18-11
古代魔導兵器の残骸から、黒い煙が細く立ち昇っていた。第四工業区に束の間の静寂が戻ったはずのその瞬間 ── 突如として、大気が「物理的な質量」を伴って押し潰されるように重くなった。
「……っ、アレン様、これは……!?」
リィナが微かに足元をふらつかせ、咄嗟に自身の《三重魔導護膜》をさらに強固に安定させた。展開されたはずの膜が、目に見えぬ重圧によって内側へ軋むような感覚があった。彼女の呼吸が浅くなり、指先が無意識に胸元を押さえる。魔力感知に掛かる攻撃術式ではない。それは、発せられる魔力そのものが周囲の物理法則を狂わせるほどの「圧倒的な存在感」の表れであった。
「魔力じゃない……物理的な『圧』ですわ……!?」
セリスの琥珀色の瞳が驚愕に見開かれる。彼女の鋭敏な知覚は、開けた曇天の上空から、隕石のごとき速度で降り注ぐ二つの巨大な魔力源を正確に捉えていた。空気そのものが軋み、周囲の瓦礫が細かく振動している。まるで大気全体が、二つの存在の重みに耐えかねているかのようだった。
「……来たか」
アレンだけが、感情の起伏を見せず静かに空を仰いだ。大気を震わせる重圧を受けてもなお、岩のように揺らがない。その黒い瞳には、驚きも警戒も浮かんでいなかった。ただ静かに、迫りくる二つの気配の質量と速度を測るように、視線を上空へと固定していた。
上空から、二つの影が猛然と降下してきた。凄まじい衝撃と共に、厚いアスファルトがクモの巣状に陥没し、砂煙が吹き上がる。舗装路の破片が周囲に飛散し、リィナが咄嗟にセリスを庇うように一歩踏み出した。
一人。ヴァルゼン帝国の象徴、魔軌士No.1ヴァルツ・レグナス。軍神を思わせる重厚な魔導鎧を纏った巨躯は、ただ佇むだけで周囲の景色を歪ませるほどの威圧感を放っている。着地の衝撃で生じた陥没穴の中心に立つその姿は、まるで戦場そのものの化身のようだった。その背後には第一誓導者エリナら三名の誓導者が、精密な魔力循環を維持したまま、静止した彫像のように控えていた。彼女たちの表情には一切の緊張の乱れがなく、長年の連携によって培われた完璧な統制が窺えた。
もう一人。不敵な笑みを浮かべ、銀髪を奔放に揺らす青年。魔軌士No.3アドラ・ヴェルンハイト。「実力最強」と目されるその天才の周囲では、ミレイユら三名の誓導者が、主の溢れ出る魔力をミリ単位の精度で最適化し続けている。アドラの立ち姿には軍人らしい規律よりも、獲物を前にした獣のような自由さが滲んでいた。
「よぉ、アレン。古代兵器、あっさり壊したんだって?」
アドラが、バカンスの挨拶でもするように指を鳴らした。その口調には、これから起こるはずの戦闘への期待が隠しきれない色で滲んでいる。
「……確認に来た」
ヴァルツの声は、地響きのように重く響いた。短い言葉の奥に、帝国という国家の威信そのものが込められているようだった。
「ヴァルツ殿、アドラ殿……!」
護衛を振り切って駆け寄った新国王エリオットの声が上がる。彼の顔には、疲労と困惑、そして怒りが入り混じっていた。自国の再建すら覚束ない中で、他国の最強格が土足で踏み込んできたという事実に、彼の理性はぎりぎりのところで踏みとどまっていた。
「これは我が国の内政問題です! 帝国の介入は ──」
「黙れ。我々は『魔軌士局の権限』でここにいる」
ヴァルツの冷徹な一言が、若き王の言葉を物理的な圧力で封じた。エリオットの喉が詰まり、それ以上の言葉が出てこなかった。彼の背後に控えていた護衛兵たちも、ヴァルツの放つ威圧感に思わず後ずさりしている。
「そうそう。それにね ──」
アドラが、獲物を見定めるような鋭い視線をアレンへ向けた。その目には、これまで見せていた飄々とした笑みとは異なる、狂気に近い興奮の色が浮かんでいた。
「『No.0』がどれだけやれるか、見に来ただけだよ」
「……“検分”、ですって……?」
リィナの声が震える。彼女は展開したままの障壁の内側で、両手をぎゅっと握りしめていた。
「ふざけています! 戦いの直後の相手に、礼を失していますわ!」
セリスが声を荒げ、レイピアの柄に手をかけた。彼女の琥珀色の瞳には、明確な怒りが宿っていた。ついさっきまで死力を尽くして古代兵器と戦っていたばかりだというのに、休む間もなく別の脅威が牙を剥いてくる――その理不尽さへの憤りが、彼女の声を震わせていた。
「No.0 は世界の均衡を左右する」
ヴァルツが重々しく一歩を踏み出した。その足跡を中心に、陥没した地面がさらに深く沈み込む。まるで大地そのものが彼の重みに屈しているかのようだった。
「ならば、最強を自負する我々が、その資格を“確認”する義務がある」
「簡単に言うとさ ──」
アドラの瞳が、歓喜に近い狂気を帯びて光った。彼の背後で待機する誓導者たちの表情にも、緊張と期待が入り混じっていた。
「お前が本当に、既存の序列を壊す『理外』かどうか……俺たちが試してやる」
「……は?」
アレンが、初めて不快そうに眉を寄せた。その表情の変化は微細なものだったが、隣にいるリィナとセリスにははっきりと伝わった。
「アレン様に……試すですって……?」
「今この状況で仕掛けてくるなんて、卑怯にも程がありますわ!」
セリスとリィナが前に出ようとするのを、アレンが片手で制した。その動作は静かでありながら、二人の足を確実に止めるだけの重みを持っていた。
「……分かった。リィナ、セリス。後ろにいろ」
アレンは胸ポケットに手を入れ、白銀の「0」が刻まれたアーク・リンクに触れた。冷たい筐体の感触が、彼の思考をより一層冷静なものへと導いていく。
(……No.0 だから受けるんじゃない。こいつらを止めないと ── 後ろの二人が危ない)
彼の判断基準は、いつだって明快だった。世界の均衡だとか、序列だとか、そんなものはどうでもいい。ただ、目の前に立ちはだかる脅威が、大切な二人に危害を加える可能性がある限り、それを消し去るだけだった。
「陛下、ここは我々が! 官制室へお戻りください!」
非戦闘員であるエリオット王は、護衛のグラディウスによって、待機していた王族専用の超高速魔導車へと押し込まれた。グラディウスは全身に包帯を巻いたままの体を無理に動かし、王の安全確保のために最後の力を振り絞っていた。凄まじい加速と共に、魔導車はアークレインの地下高速軌道へと滑り込んでいく。エンジン音が徐々に遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。
アレンの黒い瞳の奥に、かつてないほど冷徹な魔力が立ち上がった。表情そのものはほとんど変化しなかったが、その内側で、静かな決意が凝縮されていくのが分かった。
「ヴァルツ・レグナス。アドラ・ヴェルンハイト」
アレンの右手が、無造作に掲げられた。その仕草はあまりにも自然で、まるで挨拶でもするかのような軽さだった。しかし、その奥に秘められた圧力は、周囲の空気を確かに変質させていた。
「まとめて消してやる。……来い」
「行くぞ、No.0!」
「死ぬなよ、アレン!」
アドラの背後に、数千の魔法陣が瞬時に展開された。それは「火、水、風、土、光」 ── 現代魔術の基本五属性を完全に独立させ、かつ一斉に行使する「五属性同時行使」の極致、《五光連閃》であった。
天空を埋め尽くすほどの魔法陣の光が、周囲の廃墟を鮮やかに照らし出す。
同時に、ヴァルツが振るった剛腕から、魔力を物理的な圧力へ変換した不可視の壁 ──《圧界》が放たれる。
二人の頂点が同時に動き出した瞬間、その衝撃波が周囲の廃墟を粉砕した。既に半壊していた建物の残骸が、さらに細かく砕け散り、砂塵となって舞い上がる。
閃光と衝撃が交錯する中、アレンが放った《魔術消去》の黒い波紋が空間を走った。次の瞬間、ヴァルツの重圧も、アドラの華麗な術式群も、まるで見えない消しゴムで拭われたかのように、「式」そのものが根源から剥離し、ただの魔力粒子となって霧散した。周囲を満たしていた圧力が、一瞬にして跡形もなく消え去る。
「……はは、マジかよ。今、俺の組んだ式が『構造』ごと書き換えられたよな?」
アドラの口から、乾いた笑いが漏れる。だが、その瞳に宿る狂気はさらに色濃くなった。まるで、これまで味わったことのない絶望的な壁を前にして、逆に高揚感を覚えているかのようだった。
「面白い……! だったら ── 消せない速度で次の式を組むだけだッ!」
「ミレイユ、出力を三割上げろ! ゼクス、循環を加速させろ! ルナ、俺の精神を固定しろ!」
三人の誓導者が悲鳴を上げるほどの負荷をかけながら、アドラは笑っていた。彼らの額には玉のような汗が浮かび、魔力回路が限界近くまで軋んでいることが傍目にもはっきりと分かった。それでも、誰一人として主を止めようとはしなかった。消去という絶望的な障壁を前にして、彼は「進化」を戦闘の最中に始めようとしていた。
その時、激突の余波として、ヴァルツの圧力がアレンの消去を僅かに漏れ、リィナたちの方へと波及した。巨大な瓦礫が重圧に耐えかね、散弾のように彼女たちへ降り注ぐ。
「──させませんわ」
セリスがレイピアの柄を指先で弾くように握ると、極限まで集束された蒼白い雷光がその身を包んだ。彼女の金髪が逆立つように波打ち、瞳には強い決意の光が宿った。
彼女はアレンの影から一歩も動かぬまま、飛来する瓦礫の塊を、魔術すら介さぬ最小限の「太刀筋」 ── 鋭いレイピアの刺突のみで、分子レベルまで砕き散らした。瓦礫が粉塵となって舞い散る様子を、リィナは息を呑んで見つめていた。
その洗練された動きに、帝国のNo.1、ヴァルツの鋼色の瞳が微かに動いた。
(……あの女、No.92だと? 欺瞞か。No.0の傍らに立つ者まで『理外』だというのか)
ヴァルツの脳裏に、これまで積み上げてきた常識が音を立てて崩れていく感覚があった。誓導者一人の動きが、これほどまでに洗練された領域に達しているとは。彼の中で、目の前の相手たちに対する評価が、静かに、しかし確実に塗り替えられていく。
最強の重厚さと、天才の狂気。世界を二分する力が、今、一つの「零」へと収束しようとしていた。廃墟に立ち込める砂塵の中で、三人と六名の誓導者たちの気配だけが、次に来るべき衝突の予兆として、重く垂れ込めていた。




