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首都ガルディアス。夜の静寂に包まれたヴァレンティア辺境伯邸の一画、魔導空調の低く一定な駆動音だけが響く自室で、エルンスト・ハルデンは所在なげにアーク・リンクのディスプレイを見つめていた。
画面に映し出されているのは、公国広報が配信した過去のニュースアーカイブだ。
昨年九月、公女王付き特別補佐官の就任式で、凛とした表情でエリシアの傍らに立つセリス・ヴァレンティアの姿。そして最近のトピックスには、南大陸サハリス砂漠王国の迷宮『幻砂冥廊』にて、未踏域であった四十階層の守護獣を討伐し、その魔石を国王へ献上したというアレン一行の実績が華々しく報じられていた。
(アレンたちは五十二階層の完全攻略という「理外」の偉業を成し遂げながらも、国際的な混乱を避けるため、その事実を公表していない)
「……奪われた」
エルンストの口から、乾いた言葉が零れ落ちる。
かつて、彼の視線の先には常にセリスの背中があった。 辺境伯家の専属侍従として、彼女が幼少期からどれほどの研鑽を積み、魔術師としての誇りを磨いてきたかを、誰よりも近くで見守り続けてきたという自負があった。 だが今、彼女が「理外の男」と結んだ《魔力循環誓約》は、婚姻と同等の社会的重みを持って彼女をアレンの所有物へと変えてしまった。 二十八歳の誠実だった青年の心に空いた巨大な空白は、行き場のない嫉妬と、彼女を守れなかったという罪悪感の毒にじわじわと侵食されていた。
彼の心を決定的に歪ませたのは、昨年末に勃発したノルディア王国との戦争だった。
ガルディアス上空で放たれた「純魔力圧縮弾頭」の迎撃。 そして、国王ヴァルターの暴走によるノルディア巨大魔術塔の崩壊。 その際、魔力炉の臨界突破によって引き起こされた超指向性の「魔力衝撃波」は、国境を越えてエルンストの故郷である地方都市をも襲った。 物理的な破壊こそ免れたものの、都市の電力網と通信インフラは数日間にわたって完全に沈黙した。 闇と静寂に支配され、文明の利器を奪われたその屈辱的な時間は、彼の中で拭い去れぬ恐怖と怒りとして結晶化していた。
「ガルディアが、弱いからだ……」
公女王エリシアが掲げる穏健な国際協調路線。 それが他国の付け入る隙を与え、結果として自国の領土を危険に晒した。 そして、その「弱さ」を補うために、セリスは迷宮の深層という、死と隣り合わせの場所へ行かされている。
(公女王がもっと強硬であれば、戦争など起きなかった。セリス様だって、屋敷で穏やかに笑っていられたはずなのに)
孤独な思考の檻の中で、歪んだ因果関係が「唯一の真実」へと書き換えられていく。 ガルディアを強靭な国家へ作り変えなければ、セリスは永遠に戻ってこない。 救済への渇望は、いつしか公女王への憎悪へと反転していった。
そんな折、彼は場末の酒場で一人の男と出会った。
男は決してエルンストに命令をすることはなかった。 ただ、薄暗い店内の隅で、エルンストの心にある政府への不満を静かに肯定し続けた。
『君の嘆きは正しい。今の公女王は、自らの理想に酔って民を危険に晒している。……変える勇気さえあれば、君は彼女をその呪縛から救い出せるはずだ』
その囁きは、雨水が土に染み込むように、エルンスト自身の意思として魂に定着していった。
彼は気づかない。 自分がヴァルゼン帝国軍務院の影 ── 「黒鋼派」という巨大な陰謀を企む組織によって、使い捨ての火種として選別されたことに。 彼はその男を、自分と同じ憂いを持つ「志を同じくする仲間」だと信じ込んでいた。
エルンストは机の引き出しを開け、その中にある「贈り物」を取り出した。
それは男から譲り受けた、帝国の軍用爆薬の試作品だった。
窓から差し込む冬の月光を浴びて、金属質の冷たい光を放つその塊は、今の彼にとってセリスを取り戻し、国を正すための唯一の聖遺物のように見えていた。
「ガルディアが変われば、セリス様は戻ってくる。……いや、私が戻してみせる」
アーク・リンクのディスプレイを消すと、室内は深い闇に包まれた。
だが、エルンストの瞳には、狂信的な光が宿っている。 これは誰に強制されたわけでもない、自分自身の自由な意思による決断なのだ。 公女王の「弱さ」を正し、ガルディアを強靭な国家へと新生させる。 これは、愛する女性のため、そして祖国のために捧げる「聖戦」であると、彼は心の底から確信していた。
「これは、セリス様のためだ……」
深夜の静寂の中、かつての忠実な侍従は、歪んだ正義を胸に秘め、破滅へと続く一歩を踏み出した。
その背後には、彼を冷酷に嘲笑うヴァルゼン帝国の影が、濃く、深く伸びていた。




