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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第16章:崩れゆく平和の序奏

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16-6

アルヴェリア王国での騒乱から数日後。ガルディア公国宮殿、アレンたちの拠点である別邸には、久方ぶりに穏やかな時間が流れていた。窓外では、冬の名残を惜しむような冷たい風が吹いているが、室内は高性能な魔導空調によって、常に一定の快適な温度が保たれている。


「アレン殿。折を見て、セリスの実家へ正式に挨拶に行っておくと良いわ」


ソファに腰掛け、リィナが淹れたばかりの茶を口にした公女王エリシアが、琥珀色の瞳をアレンへと向けた。彼女の微笑みは柔らかいが、その言葉には国家元首としての、そして貴族社会の頂点に立つ者としての重みがあった。


「挨拶……。セリスの実家か」


アレンは見上げるほどの体躯を僅かに揺らし、隣で居住まいを正したセリスを一瞥した。


「ええ。彼女は四大公爵家にも連なるヴァレンティア辺境伯家の令嬢よ。あなたが彼女を『誓導者』として預かる以上、マスターとしての礼儀は通しておくべきだわ。それが、彼女の立場を守ることにも繋がるの」


エリシアの助言は、単なる社交の推奨ではなかった。大陸最強の個体となりつつあるアレンが、伝統ある辺境伯家と良好な関係を築くことは、公国内部における政治的安定にも直結する。アレンは数秒の沈黙の後、その「ことわり」を理解し、静かに頷いた。


「わかった。セリスを預かる身として、筋は通すべきだな」



数日後の午後。

三人は無人タクシーを使い、首都ガルディアスの一等地に位置するヴァレンティア辺境伯邸へと向かった。滑り込むように停車したタクシーのドアが開くと、迷宮国家ガルディアを象徴するような、質実剛健で重厚な石造りの邸宅が姿を現した。


「……少し、緊張しますわね」


セリスが紺銀の軍服の襟を正し、小さく息を吐いた。彼女の周囲に漂う魔力波長が、微かな不安と、それ以上の期待に細かく震えている。隣ではリィナが「大丈夫ですよ、セリス」と、その手にそっと触れて優しく微笑んでいた。


出迎えた侍女たちに導かれ、重厚な防魔木の扉を抜ける。廊下の壁面には歴代当主の肖像画と共に、古い魔導紋が刻まれた装飾品が並び、名家の威厳を静かに湛えていた。


広間で待っていたのは、当代当主ライナルト・ヴァレンティア。

セリスと同じ淡い琥珀色の瞳を持ち、厳格さの中に温厚さを湛えたその佇まいは、一目で彼が誠実な人物であることを物語っていた。

ライナルトはアレンが室内に入った瞬間、その身に纏う「理外」の、しかし極限まで洗練された魔力圧を肌で感じ取り、僅かに目を見開いた。


「遠路はるばる、よく来てくれた。歓迎しよう」


ライナルトの穏やかな声が広間に響く。


「アレン・ヴァルグレイです。セリスを預かる身として、ご挨拶に参りました」


アレンは丁寧に頭を下げた。漆黒の瞳に宿る誠実さと、王族を前にしても揺るがない強固な精神。その振る舞いに、ライナルトは満足げに目を細めた。


対面した席で、アレンはセリスを第二誓導者として迎えた立場から、今後の展望を述べた。

「彼女の安全については、私が責任を持ちます。何があっても、俺が守り抜くと誓いましょう」


その真っ直ぐな言葉に、セリスは驚いたように顔を上げ、やがて瞳を潤ませて俯いた。ライナルトはしばらく沈黙し、アレンの目を射抜くように見つめていたが、やがて重みのある動作で深く頭を下げた。


「……娘を、よろしく頼む。アレン殿。君のような男に託せることを、私は誇りに思う」


面会を終えた後、三人は侍女の案内で邸内を回った。

セリスがかつて研鑽を積んだという私室には、使い込まれた魔導書や、彼女が努力で勝ち取った記念品が整然と並んでいる。その光景を眺めていると、案内していた侍女が、ふと思い出したように口にした。


「そういえば、エルンストさん。最近少しお疲れのようでしたわ。セリス様がいなくなって、心に穴が空いたようだと寂しがっていましたよ」


「エルンストが……? 真面目な男ですから、無理をしていなければ良いのですが」


セリスが僅かに眉を寄せ、かつての専属侍従の身を案じる。ライナルトも傍らで同意するように頷いた。

「ああ、真面目な男だ。セリスを守ることに誇りを持っていたからな。今は別の任務で本邸に戻っているが……彼も君の活躍を喜んでいるはずだ」


アレンは「そうか」と短く答えた。彼の直感は、その名に付随する僅かな「不協和音」を捉えていたが、今はそれを具体的な脅威として認識するには至らなかった。


その日の夜、辺境伯邸では温かな晩餐会が開かれた。名家の令嬢ではなく、一人の娘として家族に愛されるセリスの姿。アレンとリィナもまた、一時の休息を家族のように歓迎された。


帰り路、静かな駆動音を立てる無人タクシーの車内。

「……セリス。良い家族だな」


アレンの言葉に、セリスは窓の外を流れるガルディアスの夜景を見つめたまま、小さく呟いた。

「……はい。改めて、守るべき場所があるのだと実感しましたわ。……エルンストも、元気にしているといいのですが」


「真面目な男だと聞いた。きっと、元気にやっているさ」


アレンは優しく答え、セリスの精神的な安定を確信して目を閉じた。


しかし、理外の守護者ですら、この時はまだ知る由もなかった。かつて誠実だったはずの侍従エルンストが、すでに救いのない孤独と嫉妬の毒に侵され、首都の影で「歪んだ正義」の牙を研ぎ始めていることを。


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