表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第16章:崩れゆく平和の序奏

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

140/324

16-10

中庭を支配していた狂気と怒号は、エルンストの意識消失と共に、凍てつくような沈黙へと塗り替えられた。

駆けつけた宮廷近衛兵たちが、昏倒したエルンストを無機質な手つきで拘束し、引きずり出していく。 重厚な甲冑が石畳を擦る「ガリガリ」という不快な金属音だけが、夜の空気に虚しく響いていた。


アレンは動かなかった。 漆黒の瞳は、連行される犯人の背中ではなく、傍らで立ち尽くす第二誓導者の姿を静かに捉えていた。


セリスの手に握られたレイピアが、カチカチと微かな音を立てて震えている。 彼女の周囲に漂う魔力波長は、もはや制御を失い、深い絶望と自己嫌悪を示す澱んだ灰色へと変色していた。


「……うそ。嘘ですわ……」


掠れた声が、白く凍る息と共に零れ落ちる。


「彼は……エルンストは、私の……家族のような人でしたのに……」


膝の力が抜けたように、セリスが冷たい石畳の上に崩れ落ちた。 紺銀の戦闘服が汚れ、誇り高き辺境伯令嬢の顔から、生気という色彩が完全に失われていく。 彼女にとって、エルンストは単なる使用人ではなかった。 魔術の研鑽に明け暮れ、孤独な努力を続けていた幼少期から、常に自分の背中を見守り、寄り添ってくれていた唯一の「居場所」を共有する存在だったのだ。


アレンは数歩近づき、彼女の肩に手を置こうとしたが、その指先は虚空で止まった。

今の彼女を蝕んでいるのは、魔術的な干渉ではない。 感情という名の、論理を超えた暴走だ。 彼の《魔術消去ディスペル・アーツ》では、この心の亀裂を消し去ることはできない。


「……セリス」


「私の……せいですわ……。私が、家を捨て……アレン様の誓導者になる道を選んだからですわ……」


床を見つめたまま、セリスは自分を切り刻むような呪詛を紡ぎ始めた。

彼女の明晰な頭脳は、今やエルンストの凶行と自分の選択を結びつける「誤った因果関係」を瞬時に構築していた。 自分が彼を置いて宮殿へ来たから、彼の心に穴が空いた。 自分が戦場という死地へ身を投じたから、彼は「国を強靭にせねばならない」という狂気に取り憑かれたのだと。


「セリス、それは違う。あいつの勝手な思い込みだ。お前が責任を感じる道理はない」


アレンが静かに、しかし冷徹な事実として告げた。 彼の合理的な思考は、個人の暴走を他人の選択のせいにするエルンストの理屈を「不自然な数式」として切り捨てていた。


だが、その正論は今のセリスには届かない。 セリスはただ首を振るだけで、アレンの視線を拒むように顔を覆った。 責任感が強く、他者の痛みを自分のこととして抱え込む彼女の優しさが、今は自分を殺す刃となって魂を抉り続けていた。


「……セリス」


アレンの背後から、リィナがそっと歩み寄った。

彼女はアレンとは対照的に、何も言わずにセリスを背後から包み込むように抱きしめた。 リィナの周囲を包む光属性の魔力が、安堵の燐光となってセリスの冷え切った身体を優しく温める。


「セリス……大丈夫、大丈夫ですから……」


リィナ自身、孤独だった過去に「居場所」を失う恐怖を知っている。 だからこそ、彼女には分かっていた。 今のセリスに必要なのは正しい答えではなく、この夜の闇の中で一人ではないという温もりなのだということを。


しばらくして、別邸のリビングに戻った三人の元に、ガルディア情報局による速報が届いた。

現場に残された「濁った魔力痕跡」の鑑定結果、不細工な術式で自壊しかけていた爆薬の構造、そして ── 地下の尋問室で始まったエルンストの自白。


「……黒幕の存在は確認できませんでした。容疑者は『すべて自分の意思だ、誰にもそそのかされていない』と一点張りの供述を繰り返しています」


スピーカーから漏れる情報局員の声は、冷徹なまでに「単独犯」という結論を補強していた。

実際、そこにはヴァルゼン帝国「黒鋼派」の影は微塵も残されていない。 彼らはただ、エルンストの心にあった孤独という枯れ木に、一滴の火種を落としただけに過ぎないからだ。


「黒幕は不在、か」


アレンはソファに深く身体を預け、手元のアーク・リンクのディスプレイを消した。

ガルディア公国という国家も、理外の力を持つ自分ですら、エルンストの心という「ブラックボックス」の中で何が行われたのか、その真実には到達できない。 事件は、かつて誠実だった一人の男の暴走という、救いのない結末をもって幕を閉じた。


隣では、リィナに支えられながらセリスが静かに嗚咽おえつを漏らしている。

窓の外、夜明け前のガルディアスの空には、不気味に静まり返った街並みが広がっていた。

平穏ということわりが、見えざる影によって確実に蝕まれ始めていることを、三人はまだ知る由もなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ