16-9
深夜、ガルディア公国宮殿を劈く非常警報が、三人の休息を無慈悲に奪い去った。
赤く明滅する魔導街灯が別邸の窓を血のような色に染め、廊下には近衛兵たちの慌ただしい軍靴の響きが交錯している。
「……チッ、始まったか」
アレンはベッドから跳ね起きると、漆黒の瞳に冷徹な理の光を宿した。 すでに隣室からは、リィナとセリスが戦闘服に着替えて飛び出してきている。
「アレン様、北の倉庫区画で爆発です! 敵の魔力反応、まだ敷地内に残っています!」
アーク・リンクのホログラムを緊急展開したリィナが、上気した顔で告げた。 彼女の周囲には、すでに朝の儀式で施された《三重魔導護膜》が微かな燐光を放ち、守りの準備を整えている。
「セリス、リィナ。行くぞ。俺の背中に遅れるな」
アレンが地を蹴ると、二人の誓導者が影のようにその後に続いた。 三人は魔軌士としての「戦闘単位」として、深夜の宮殿を音もなく駆け抜けていく。
爆発現場の北側倉庫に到着したアレンは、足を止めて鼻を突く異臭に眉をひそめた。 焦げた魔導資材の臭いと、大気中に残留する「濁った魔力」の澱み。
アレンの《魔力直接操作》が、逃走者が残した無様で乱暴な魔力痕跡を鮮明に捉えた。
「……ひどいな。数式がひび割れて腐っているような跡だ。プロの仕事じゃない」
「中庭へ向かっていますわ。……この波長、どこかで……」
セリスがレイピアの柄を握り締め、鋭い視線を闇へと向けた。 彼女の戦術眼もまた、逃走者の魔力に潜む奇妙な「既視感」を捉えていたが、それが信じがたい答えへと繋がることを、彼女の理性が拒んでいた。
三人は月光が冷たく降り注ぐ宮殿裏の中庭へと踏み込んだ。 生垣の影で、一人の男が膝を突き、肩を激しく上下させていた。
「……動くな。そこまでだ」
アレンの静かな声が夜の空気を切り裂く。
男は弾かれたように振り返った。月光に照らし出されたその顔 ── 侍従としての清潔な身なりは崩れ、目は狂気的な光を宿して彷徨っている。
「エルンスト……!? なぜ、あなたがここに……!」
セリスの絶叫が、静まり返った中庭に響き渡った。
目の前にいるのは、かつて実家で自分を誰よりも近くで支えてくれた、誠実な侍従だったはずの男だ。
「セリス様……。ああ、セリス様! ついに、救い出せる……!」
エルンストは狂ったような笑みを浮かべ、震える手を三人へ向けた。
「邪魔をしないでください! 私は、ガルディアを正すのだ! 国が弱いから、セリス様は迷宮の深層などという死地に追いやられる! あなたのような理外の男に、奪われてしまったんだ!」
「……リィナ、セリス、下がっていろ」
アレンが一歩前に出る。
エルンストは懐から残りの「起爆符」を取り出し、滅茶苦茶な数式で魔力を注ぎ込んだ。
「死ねッ! 奪った者すべて、無に還してやる!」
爆薬が不気味な脈動を始め、不安定な魔力の渦が男の手元で暴発寸前の熱量を帯びる。
リィナが反射的に《空間隔絶結界》を展開しようとしたが、それより早く、アレンの手が虚空をなぞった。
──《魔術消去》。
エルンストが握っていた爆薬から、全ての熱量と光が音もなく剥ぎ取られた。 ガラス細工が砕けるような微かな音と共に、起動しかけていた軍用爆薬は、ただの「冷たい鉄の塊」へと成り下がった。
「なっ……私の意思が、消された……!? 誰にも……唆されてなどいないのに……!」
エルンストは絶望に顔を歪め、今度は初級魔術《火矢》を構築しようとした。 だが、混乱した彼の魔力回路からは火花が散るだけで、術式は形を成すことすら叶わない。
アレンは沈黙したまま、地を蹴った。
物理法則を置き去りにした超加速。アレンはエルンストが次の悲鳴を上げる隙すら与えず、その懐へと滑り込んだ。
「《衝撃制御:零距離衝撃》」
アレンの掌が男の腹部を掠める。
鋼の衝撃波がエルンストの意識だけをピンポイントで刈り取り、内臓を傷めることなく昏倒させた。
崩れ落ちるエルンストの身体を、アレンは無機質な動作で押さえつけた。
「……終わったぞ。セリス」
アレンの声に応える者はなかった。
横に立つセリスは、レイピアを握る指を真っ白に強張らせ、冷たい地面に倒れた「かつての家族」を見つめたまま、言葉を失っていた。
中庭の隅に設置された魔導街灯が、赤く静かに点滅し続けている。
捕らえた犯人の口から漏れた、自分への「歪んだ執着」。それが一人の男を狂わせ、この凶行に至らせたという事実は、誇り高き辺境伯令嬢の心に、消えることのない暗い亀裂を刻みつけていた。




