17-5
バルムート王宮、大講堂。会議二日目。
円卓を囲む空気は、初日の応酬を経て、さらに鋭く研ぎ澄まされていた。 天井の装飾から漏れる光すら、各国の特級魔軌士たちが放つ濃密な魔力圧によって屈折し、室内に不自然な陽炎を生み出している。
公女王エリシアの背後には、一分の隙もない不動の姿勢でアレンが立ち、その左右をリィナとセリスが固めていた。
「――繰り返すが、迷宮資源の軍事利用は避けられぬ道である」
円卓を支配したのは、ヴァルゼン帝国の皇帝ダリオスの重厚な声だった。 その傍らでは、魔軌士No.1ヴァルツ・レグナスが岩のように佇み、巨剣から漏れ出る圧力をバルムートの戦略家、No.2イグナ・ヴォルステッドの解析魔術が冷徹にスキャンし続けている。
「深層の技術を兵器化し、大陸の絶対的な安全保障を確立する。それが帝国の出す最終的な結論だ」
「それは、力による均衡ではなく、恐怖による支配ですわ」
エリシアの声は、静かだが凛とした響きを持って大講堂の壁に反響した。
「迷宮核への過度な干渉は、事象の根源的な連鎖を歪め、予測不能な魔力崩壊を招きます。それは全大陸の破滅を意味しますのよ」
覇権を求める帝国と、安定を願うガルディア。 議論が平行線を辿り、室内の温度が摩擦で上昇し始めたその時、アルヴェリア王国の国王レオニスが、静かに、しかし重みのある口調で言葉を挟んだ。
「諸君、議論の前提を見誤ってはいないか。我々が真に備えるべきは、国家間の争いではない。……かつてこの世界を飲み込もうとした『黒き災厄』だ」
その名が出た瞬間、会場に冷ややかな失笑が漏れた。 ダリオス皇帝は、鼻で笑うように椅子に深く背を預けた。
「……レオニス陛下。人間(我ら)にとって、それは七十世代以上も前のお伽話だ。この外交の場で持ち出すには、些か風化しすぎている」
「人間(貴殿ら)にとっては、そうだろうな」
レオニスは否定せず、背後に控える護衛へ視線を送った。
「だが、我らと共に歩む者たちにとっては、違う。……ルシェル、許可する。話しなさい」
王の許しを得て、No.9ルシェルが静かに一歩前へ出た。 実年齢二百四十歳。人間には到達できぬ歳月を刻んだエルフの魔軌士である。
「皇帝陛下……エルフにとって、二千年前という時間は、決して神話ではありません」
ルシェルの澄んだ声が、静まり返った会場に響く。
「私の家系には、濁った魔力に森が焼かれる様を、この目で見た先祖の記録が詳細に遺されています。エルフの寿命から換算すれば、二千年前は僅か七、八世代ほど前の過去。……我らにとって、災厄は『終わった物語』ではなく、今も足元に続く『地続きの警告』なのです」
護衛が発言するという異例の事態。 しかし、アルヴェリアが守り続けてきた「歴史の重み」は、他国の特級魔軌士たちすら、一瞬だけ言葉を失わせるほどの説得力を放っていた。
(……災厄、か)
ルシェルが語り出した瞬間、アレンの胸の奥 ── かつてルミナを吸収した座標が、疼くような微かな熱量を帯びた。
自分に第一召喚の記憶はない。 だが、世界がお伽話と笑い飛ばすその言葉の裏側に、アレンだけは「重い現実味」としての理を感じ取っていた。
アレンは沈黙したまま、視覚を排した全方位一〇〇メートルへの《魔力直接操作》を展開した。
首脳たちが歴史論争に興じる円卓の喧騒とは別に、王宮の影で蠢く「物理的な不協和音」を、彼の索敵網は正確に捉え始めていた。
(……アレン様。給仕の動きが不自然です)
脳内でルミナの声が低く警告を発したような気がした。
リィナとセリスも、アレンの微かな魔力の揺らぎを敏感に察知し、それぞれの武器に添えた指先を強張らせた。
アレンの感覚が捉えたのは、給仕スタッフの列に紛れ込んだ数個の影だった。
彼らが使う隠蔽術式は、あの宮殿爆破事件でエルンストが露呈させた拙いものとは比較にならないほど、冷徹に、そして効率的に研ぎ澄まされている。
感情を排し、魔力署名を「物質的な無」へと近づけるプロの掃除人の手際。 彼らは執拗に、公女王エリシアの魔力署名を座標として追い続けていた。
「……リィナ、セリス。ネズミが配置についた」
アレンの低い、氷のような声が二人にだけ届く。
「誰が仕組んだかは知らんが、不満分子の暴走じゃなさそうだ。……物理的な悪意が、この王宮の構造そのものに潜り込んでいる」
歴史の亡霊を巡って首脳たちが言い争うその裏で、魔術感知を完全に無効化した毒という「現代の牙」が、確実に公女王の喉元へと忍び寄っていた。
アレンは漆黒の瞳を動かし、王宮全域を流れる魔力の「数式」を監視し続ける。
和平という幻想が崩れるその瞬間まで、理外の守護者は静かに、その時を待っていた。




