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女神歴二一九七年二月十五日。
王都ガルディアスの街並みには、先日の雪が白く残り、吐き出す息も白く凍るほどに冷え込んでいた。 だが、公国宮殿の公女王執務室の内部は、最新の魔導空調によって春のような暖かさに保たれている。
「契約更新の書類が準備できたわ。……改めて、再契約をお願いできるかしら?」
エリシアは、机の上に置かれた青白く発光するデジタル端末のディスプレイをアレンの方へ向けた。 彼女の琥珀色の瞳には、国家元首としての冷静な眼差しの中に、この「理外の守護者」を手放したくないという微かな執着が滲んでいる。
アレンはソファに深く身体を預けたまま、隣に座るリィナへ視線を送った。 リィナは慣れた手つきで端末のログをスクロールし、契約条項の細部までを丁寧に確認していく。 内容に問題がないことをリィナが静かに頷いて示すと、アレンは指先に僅かな魔力を込めた。
「俺は傭兵だ。特定の国に永続的に縛られるのは、性に合わないんでね」
アレンがディスプレイの署名欄をなぞると、空間に刻まれた魔術的な因果の鎖が結ばれ、淡い燐光と共に契約が更新された。
「ええ、分かっているわ。だから『雇用契約』という対等な形にしているのよ」
エリシアは満足げに微笑み、茶器を置いて本題を切り出した。
「それで──例の魔石の件なのだけれど。発電所の備蓄状況を考えれば、多ければ多いほど助かるわ」
「現在の手元にあるのは、二月の遠征で確保した二十一階層から二十五階層までのボス魔石が二個ずつ。計十個だ。三月の頭には、さらに十個……合計二十個を約束通り納品できる」
アレンの淡々とした報告に、エリシアは感嘆の溜息を吐いた。 公国の総発電量の二割を支える魔石発電所にとって、二十一階層から二十五階層のボス魔石は、原子力発電における核燃料に等しい国家戦略物資だ。 それを「定期便」のように持ち帰る男の存在は、公国のエネルギー政策そのものを根底から書き換えていた。
「その先も、続けて納品していただいても良いのよ?」
「……何度も行くのは手間だ。暇になったら考える。それに、俺がこの階層の魔石を独占すると、他の上級魔軌士たちの稼ぎ場所を奪うことになるからな」
アレンの合理的な懸念に、エリシアは可笑しそうに肩を揺らした。
「あなたと他の魔軌士を同じ天秤にかけるのは無理よ、アレン殿。二十四階層と二十五階層は、あなたが来るまで長らく『未攻略』だったのだから」
後日、二月二十一日。
アレンたちは三回目となる『深古水環宮』の「定期清掃」を敢行した。《空間転移》を駆使し、立ち塞がる守護獣たちを《光束魔術》の一撃で事務的に処理、日帰りで二十一階層から二十五階層までの魔石を回収して帰還した。
二月二十五日。
三人は一度ガルディアを離れ、南大陸サハリス砂漠王国へと飛んだ。 目的は、前回の『幻砂冥廊』攻略で得た預かり証分の換金だ。
王都サハラームの魔軌士支局では、支局員が畏まった態度で一行を迎えた。
「サハリス王宮より引見の申し入れが届いております。国王陛下が、魔石献上の礼を直接伝えたいと……」
「断る。俺はガルディア公国の傭兵だ。他国の王と馴れ合うつもりはない」
アレンは支局員の言葉を冷徹に遮り、換金手続きを済ませると、即座に空港へと向かった。 南の大国からの感謝すら「ノイズ」として切り捨てるその徹底した姿勢は、傍らに立つ二人の誓導者への信頼の裏返しでもあった。
三月一日。
四回目となる『深古水環宮』の「定期清掃」を終え、アレンたちは首都ガルディアスの魔軌士支局を訪れていた。 受付のカウンターにリィナが手際よく魔石を並べていくと、解析用の青白い光が室内を幻想的に照らし出す。
「……それで、リオネル支局長。ここのボスは、俺たちがいない間、他のパーティでも倒せそうか?」
アレンの問いに、支局長であるリオネルは書類から顔を上げ、険しい表情で首を振った。
「一応、攻略パーティは出発していますが……正直なところ、再三の戦死者が出ており厳しい状況です。もし差し支えなければ、弱点や戦い方の詳細を教えていただけませんか?」
支局長の切実な懇願に、アレンは心底困ったように眉を寄せた。 思考プロセスの中での「直感」と「分析」が、自分にその情報を与えることが不可能であるという結論を即座に導き出したからだ。
「……一理あるが。俺には無理だ。瞬殺したから、そもそも戦った記憶がない」
「えっ……」
リオネルが絶句する中、アレンは助けを求めるように隣の二人へ丸投げした。
「リィナ、セリス。何かあるか?」
「あ、ええと……二十四階層の巨神は、右腕を振り上げた瞬間にのみ、水流の核が露出します。そこを光属性で突くのが有効かと」
「二十五階層の蟹型は、まず外殻の古代機構を雷属性で一時的に麻痺させ、修復機能を止めるのが定石ですわね」
二人の誓導者による完璧な解説に、リオネルは必死にペンを走らせる。 その様子を一瞥し、アレンは「当分は来ない」と言い残して支局を後にした。
夕暮れの街路には、魔導街灯が柔らかなオレンジ色の光を灯し始めている。
「……アレン様。最近、この近くに新しい『辛い料理』のお店ができたそうですわ」
セリスが、少しだけ声を弾ませて提案した。 気品ある軍服の飾緒を揺らしながら、彼女の青い瞳には期待の色が宿っている。
「お前、辛いのは苦手じゃなかったか?」
「……『普通の辛さ』なら大丈夫ですわ! 令嬢の嗜みとして、それくらい克服してみせます」
セリスは毅然と胸を張ったが、すぐに「ただし『激辛』は……その……死にますわ」と、語尾を弱めた。
「ふふ、じゃあ普通の辛さにしましょうね、セリス」
リィナが銀髪を揺らして優しく微笑み、三人は連れ立って夕闇のガルディアスへと歩み出す。
世界を揺るがす「理外」の力を持ちながらも、その日常は穏やかなスパイスの香りと共に、静かに過ぎていくのであった。




