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午後。王宮の一室では、迷宮資源の具体的な運用と管理に特化した分科会が執り行われていた。
午前中の全体会議が理念の衝突であったとするならば、ここはより生々しく、どす黒い利害が剥き出しになる場であった。 円卓の中央にはバルムート国王アレクシオンが座り、穏やかな表情で議事の進行を司っている。 だが、その隣で眼鏡の奥の瞳を冷徹に光らせる魔軌士No.2、イグナ・ヴォルステッドの存在が、場に一切の妥協を許さぬ重圧を与えていた。
「資源の独占は、世界の均衡を壊すものだ」
ヴァルゼン帝国の代表官が、エリシア公女王を射抜くような視線で、机上のアーク・リンクを叩いた。
「特に、貴国が隠し持っている『深層のデータ』。これを国際同盟へ共有せぬというなら、帝国としても相応の措置 ── 経済制裁、あるいは軍事的な対抗措置を検討せざるを得ない」
「……共有と略奪を履き違えないでいただきたいわ」
エリシアの声は、室内の魔導空調から吹き出す風よりも冷たく、鋭かった。
「迷宮核の安定を無視した軍事転用は、大陸全体の魔力循環を歪ませる。そのリスクを無視してデータを寄越せというのは、文明国家の対話ではなく、ただの野蛮な強奪ですわ」
会議室の空気は、摩擦で発火しそうなほどの緊張感に包まれ、平行線を辿る議論が重苦しい熱を溜め込んでいく。
同時刻。会議室の外、静まり返った回廊の壁にアレンは背を預けていた。
ただそこに在るだけで、巡回する近衛兵たちに「触れてはならない神域」のような錯覚を与え、無意識の緊張を強いていた。
(……ふむ。やはり、底が知れんな)
サハリス砂漠王国の国王サイファが、数名の護衛を連れて回廊を通りかかり、アレンの傍らで足を止めた。
精神魔術の大家であるサイファは、王家の象徴である琥珀色の瞳を細め、アレンから放射される魔力波長を精密にスキャンし始めた。
サイファは自身の魔力を微細に揺らし、アレンの「精神構造」への直接干渉を試みた。 通常の人間であれば、どれほど強靭な精神を持っていても、魔力波長には感情のさざ波や思考のノイズが投影されるものだ。 サイファは、その隙間に自身の意思を滑り込ませ、相手の真意を読み解くことを得意としていた。
だが、次の瞬間。サイファ王の指先が、目に見えるほど激しく震えた。
(……っ、なんだ、これは。私の精神干渉が、まるで底なしの深淵に呑み込まれ……いや、弾かれているのか!?)
アレンの魔力は、現代魔術の体系を根本から拒絶していた。 それは「防御」ですらない。 鏡が光を跳ね返すように、あるいは絶対的な零度が熱を奪うように、サイファの魔術はアレンの魂に触れることすら許されず、虚空へと霧散した。 サイファが覗き込んだのは、人間らしい感情の揺らぎではなく、理そのものが具現化したような、底知れぬ静寂だった。
自分たちが長年積み上げてきた精神魔術の極致が、この男の前では「砂上の楼閣」に過ぎないと、サイファは肌で理解してしまった。 背中に冷たい汗が伝う。 南大陸の「導く者」と謳われた王は、アレンという存在の異質さに、初めて真の戦慄を覚えていた。
「……陛下、アレン様をあまり困らせないでいただけますか」
リィナが、サイファの微かな魔力の揺らぎを敏感に察知し、アレンの前にそっと進み出た。 彼女の銀髪の下にある淡い青の瞳には、サイファへの警告が宿っている。
「……アレン様、少し空気が重くなってきましたわね」
セリスもレイピアの柄に手を添え、不快そうに周囲の闇を睨みつけた。
かつての家族であったエルンストの裏切りを経験した彼女の直感は、今の王宮を流れる空気に、かつての彼が見せた「救いのない澱み」と同じ色を感じ取っていた。 それは直接的な殺気ではなく、もっと粘り気のある、物理的な毒に近い不協和音。
「……ああ、気づいているか。ネズミが這い回り始めた。不快な感覚だ」
アレンが漆黒の瞳を動かし、視覚を排した《魔力直接操作》を全方位一〇〇メートルへと展開した。
彼の索敵網が捉えたのは、給仕スタッフの列に紛れ込み、極めて洗練された術式で自身の体温や心音、そして魔力署名を「物理的に」希薄化させている数個の影だった。
それら影たちが使う術式は、あの宮殿爆破事件でエルンストが露呈させた拙いものとは、比較にならないほど研ぎ澄まされている。 感情を排し、目的のみを遂行するプロの「掃除人」の手際。
「誰が仕組んだかは知らんが、不満分子の暴走じゃなさそうだ。……物理的な悪意が、この王宮の構造そのものに潜り込んでいる」
アレンは、静かにしかし着実に包囲網を狭めていく「死」の気配を、事象の揺らぎとして予感していた。
「リィナ、セリス。公女王から目を離すな。……ここからは、迷宮より底の知れない戦場になるぞ」
アレンの声には、冷徹な理の響きがあった。 世界が和平の幻想に酔いしれる円卓の裏側で、三人は静かに、そして確実に、理外の牙を研ぎ澄ませていった。




