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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第3章:常識を壊す初遠征

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3-3

迷宮『蒼風峡谷あおかぜきょうこく』の重厚な魔導門を潜り抜けた先には、大地の裂け目から絶え間なく吹き上げる、湿り気を帯びた冷たい風が渦巻いていた。

天を突く断崖に囲まれた回廊。見上げれば、細く切り取られた空を覆う雲が、迷宮から溢れ出す濃密な魔力の燐光を反射して不気味に明滅している。


アレンは、洞窟内に漂う「魔力の匂い」を肺の奥に吸い込んだ。

覚醒した彼の「理外の視界」には、通路の至るところに張り巡らされた魔導罠や、壁の奥に潜む魔獣の気配が、淡い毒々しい発光体として手に取るように見えていた。


「アレン様、最新のマップデータを展開します」


隣を歩くリィナがアーク・リンクを操作すると、空中に青白いホログラムの地図が浮遊した。


「今日は十階層の守護獣ボスまで行くつもりですけど……今の時間からだと、日帰りは厳しいかもしれませんね。普通、上級魔軌士のパーティでも一泊二日はかける行程ですから」


リィナの細い眉が不安げに寄せられる。アレンは不思議そうに彼女を見下ろした。


「一泊二日? ……そんなに時間がかかるものなのか?」


「ええ。魔獣との戦闘、罠の解除、そして何より魔力の消耗を抑えながら進む必要がありますから。……でも、アレン様となら、たぶん大丈夫ですね」


リィナは自分に言い聞かせるように、どこか誇らしげに微笑んだ。


一階層から三階層にかけて、二人は迷宮探索の基本に忠実な陣形で進んだ。

前衛にハーフエルフのリィナが立ち、後衛のアレンが周囲を警戒する。通路の角から、土と泥で構成された迷宮魔獣――『クレイ・ウルフ』が数頭、唸り声を上げて飛び出してきた。


「アレン様、右から三体! 牽制をお願いします!」


「了解だ」


アレンは慣れない迷宮戦闘に戸惑いつつも、リィナの指示通りに動く。

彼はあえて魔術を使わず、自身の恵まれた体躯を活かした。迫りくる魔獣の死角へ、岩を穿つような鋭い踏み込みで入り込む。一九二センチメートルの巨体からは想像もつかないほどしなやかな身のこなしに、リィナは内心で息を呑んだ。

魔術式というフィルターを通さないアレンの動きは、現代の魔術戦闘理論からすれば「異常に速い」。


四階層、五階層と進むにつれ、迷宮の空気に混じる殺意が色濃くなっていく。

だが、二人の連携は驚くほどの早さで噛み合い始めていた。

魔力循環誓約オースによって結ばれた二人の魔力は、言葉を介さずとも互いの意図を伝達する。

リィナが《水鎖縛陣アクア・バインド》で敵の足を止め、アレンがその隙を確実に突いて無力化する。


「迷宮って、意外といけるもんだな」


「ふふ、ここまでは『観光名所』なんて揶揄される初心者層ですから。……でも、油断は禁物ですよ」


五階層の守護獣も、二人の協力であっさりと撃破した。

アレンは純粋に、異世界での「初めての共同作業」を楽しんでいた。


しかし、六階層へと続く階段の前で、リィナの表情が凛とした厳格なものへと変わる。


「アレン様、ここから先は魔獣の強さが一段階上がります。気を引き締めてください」


「ああ。できるだけ頑張るよ」


アレンは素直に応じた。自分が「無双」できるなどとは、露ほども思っていない。

だが、六階層に足を踏み入れた瞬間、光景は一変した。


物陰から、鋭い爪を持つ『ウィンド・レパード』が音もなく躍り出る。

その殺気がアレンの網膜に触れた刹那、彼の右手が無意識に、そして反射的に動いた。


「――《光束魔術ビーム・アーツ》」


直径一センチメートルの純粋な光の線が、音もなく、物理法則を置き去りにする光速で空間を切り裂いた。

魔獣は反撃の咆哮を上げることすら許されず、眉間を正確に貫通されて崩れ落ちる。


「えっ……?」


アレン自身が、自分の指先から放たれた現象の「速さ」に呆気にとられた。

リィナはさらに目を丸くし、砂となって消えゆく魔獣の残滓を凝視する。


「ちょ、ちょっと待ってください……今の、反射速度リアクションが速すぎます……」


七階層、八階層、九階層。

「こういう感じでいいのか?」と戸惑うアレンが軽く手を振るたびに、迷宮の闇に潜む影が次々と光の線に焼かれ、霧散していく。

リィナはもはや指示を出す暇もなく、ただアレンの背中を追うだけで精一杯だった。


十階層の最深部。

巨大な翼を持つ守護獣『グリフォン・フェイク』が、侵入者を圧殺せんと翼を広げた。

その威容が迷宮の空気を震わせ、凄まじい風圧がリィナの《三重魔導護膜トリプル・アークシェル》を叩く。


だが、アレンがただ一点、その巨躯の額へと掌をかざした。

刹那。

詠唱もなく、魔力炉の予熱もない。

魔力直接操作アーケイン・マニピュレーション》によって生み出された理外の閃光が、守護獣の急所を一撃で射抜いた。


「……あれ? 終わったか?」


熱量すら残さない、圧倒的な「虚無」の蹂躙。


「終わりました……。けど、あまりにも終わりすぎです……」


二人が地上に戻ったのは、まだ太陽が高い位置にある午後二時のことだった。


「本当に……日帰りで戻ってこれちゃった……」


「こんなに早く終わるものなんだな。意外とあっけなかった」


「普通は……違います、アレン様……。普通、魔軌士は死ぬ思いで一週間かけて十階層を抜けるんです……」


リィナは深い溜息をついた。

彼女が十七年間の人生で積み上げてきた「迷宮の常識」が、アレンという異物イレギュラーの隣にいるだけで、音を立てて崩れ去っていく。


二人はそのまま、王都の魔軌士局へと向かった。

窓口で、リィナが今日の収穫――数十個の高品質な魔石を机に並べる。

換金の仕組みを知らないアレンは、その後ろで居心地が悪そうに立っていた。


「本日の収穫、魔石の精算をお願いします」


提出された魔石の量と質を見て、受付の女性が顔を上げた。


「……今日は、随分と多いですね。上層の魔石がこれほど一度に……? 失礼ですが、どちらのクラン(大規模パーティ)の方ですか?」


「いえ、二人だけです。……ちょっと頑張りましたから」


リィナが控えめに答えると、受付嬢は信じられないものを見るような眼差しで、リィナと背後の黒髪の巨躯を交互に眺めた。


「お金って、こんなに簡単に手に入るんだな。これなら、リィナを養うのもすぐだ」


「アレン様、違います! 普通は命懸けで、やっと家族を養える分を稼ぐんです! ……もう、感覚が麻痺しすぎです!」


宿に戻った後、リィナは今日の戦利品を整理しながら、小さく呟いた。


「アレン様……。あなた、本当に何者なんですか……?」


「え? ただの普通の人間だろ?」


アレンは本気でそう思っているようだった。

リィナはその底知れぬ力に微かな戦慄を覚えつつも、その不器用な優しさと無自覚な強さに、自分という存在が救われ、導かれていることを確信していた。


夕日に染まるアルヴェンの街並み。

あまりに「静かな」初遠征の夜だった。


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