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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第16章:崩れゆく平和の序奏

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16-8

深夜、首都ガルディアスの夜空には二つの月が冷ややかに浮かび、ガルディア公国宮殿の尖塔を白く照らし出していた。最新の防魔結界が宮殿全体を微かな燐光で包み込み、外界の寒気を遮断している。しかし、その鉄壁の守りの内側 ── 北側に位置する「儀式用品・魔導資材保管倉庫」の影には、一人の男が潜んでいた。


エルンスト・ハルデンは、自身の心臓の鼓動が耳元で暴走するのを感じながら、震える手で一枚の「起爆符」を壁面に押し当てていた。 彼の視界は極度の緊張で狭まり、額から流れる脂汗が目に入って痛む。


(これでいい……これで、ガルディアは目を覚ます。セリス様を、取り戻すんだ)


エルンストは、ヴァルゼン帝国の工作員から手渡された軍用爆薬の試作品を取り出した。金属質の冷たい肌触りが、今の彼にとっては唯一の希望の拠り所だ。 だが、彼には致命的な欠落があった。魔術教育こそ受けてはいるが、爆発物の専門知識は皆無であり、刻もうとしている起爆術式の数式は、極度の混乱によって魔力の循環経路が根本から歪んでいたのである。


「……っ、起動!」


彼が無理やり魔力を流し込んだ瞬間、夜の静寂は切り裂かれた。

しかし、それはエルンストが夢想していたような、宮殿を揺るがす大轟音ではなかった。


──ドォッ。


湿った土が爆ぜるような、重苦しく、しかし不自然なほどに「小さい」衝撃音が響いた。 倉庫の石壁が一部崩落し、内部に積まれていた魔導資材が床に虚しく散乱する。 火災すら起きず、延焼を防ぐための防魔結界が「パリン」と乾いた共鳴音を立てて自動発動し、爆発の余波を瞬時に封じ込めた。


「……えっ? 嘘だろ……」


エルンストは呆然と立ち尽くした。

最新鋭の軍用爆薬は、彼の稚拙な術式構築のせいで、その能力の半分も発揮されることなく「不発」に終わったのだ。 人的被害がゼロであったのは、周辺に人がいなかった幸運以上に、一人の素人による壊滅的な技術不足の結果であった。


一方、闇に紛れてその様子を観察していた「黒鋼派」の工作員たちは、冷淡にその場を離脱しようとしていた。

本来の計画では、エルンストは「儀式棟」を破壊するはずだった。そこは翌朝、公女王エリシアが視察を予定していた重要拠点である。


(位置を間違えたか。所詮、捨て駒は使い物にならんな)


工作員の一人が、アーク・リンクの秘匿回線で帝国の本拠地へと報告を送る。


『暗殺計画は失敗。だが、宮殿内に“内通者”がいるという事実は刻んだ。ガルディアの防壁には、無視できぬ揺らぎが生まれたと判断する』


彼らにとって、エルンストの人生がどうなろうと知ったことではなかった。


爆発の直後、宮殿全域に甲高い非常警報が鳴り響いた。

赤く明滅する魔導街灯が廊下を染め、静まり返っていた宮殿は一転して戦場のような緊迫感に包まれる。


「王族区画、避難開始! 訓練通りに動け! 迎撃配置、急げ!」


侍従長の鋭い指示が飛び、軍靴の響きが床を叩く。 公女王エリシアは、近衛兵たちに周囲を固められながらも、驚くほど冷静な足取りで地下の安全区画へと移動を開始していた。 彼女の琥珀色の瞳には、揺るぎない理性が宿っている。

(……テロ? いえ、この魔力波長は……もっと個人的で、未熟なものね)


現場には、宮廷魔術師団長が即座に急行し、重層的な「対爆・対炎結界」を展開していた。

彼は瓦礫の中に残された魔力痕跡を青白い解析光で照らし出し、深く眉をひそめた。


「……魔導爆薬の反応。しかし、術式が極めて不細工だ。魔力の循環が途切れている。これは……高度な訓練を受けた工作員ではなく、素人の犯行か?」


師団長の呟きは、周囲を警戒する情報局員たちの耳にも届いた。


「宮殿全域を封鎖せよ! ネズミ一匹逃がすな!」

ガルディア情報局長セルヴェンの怒号が響き、全ての出入り口が重厚な魔導シャッターによって閉ざされた。 情報局員たちは現場に残された「濁った魔力痕跡」を辿り、暗い夜の闇の中へと消えていった犯人の逃走経路を特定し始める。


「内部犯の可能性が高い。今すぐ宮殿勤務者全員のデータを照合しろ!」


深夜の宮殿を流れる空気は、刺すような緊張感と、目に見えない不気味な恐怖に満ちていた。

西大陸を覆い始めた戦乱の余波が、ついにこの平和な宮殿の、最も深い場所にまで及んだことを、誰もが悟らざるを得なかった。


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