18-4
七月五日。ガルディア公国、公女王宮殿。窓外に降り注ぐ夏の陽光は柔らかく、庭園の緑を眩く輝かせていた。だがその光と対照的に、広大な円卓会議室の内部は、凍てつくような緊張感に支配されていた。空調の音すら、この部屋では場違いなほど大きく響いているように感じられる。
「――以上が、魔軌士局本部による最終決定ですわ」
円卓の片側に座る資格局長が、感情の抑揚をほとんど排した事務的な声で告げた。彼女の前には分厚い書類の束が並び、その表紙には局の紋章が重々しく刻まれている。
ガルディア側からは、公女王エリシアを中心に、宰相リオネス・カーディル、そして新軍務卿ミレナ・カーヴェルが居並んでいた。誰の表情にも、覚悟を決めた者特有の静けさが宿っている。対する魔軌士局側は、資格局長セレナ・エルヴァン、番号局長レグノ・フェルシオン、そして厳しい眼差しを崩さぬ監察官の三名だった。
部屋の隅、他の誰よりも目立たぬよう佇んでいたのは、オブザーバーとして参加を許された帝国の密使だった。彼は物言わぬ石像のように立ち尽くし、その視線だけが円卓の一挙一動を注意深く追っていた。表情には何の感情も浮かべていなかったが、内心では喜びを噛み殺すのに苦労していた。
「本局は、特級魔軌士No.11、アレン・ヴァルグレイを『国際監視対象』に指定いたしました」
監察官が、抑揚のない声で告げながら、手元の魔導書類――アーク・リンクを起動させた。空中に投影されたのは、アレンの《魔術消去》が術式そのものを跡形もなく破壊していく様を捉えた解析データだった。青白い光の中に、崩れゆく魔力構造の残骸が幾何学模様のように浮かび上がっている。
「理由は明確です。アレン・ヴァルグレイの能力は、既存の六属性魔術体系の枠外にあります」
番号局長レグノ・フェルシオンが、感情の色を一切見せずに付け加えた。彼の声は淡々としていたが、その内容には確かな重みがあった。
「魔力直接操作、そして術式の完全消去。これらは前例のない『理外』の力であり、各国の魔術師団、ひいては国際社会に多大な不安を与えています」
その言葉が室内に落ちた瞬間、円卓の空気が一段と張り詰めた。
「不安、ですって?」
軍務卿ミレナが、低く唸るように口を開いた。彼女の灰青色の瞳には、抑えきれぬ憤りが滲んでいる。
「彼は我が国の国防を担う英雄です。それを監視下に置くなど、主権侵害も甚だしい」
「これは主権の問題ではなく、国際的な魔導秩序の維持ですの」
資格局長セレナ・エルヴァンの冷徹な言葉が、部屋の空気をさらに重く沈ませた。
「……制御不能な戦力は、時に迷宮以上の脅威となり得ますわ」
その一言に、宰相リオネスがわずかに眉をひそめた。彼は長年の政治的経験から、この場での安易な反論がかえって局側に付け入る隙を与えることを知っていた。だからこそ、彼は口を開かず、静かにエリシアの横顔へと視線を移した。
壁際に立つ帝国の密使は、内心で深い満足感を覚えていた。
(……計画通りだ。ダルケン一席の読みは外れない)
彼の脳裏には、地下深部で交わされた密談の記憶が鮮明に蘇っていた。武力で殺せないのなら、国際社会の「ルール」という檻に閉じ込めればいい。監視がつけば、アレンの行動は制限され、ガルディアの外交的優位性は自然と消失していくはずだった。「危険な生体兵器」というレッテルを貼られた男から、世界中の魔術師たちが距離を置くようになる。
これでガルディアは孤立し、アレン・ヴァルグレイは牙を抜かれた狼となる。帝国の覇道にとって、これほど都合の良い展開はなかった。密使は口元に浮かびそうになる笑みを、辛うじて理性で抑え込んだ。
重苦しい沈黙が室内を満たす中、それまで瞳を閉じたまま黙していたエリシアが、ゆっくりと顔を上げた。窓から差し込む光を受けたその青い瞳には、疲弊の色など微塵も見当たらなかった。むしろ、そこには凪いだ水面のような静けさと、その奥に潜む揺るぎない意志が宿っていた。
「魔軌士局の皆様、そしてオブザーバーの方。……貴重なご指摘、感謝いたしますわ」
エリシアの声は、清涼な鈴の音のように室内へと響き渡った。局長たちは、彼女がついに「屈服」したのだと解釈し、僅かに表情を緩めた。資格局長の口元には、勝利を確信したかのような微かな安堵の色すら浮かんでいた。
「確かに、アレン・ヴァルグレイの力は既存の物差しでは測りきれません。……本局が彼を『管理下』に置きたいと願うのも、理解できますわ」
「ご理解いただけて幸いです、公女王陛下」
資格局長セレナが、丁寧な口調で応じた。
「ええ。――ですから、私からも一つ提案がありますの」
エリシアは、優雅な仕草で袖の内側から一通の親書を取り出した。彼女の指先は、これから起こることへの緊張など微塵も感じさせぬほど落ち着いていた。その親書には、ガルディア公国の公印と共に、この場にいる誰もが目にしたことのない特殊な「称号」が記されている。
「彼を単なる監視対象とするのは、本局の人的資源の無駄というもの。……ならば、彼を魔軌士局の特例枠として認定し直してはいかがかしら?」
その言葉に、円卓の空気が微かに揺らいだ。
「特例枠、だと?」
番号局長レグノが、思わず眉をひそめた。予想外の言葉に、彼の理性が一瞬の判断保留を選んだのが見て取れた。
「ええ。既存の1番から100番という序列ではなく、理外を監視し、理外を討つための特別な権限。……魔軌士局直轄特務官、『No.0(ゼロ番)』として」
その言葉が放たれた瞬間、これまで沈黙を保っていた帝国の密使の表情が、初めて凍りついた。彼の背筋を、冷たい何かが這い上がっていく感覚があった。エリシアが差し出したのは、屈服の証などではない。それは、黒鋼派の描いた筋書きそのものを覆しかねない、鮮やかな逆転の一手だった。
窓の外では、宮殿の庭園に夏の蝶が舞っている。その平和な光景とは裏腹に、円卓会議室では、世界の秩序を巡る静かな攻防が、今まさに新たな局面へと踏み出そうとしていた。エリシアの反撃は、ここからが本番であった。




