18-9
魔導航空機のハッチが開くと、焦げた鉄と湿った土の匂いが鼻を突いた。かつて大陸随一の魔導工学を誇ったアークレスト王国の王都、アークレイン。そこには、かつての栄華を無残に引き裂く瓦礫の山が広がっていた。
タラップを降りるアレンの足元で、砕けたアスファルトの破片が小さく音を立てた。滑走路の脇には、まだ撤去しきれていない機体の残骸が積み上げられ、その表面には黒々とした焦げ跡が刻まれている。かつては国際便が頻繁に発着していたであろう滑走路も、今は片側車線だけが応急的に修復され、辛うじて機能を保っている状態だった。
空を覆うのは、復興を急ぐクレーンの無機質な影。至る所で修復魔術の光が明滅し、再建の喧騒が街を包んでいる。だが、その熱気でも、焼き切られた街路の「死の気配」は拭い去れない。作業員たちの怒号や資材を運ぶ音の合間に、時折、誰かの啜り泣きのような声が紛れ込んでいるように聞こえた。
「……ひどい。ここまでとは」
セリスが眉をひそめ、唇を噛んだ。彼女の視線の先には、半壊した集合住宅があった。窓という窓が割れ、内部の家具が路上にまで散乱している。誰かの生活の痕跡――子供のおもちゃらしきものが瓦礫の隙間に転がっているのを見て、セリスは思わず目を逸らした。
「精神汚染は消えた。でも、一度壊れたものは簡単には戻らないな」
アレンの声は淡々としていたが、その鋭い視線は街の奥――さらに深い地下に潜む「不穏な律動」を正確に捉えていた。彼の意識は、表面上の惨状だけでなく、その下に眠る危険の気配へと絶えず注がれている。
王宮前で一行を出迎えたのは、新国王エリオット・アークレストだった。年齢はアレンとさほど変わらないが、その目の下には濃い疲労の影が刻まれている。着ている王族礼装も、本来であればもっと華美であったはずが、今は簡素な機能重視の装いへと改められていた。それでも、彼は折れそうな心を奮い立たせるように、背筋を伸ばして立っていた。
エリオットの背後には、数名の側近と護衛が控えている。誰もが一様に、この数か月の激動を物語るような疲弊した表情を浮かべていた。中には、包帯を巻いたままの者もいる。
「アレン殿……本当に、よく来てくださいました」
エリオットの声は微かに震えていた。深く一礼するその姿には、王としての威厳よりも、崩れかけた国を必死に支えようとする一人の青年の姿が色濃く滲んでいた。
「アークレスト王国を代表し、心よりの感謝を。……今の我が国は、見ての通り満身創痍です」
「任務だからな。……で、状況は? まだ終わっていないんだろう」
アレンは軽く頷くだけで、形式的な挨拶を切り捨てた。彼は「国際特務官 No.0」としての立場以上に、目の前の「事象」を解決することだけを考えていた。エリオットの丁重な言葉の一つ一つに時間を割くよりも、今この瞬間にも進行している危機の詳細を、一刻も早く把握することを優先していた。
その素っ気なさに、傍らのリィナがわずかに肩をすくめた。けれど、それがアレンの誠実さの表れであることを、彼女はよく理解していた。
エリオットは重い溜息をつき、震える指先で地下の研究所を指し示した。指先の震えは、単なる疲労だけが原因ではないことが、その表情から見て取れた。
「……アザルが残した『古代魔導兵器』。制御式を破壊されたそれらが、今も地下区画で暴走を続けています」
それらはアークレストの技術を超えた、理外の遺物だった。魔力を術式として展開せず、直接「物理エネルギー」へと変換し、熱波と衝撃を撒き散らす殺戮機械。
「我が軍の魔術師たちは手も足も出ず……。魔術式が存在しないため、アレン殿の《魔術消去》が効きにくいと考えられます」
エリオットの声には、自国の技術力の限界を突きつけられた悔しさが滲んでいた。かつて魔導工学の粋を集めた誇り高き国家が、自らの技術を悪用された残骸によって蹂躙されている。その皮肉が、彼の胸を深く抉っているのは明らかだった。
「物理現象としての熱と衝撃か。なるほど、消しようがないな」
アレンが呟く。それは彼にとって、稀に見る「相性の悪い敵」だった。無数の敵を無力化してきた彼の《魔術消去》をもってしても、術式という「式」そのものが存在しない現象には、効果を及ぼしにくい。その事実を静かに受け止めながら、アレンの思考はすでに次の手段へと移りつつあった。
「……No.4 グラディウス殿が、ほぼ一人で全ての兵器を食い止めてきました」
エリオットに案内された臨時医療区画。そこには、巨躯を崩して座り込む魔軌士 No.4 グラディウスの姿があった。彼の全身には包帯が幾重にも巻かれ、あちこちに擦過傷や火傷の痕が見て取れる。周囲には簡易ベッドが並び、他にも負傷した兵士たちが治療を受けていた。医療スタッフたちが慌ただしく行き交い、時折、苦痛に呻く声が響く。
「……マスター、もう休んでください! 魔力が底をついていますわ!」
第一誓導者のティアナが、涙ながらに彼の巨体を支えている。彼女の手も声も、限界まで酷使されたことを物語るように震えていた。
「次の暴走地点が出たって連絡が……! マスター、もうこれ以上は……!」
第二誓導者のマリエルも、震える手で治癒魔術をかけ続けていた。彼女の額には玉のような汗が浮かび、光属性の治癒術式がわずかに乱れかけている。それでも、彼女は手を止めなかった。
「……まだ、やれる……。俺が止めねぇと、街が……」
グラディウスは苦笑し、立ち上がろうとして膝をついた。アークレストの誇る「戦場の壁」ですら、理外の兵器群の前には限界を迎えていた。その姿は、彼がどれほどの過酷な戦いを一人で背負い続けてきたかを、何よりも雄弁に物語っていた。
「……わかった。そこからは俺がやる」
アレンの声が、喧騒の医療区画を静まらせた。彼は、傷だらけのグラディウスを見下ろし、その肩に手を置いた。その手のひらから伝わる感触に、グラディウスは僅かに目を見開いた。
「アレン……No.0、か。……ふん、情けねぇ姿を見せたな。……後は、任せたぜ」
グラディウスは力なく笑い、意識を手放した。ティアナとマリエルが、崩れ落ちる主の体を慌てて支える。その光景を見届けたアレンは無言で振り返り、エリオットへと視線を戻した。
「アレン殿……どうか、アークレスト王国を救ってください」
若き王は、アレンの前に膝をつき、深く頭を下げた。国を背負う王としての、必死の懇願。周囲に控えていた側近たちも、息を呑んでその光景を見守っていた。一国の主が、他国の若き特務官に膝を折る――それは、この国がどれほど追い詰められているかを象徴する光景だった。
アレンはリィナとセリスを両脇に従え、静かに答えた。
「……任務だからな。それに――」
彼は、自分を信じて見上げる二人の誓導者を見た。リィナの瞳には確かな信頼が、セリスの瞳には静かな誇りが宿っていた。
「二人がいるなら、どうとでもなる」
「アレン様……!」
「……ほんと、こういう時だけカッコつけるんですのね」
セリスが呆れたように言ったが、その瞳には、かつてない信頼の光が宿っていた。頬にわずかな赤みが差しているのを、彼女自身は気づいていないようだった。
アレンたちは、アザルの残した最悪の遺産を消し去るべく、王都の地下深くへと足を踏み入れた。瓦礫の隙間から吹き上がる焦げた風が、三人の背後で静かに渦を巻いていた。




