより鮮明に視聴者の目に焼き付いていった。
アドラから放たれた回避不能の光矢の雨が、光速でアレンの頬を掠めていく。だが、アレンは一歩も引かなかった。彼は自らが傷つくことを一切厭わず、背後の二人に衝撃が届かぬよう、《魔術消去》の波紋を盾のように展開し続けていた。
「これ……帝国が、寄ってたかって仕掛けているのか……?」
「見てくれ。あのNo.0……女性二人を守るために、一歩も動いていないぞ」
各国の指揮所や酒場、街角のあちこちで、同じような呟きが次々と交わされていた。誰かが息を呑む音、誰かが端末を握る手に力を込める音。そうした小さな反応が、大陸全土で連鎖的に広がっていった。
「(……完全に逆効果だ。これでは、奴が『守護者』に見えてしまう)」
視聴者たちの間で、これまでの報道に対する「不協和音」が生まれ始めた。情報の毒液は、目の前の圧倒的な「献身」という事実の前に、その効力を失いつつあった。怪物と呼ばれた男が、二人の女性を守るために帝国最強の暴力に耐え忍ぶ。その痛々しくも神々しい姿に、人々はかつて聞かされた『異端』というレッテルが、強者による一方的な嘘であることを、本能的に見抜き始めていた。
老若男女を問わず、街角に集まった人々の表情には、これまでの疑念とは異なる感情が浮かび始めていた。恐怖ではなく、驚き。そして、その奥にはわずかな敬意さえも滲んでいた。
激闘の最中、リィナが震える声を上げた。
「アレン様……! 映っています……! 世界中のアーク・リンクに、私たちの戦いが……!」
彼女の声には、動揺と共に、どこか羞恥にも似た戸惑いが混じっていた。世界中の視線が自分たちに注がれているという事実は、これまで幾多の戦場を経てきた彼女にとっても、異質な重圧だった。
「どうするの!? これ、全世界に見られてますわよ!」
セリスの焦燥。リィナの困惑。二人の視線が交錯し、瞬時に困惑の色を分かち合う。しかし、その動揺はほんの一瞬のことだった。
その声を受け、アレンは一瞬だけ、上空を旋回するドローンのカメラを仰ぎ見た。
その漆黒の瞳に宿っていたのは、動揺でも、政治的打算でもない。自分たちを「見世物」にしている世界に対する、深海のごとき深い「無関心」であった。彼の視線は数秒でカメラから逸れ、再び目の前の脅威へと向けられた。
「……好きにしろ」
通信回路を通じて、アレンの平坦な声が大陸全土へと響き渡った。彼の声は特別に大きくもなければ、感情的に強調されたものでもなかった。ただ、その静けさこそが、逆に世界中の耳を捉えて離さなかった。
「俺はただ ── 後ろの二人に傷がつくのが嫌なだけだ」
その言葉に、世界中が沈黙した。街の喧騒がふと止まり、軍の指揮所では誰も口を開かなかった。権威に屈せず、名誉にも興味を示さず、ただ守るべき者のために最強の暴威を一人で引き受ける。その孤高の意志は、もはや恐怖の対象などではなかった。
ガルディア国内では、自国の騎士が最強国家を圧倒する姿に、地鳴りのような歓声が上がった。宮殿の一室でその中継を見守っていた宰相リオネスは、思わず身を乗り出し、隣に控える情報局長セルヴェンと視線を交わした。市井では、人々が窓を開け放ち、隣人と共に喜びの声を上げる光景があちこちで見られた。
一方で、帝国軍内部には「自慢の切り札が通用していない」という事実が、取り返しのつかない動揺となって広がっていく。軍務院の一室では、若い将校たちが顔を見合わせ、誰もが言葉を失っていた。これまで絶対的な強さの象徴として仰いできたヴァルツとアドラが、まるで手も足も出ていないように見える映像は、彼らの信念の根幹を揺るがすものだった。
既存の序列を無効化する圧倒的な力。そして、それを「愛する者を守る」というただ一点のためにのみ行使する、鉄の自制心。この二つが同居する存在は、これまで誰も目にしたことがなかった。
「……No.0(ゼロ)」
魔術師たちの間で、そして一般市民の間で、その数字は「世界の脅威」から、既存の歪んだ秩序を塗り替える「新たなる守護者」の象徴へと、劇的な反転を遂げた瞬間であった。中継はなおも続き、アレンの背に守られた二人の誓導者の姿が、大陸中の人々の記憶に深く刻み込まれていった。




