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世界樹の町、老舗ホテル「世界樹の緑風館」の一室。
夜明け前の静寂を破ったのは、廊下に一列に転がされた十二人の聖騎士たちが放つ、場違いな金属音だった。 拘束された彼らの重厚な甲冑が床と擦れるたび、重苦しい響きがホテルの壁を伝わり、建物の防魔結界が微かに共鳴してチリチリと乾いた音を立てる。
「……アレン殿。これは、一体どういう事態なのですか」
駆けつけたエルフ特別自治区の行政官は、廊下の惨状を目の当たりにし、顔を青ざめて絶句した。 世界樹の麓という、大陸でも指折りの「聖域」であり、同時に平和な「観光地」でもあるこの場所において、他国の聖騎士が武装したまま、それも成す術なく拘束されている。それは自治区、ひいてはアルヴェリア王国にとって最大級の外交的不祥事であり、主権侵害そのものであった。
「ルミナス聖王国の連中だ。俺を『異端』だと言って寝込みを襲ってきた」
アレンは壁に背を預け、冷めた目で審問官たちを一瞥した。 その瞳には、怒りよりも「理」を解さぬ者たちへの淡い失望が宿っている。
「後の処理は任せる。だが、その前に一つ確認しておきたいことがある。……セリス、どうだ?」
部屋の隅、押収したアーク・リンクを並べ、青白いホログラムウィンドウを高速で操作していたセリスが顔を上げた。 彼女の指先が虚空の数式を弾くたび、端末から抽出された通信ログが滝のように流れ落ちる。
「……アレン様、暫定的ですが面白いデータが取れましたわ。この者たちの通信記録に、アグニス王国の暗号化された周波数が混じっています。……宛先は『No.30』。間違いありませんわ、カイル・ヴァン・ブラッドレイ。彼がルミナスの過激派にアレン様の情報を売ったのですわ」
セリスの青い瞳に、鋭い侮蔑と冷徹な殺意が宿る。アグニスのカイル。アレンに拾った「棒切れ」一本で完膚なきまでに叩き伏せられた恨みを、あろうことか宗教的な「異端審問」という形で晴らそうとした卑劣な行いに、セリスの指先が僅かに震えた。
「カイルか。……敗北の数式を他人に書き換えさせるとは、どこまでも非効率な男だな」
アレンは吐き捨てるように言うと、隣で待機していたリィナへと視線を移した。
「リィナ、王都へ報告を。……王宮の直通回線を使え」
「はい、アレン様。……準備しますね」
リィナは手慣れた動作でアーク・リンクを起動させた。 アレンという特級魔軌士No.11の存在は、今やアルヴェリアにとっても国家の均衡を左右する重要因子だ。 国王レオニスから提示された「王宮緊急直通回線」は、形式を無視した国家最優先ラインとして機能している。
「接続します。……アレン様、魔力署名をお願いします」
アレンが画面に触れると、空中に青白い粒子が収束し、王宮の緊急オペレーターの顔が映し出された。
『こちらはアルヴェリア王宮、緊急通信管理室です。……っ、この魔力波長は、アレン・ヴァルグレイ閣下!?』
「……ああ。国王陛下に繋いでくれ。緊急だ」
数秒のノイズの後、画面には夜着の上に急ぎマントを羽織ったレオニス・アルヴェリア王の姿が投影された。 彼の背後には、同じく緊急招集されたであろう側近たちの慌ただしい影が映り込んでいる。
『アレン殿か。……こんな時間に直通回線を鳴らすとは、穏やかではないな。何があった?』
「陛下、申し訳ありません。世界樹の町で、ルミナス聖王国の聖騎士団に襲撃されました」
リィナがアレンに代わり、状況を簡潔に、しかし毅然とした口調で説明した。 十二名の聖騎士と審問官をアレンが無傷で制圧したこと。 そして、セリスの解析により、この件にアグニス王国の特級魔軌士No.30、カイルが深く関与している証拠を掴んだこと。
レオニス王の温厚な顔から、一瞬にして色が消えた。 大国の王としての冷静さが、国際問題の深刻さを瞬時に計算し、彼の瞳に鋭い光を灯した。
『……世界樹の麓での武力行使。これはエルフ自治区の法、そして我が国の主権に対する明白な挑戦だ。アグニスとルミナス……この落とし前は、必ずアルヴェリアがつけさせる』
王都アルヴェンから世界樹国際空港までは、航空機で約三時間の距離がある。 国王自らが今すぐ駆けつけることは物理的に不可能だった。
『アレン殿。すまないが、そのまま待機していてほしい。今から王宮守護騎士団の特別急行機を飛ばす。到着まで三時間……それまでは自治区の行政官に彼らを厳重に監視させる。……必ず、我が国の主権を持って解決すると約束しよう』
「わかった。三時間だな。……寝直させてもらうぞ」
アレンが短く通信を切ると、リィナは深々と溜息を吐き、隣のセリスと顔を見合わせた。
「アレン様、せめて三時間後には身なりを整えてくださいね……」
「……あ。任せる」
アレンは再びベッドへと潜り込んだ。 アルヴェリア王国を揺るがす、あるいは大陸全土の火種となる大事件を引き起こした当の本人は、嵐の前の静けさを楽しむかのように、深い眠りへと落ちていった。
三時間後。
世界樹国際空港の滑走路に、アルヴェリア王室の紋章を刻んだ高速魔導航空機が、鋭い吸気音を響かせて滑り込んできた。タラップが降りると同時に、重装甲を纏った王宮守護騎士たちが次々と降り立ち、行政官の立ち会いの下で聖騎士たちの身柄を引き継いでいく。
「アレン閣下。これより容疑者を王都へ移送し、アグニス王国およびルミナス聖王国へ公式な抗議を行います」
騎士団長がアレンに対し、敬意を込めて礼を執った。 自治区の行政官も立ち会い、国際法に則った厳格な調書が作成される。 アレンの力がもたらした「無傷の制圧」という事実は、そのままルミナスの非道を際立たせる強力な証拠となった。
「……ようやく、片付いたな」
アレンは背筋を伸ばし、三時間ぶりに深く息を吐いた。
三人は世界樹国際空港から定期便に乗り込み、ガルディア公国への帰路についた。
窓の外、遠ざかっていく世界樹の町の威容。
今回の襲撃は、アレンの《魔術消去》という力が、既存の秩序(現代魔術体系)にとってどれほどの脅威であるかを、図らずも世界に知らしめる結果となった。
「アレン様……。これからもっと、こういうことが増えるのでしょうか」
リィナが銀髪を揺らし、不安げに呟く。
「……その時は、俺が全部消してやるさ。安心してろ」
アレンは逞しい腕で、二人の誓導者を守るように引き寄せた。
西大陸の情勢は、バルムート王国で開催される「六月の首脳会談」を前に、抜き差しならない緊迫感を帯び始めていた。




