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二一九七年六月上旬。魔導航空機の重厚なターボファンエンジンが、バルムート王国の乾いた風を切り裂き、滑走路に鋭い吸気音を響かせた。 ハッチが開くと同時に流れ込んできたのは、世界最大の交易都市バルムートシティ特有の、熱気と潮風、そして十五か国の代表団が放つ濃密な魔力圧が混ざり合った「不協和音」だった。
タラップを降りたアレンは、眩しそうに黒い瞳を細めた。その背後には、銀髪をなびかせるリィナと、紺銀の軍服風魔術礼装を完璧に着こなしたセリスが影のように付き従っている。
「……武器持ち込み許可、か。穏やかじゃないな」
アレンは一九二センチの巨躯を揺らし、左腰に下げたショートソードを軽く叩いた。 本来、外交の場では徹底した武装解除が通例だが、今回は各国の強い要請により、王宮内への「護衛としての武装帯同」が例外的に認められていた。それこそが、現在の大陸情勢がいかに薄氷の上にあるかを物語っている。
「それだけ、各国が相手を信じていない証拠ですわ。……行きますわよ、アレン様」
セリスが凛とした足取りで隣に並び、周囲に放たれる無数の視線を琥珀色の瞳で射抜くように見据えた。
エリシア公女王を先頭にしたガルディア代表団がバルムート王宮の正門へ足を踏み入れた瞬間、受付の魔導官たちの指が凍りついた。 提示されたアーク・リンクに刻まれた身分証明 ── 『ガルディア公国。特級魔軌士No.11、アレン・ヴァルグレイ』。
三か国に四十階層の守護獣の魔晶を贈り届け、帝国の近衛を赤子同然に扱ったという「理外」の男の名に、周囲の空気が一変した。
「ようこそ、ガルディア公国エリシア陛下。遠路はるばる、感謝いたします」
出迎えたのは、開催国バルムート王国の国王アレクシオン・バルムートだった。 四十五歳という働き盛りの王は、琥珀色の瞳に温和な笑みを浮かべ、海運国家らしい爽やかな気品を纏っている。 しかし、その傍らに石像のように佇む男の存在が、この平和な挨拶に冷徹な緊張感を添えていた。
「……あなたが、アレン・ヴァルグレイか。実績は聞いている」
低く、温度のない声。バルムート王国が誇る戦略家、魔軌士No.2イグナ・ヴォルステッドだ。 三十八歳の彼は、一切の皺がない完璧な軍服を纏い、眼鏡の奥にある冷徹な瞳でアレンの魔力波長を精密にスキャンしていた。 アレンがその視線を無造作に受け流すと、イグナの眉が僅かにぴくりと跳ねた。論理的な予測の範疇に収まらない「無属性」の魔力波形に、戦略家の矜持が微かなノイズを立てたのだ。
「……陛下、護衛の質は国の余裕を映し出す鏡のようですわね」
エリシアが余裕ある笑みで応じると、アレクシオン王は「全くだ」と短く笑い、一行を王宮内部へと促した。
王宮の長い廊下は、物理的な風ではない、異様なプレッシャーに満ちていた。
廊下の向こうから現れたのは、黒と金を基調とした威圧的な一団。ヴァルゼン帝国の皇帝ダリオスだ。 かつてアレンに「地図から帝国を消す」と脅された覇王の黒瞳が、憎悪を押し隠した冷徹さでアレンを正面から射抜く。 その傍らには、帝国軍の象徴、No.1ヴァルツ・レグナスが控えていた。
ヴァルツが背負う巨剣から、周囲の空気が物理的に歪むほどの圧倒的な重圧が放たれる。 しかしアレンの《魔力直接操作》は、その重圧を「不自然な数式」として一瞬で解析し、霧散させていた。 かつてアレンが指先一つで自身の威圧魔術を「無」へと還した時の記憶が、ダリオス皇帝の胸に苦い屈辱を蘇らせた。
続けて現れたのは、アルヴェリア王国の国王レオニス。
「アレン殿。また会えて嬉しいよ」
「陛下。……ルシェル、相変わらずだな」
「アレン殿も。お元気そうで何よりです」
レオニスの護衛、No.9ルシェルが穏やかに挨拶を返す。 二百四十歳のエルフである彼が語り出した瞬間、アレンの胸の奥 ── ルミナが吸収された場所が、微かな熱量を帯びた。 長寿ゆえの安定した魔力を漂わせ、殺伐とした廊下に一時の静寂をもたらす。
「お久しぶりですね、アレン様」
最後に足を止めたのは、サハリス砂漠王国の国王サイファ。 その傍らでは、No.6セラフィナ・アルシェルが、砂漠の魔術の至宝と謳われる神秘的な魔力を揺らめかせていた。
「サハリスに届いた魔石、各機関が戦慄しているわ。お礼は今夜、私の部屋で詳しく……いいかしら?」
セラフィナが妖艶な笑みを浮かべてアレンを誘った瞬間、ガルディア一行の空気が一変した。 アレンの隣で、リィナの周囲を包む光属性の魔力が安堵の燐光から鋭い拒絶の色に揺らぎ、セリスに至っては、琥珀色の瞳に明確な「殺気」が混じった火花が散った。
「……仕事中だ。それに、砂の味のする茶はもう十分だよ」
アレンが素っ気なくかわすと、背後の二人の魔力波長はようやく落ち着きを取り戻した。
「アレン様、また後ほど」
セラフィナが去っていき、廊下に残ったのは泥沼のような沈黙の空気だけだ。
「……ふぅ。まだ会議も始まっていないのに、これですの?」
セリスが額の汗を拭う。
世界最高峰の牙が揃い、それぞれの野心と武器を携えたバルムート王宮。
アレンは、その喧騒の影で冷徹な「殺意」が静かに牙を研いでいるのを、肌で感じ取っていた。




