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軍務院地下、四方を分厚い魔力遮断壁に閉ざされた密室には、外界の音も光も一切届かない。空調の駆動音だけが低く唸り、冷えた空気が肌を撫でていく。壁一面に投影されたホログラムウィンドウには、アレン・ヴァルグレイに関する膨大な解析データが青白く明滅し、無機質な空間を埋め尽くしていた。数字と波形図、そして彼の行動記録が幾重にも重なり合い、まるで一人の人間を丸ごと解剖しようとしているかのような光景だった。
一席ダルケン・シュタールは、端末の画面を指先で滑らせながら、氷のように平坦な声で告げた。
「……認めざるを得んな。ガルディア国内で奴の地位を失墜させるのは、もはや不可能だ」
背後の大型スクリーンには、ガルディア国内の世論調査の結果が並んでいた。棒グラフは軒並み天井を突き破るような高さを示している。公女王エリシアを支持する女王派だけではない。かつて彼女と対立していた保守派までもが、今やアレンを国防の英雄として熱烈に支持し始めていた。数字の羅列が、ダルケンの喉の奥に苦いものを押し上げる。
「国民も、貴族も、軍部も……。ガルディアという国そのものが、アレン・ヴァルグレイという異物を自分たちの理の中に飲み込んでしまった」
三席ヴァルド・グレイアが、忌々しげに鼻を鳴らした。分厚い肩をわずかに揺らし、腕を組んだままスクリーンを睨みつける。ガルディア国内でアレンに泥を塗ろうとするあらゆる工作は、今や「英雄への不当な攻撃」として即座に跳ね返され、逆に発信元を炙り出す罠と化していた。手を出せば出すだけ、こちらの手札が焼け落ちていく。
「逆効果か。ならば、攻め方を変えるまでだ」
ダルケンの灰色の瞳が、眼鏡の奥で冷たく光った。彼はホログラムウィンドウの一角――バルムート晩餐会で、アレンが毒の術式を「消去」した瞬間のスロー映像へと視線を固定する。術式が展開されかけた刹那、黒い波紋のようなものが空間を撫で、複雑に組み上げられていたはずの魔力構造が、まるで最初から存在しなかったかのように霧散していく。何度見返しても、その現象には「過程」というものが見当たらなかった。
「アレン・ヴァルグレイ……。奴の存在は、単なる軍事的な脅威ではない。我々人類が数百年をかけて積み上げ、洗練させてきた魔導文明の進化そのものを、根底から否定する冒涜だ。どれほど高度な術式を組み、どれほど強固な結界を張ろうとも、奴はそれを指先一つで『無』へと還す」
ダルケンの声には、狂信めいた「秩序への執着」が滲んでいた。
「奴がそこに在る限り、魔術師は研鑽を忘れ、技術は停滞し、帝国が目指すべき絶対安定の覇道は『式』という形を失う。奴は、世界の進化を止める『停滞の神』なのだ。人類の明日を、あのような理解不能な現象に委ねるわけにはいかない。奴を排除することこそが、この大陸に真の秩序をもたらす唯一の正義だ」
言葉が室内の冷えた空気を伝い、参謀たちの間に沈黙を落とす。誰もダルケンの論に異を唱えなかった。異を唱えれば、その視線が次に自分へ向く――そういう空気が、密室には確かに漂っていた。
ダルケンは端末を軽く叩き、新たな戦略の骨子を空中に展開させた。武力ではなく、情報という毒液で敵を内側から蝕んでいく、冷酷な政治工作の地図である。三本の柱が、光の線となって浮かび上がった。
「国内で殺せぬなら、国外で殺す。……アレンを、世界中の魔術師たちの敵に仕立て上げるのだ」
一つ目は、制御不能な戦力としての印象操作だった。
「奴の持つ《魔術消去》……あれは魔術師にとって、自らの命である術式を奪われるという生理的な恐怖そのものだ」
二席レグナスが、自身の解析資料を睨みながら続けた。手元の紙束は、彼が徹夜で組み上げた分析の結晶だった。
「アレンは魔術師の存在意義を根底から奪う『世界の癌』である。そう国際社会に刷り込む。奴の危険度を、公式な『監視対象』へと格上げさせるのだ」
二つ目は、国際秩序を乱す「女王の兵器」という物語だった。
「恐怖を植え付け、孤立させる。それも立派な戦術だ」
ダルケンは、機密扱いされていた晩餐会での映像を、大陸全土の軍関係者へ匿名でリークするよう命じた。指先が端末の送信ボタンに触れる、その一瞬に迷いはなかった。
「ガルディアは、魔術を無効化する生体兵器を外交カードにしている。そう各国の軍部に囁け。奴がいる限り、自国の魔術師団の優位性は消失する……とな。未知の力への危機感を煽るのだ」
三つ目は、魔軌士局のルールによる包囲だった。
「仕上げは、国際機関 ── 魔軌士局だ」
特定国家に属さず、規律と平等を重んじるその組織にとって、序列を無視し、既存の魔術体系の外側に立つアレンは、正すべき重大なエラーに他ならない。そう思わせることこそが、最も静かで、最も確実な一手だった。
「アレンは魔軌士局の管理を拒み、女王の私兵として独断で動いている規律違反者だ……。そう問題を提起しろ。局の硬直した正義に、奴を裁かせる」
ダルケンの言葉に、参謀たちが一斉に動き出した。椅子を引く音、端末を叩く指の音、抑えた声で交わされる短い指示。帝国が世界に張り巡らせた通信網――アーク・リンクを通じて、加工された「真実」が、闇に紛れて各国へと運ばれていく。それは目に見えぬ波紋となって、静かに大陸を侵していくはずだった。
「……アレン・ヴァルグレイ。貴様が強ければ強いほど、世界は貴様を拒絶するようになる」
ダルケンがスクリーンに映るアレンの姿に、嘲笑を投げかけた。無表情のまま佇む青年の映像は、何も語らず、何も知らぬまま、そこに映し出され続けている。
彼を殺す必要はない。
他国の軍部に恐怖を植え付け、魔軌士局に「危険物」として認定させ、世界という盤上から排除すればいい。
自由を奪われ、誰からも忌み嫌われ、暗い檻の中へ。
ガルディアの英雄を待ち受けるのは、目に見える凶刃よりも遥かに鋭い、世界という名の「拒絶」の刃だった。




