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二一九七年一月二十一日。迷宮探索を終えた翌日の午後、アレンたちは公女王エリシアの執務室を訪れていた。大きな窓からは冬の穏やかな陽光が差し込み、室内には淹れたての茶の香りと共に、心地よい静寂が満ちている。
「とりあえず、二十五階層のボスまで攻略してきた」
アレンが対面のソファに腰を下ろし、事も無げに告げた。その報告に、手元の書類へ目を落としていたエリシアは動きを止め、驚愕を隠せずにその青い瞳を瞬かせた。
「……ええ、支局からの報告で既に聞き及んではいたわ。けれど、やはり早すぎるわね。あの階層なら、通常の上級パーティでも往復に一か月は掛かるはずでしょう?」
「ええ。そうらしいですね」
アレンの淡々とした返答に、エリシアは深く息を吐き、感嘆の眼差しを向けた。
「さすがだわ……。本当に、あなたは規格外ね。アレン殿。あなたが来てくれたことで、ガルディアの迷宮政策は十年は前倒しになるわ」
エリシアの賞賛を受け流すように、アレンは自らの左手に嵌めた指輪へと視線を落とした。
「陛下。今から指輪に魔力を通します。光るので驚かないでください」
アレンがそう告げ、自身の指輪に世界樹の理に基づいた魔力を流し込んだ。 刹那、エリシアの右手にあった指輪と、隣に座るリィナ、セリスの指輪が呼応するように、一斉に柔らかな光を放った。
「……うん。大丈夫なようだな。次、リィナ。その後にセリス、やってみてくれ」
アレンの指示に従い、二人の誓導者も順に魔力を通す。三つの指輪は寸分の狂いもなく共鳴し、その青白い輝きを共有した。
「陛下の指輪も一緒に光るのはご愛敬、ということで今はご勘弁を。今の術式だと、俺が三つ指輪を付ければ済むんですが、ゴテゴテするのは嫌いなので」
アレンは自身の指輪を見つめ、淡々と解説を続けた。
「光る色を変えることもできますが、今はとりあえずこのままで。基本、この二人は俺と一緒にいますから。信号を確認し合うにはこれで十分です」
「これ……音声も通せるようになるのかしら?」
エリシアが興味深げに、右手薬指に嵌まった指輪を指で撫でる。
「将来は可能だと思います。ただ、いくつか引っかかっている点があって、今は無理ですね。アーク・リンクの通信が迷宮内に届かないのと、同じ理由だと思います」
「迷宮内で光るだけでも十分すぎるほど凄いわ。これ、下手をすれば『次世代の軍事通信技術』になり得るわね……」
エリシアは独り言のように呟き、その瞳に政治家としての鋭い光を宿した。 だが、すぐに柔らかな微笑みに戻ると、手元のカレンダーへと視線を移した。
「それで、今後の予定を聞いておきたいんだが」
アレンが話題を切り替えると、エリシアは少し考え込む仕草を見せた。
「しばらく、サハリスの『幻砂冥廊』に行きたいと考えています。もちろん、こちらの迷宮もボスの再生に合わせて、十日おきにあと四回は二十五階層まで潜るつもりですが」
「……そうね。今のところ国内に緊急の事態はないわ。次にあなたたちが必要なのは、六月にバルムート王国で開催される『世界十五か国首脳会議(WFS)』の護衛かしら。期間は一週間ほど。受けていただける?」
ふとアレンが隣を見ると、セリスが何か言いたげな表情を浮かべていた。だが、彼女は何も言わずに自身の軍服の膝を握りしめている。
「護衛か。受けてもいいが、俺が必要なほど危険なのか?」
「いいえ。危険ではないわ」
エリシアは悪戯っぽく微笑んで見せた。
「……単なる『見栄』よ。我が国に、あのアレン・ヴァルグレイがいるという事実を、他国に知らしめるためのね」
「……えっ」
意外すぎる理由に、アレンは言葉を失った。 国家元首としての合理的な「ブラフ」という戦術を、理の視点から分析し、溜息を吐く。
「それと、まだ少し早いけれど、二月には雇用契約の更新期限が来るわ。当国としては当然、更新をお願いしたいのだけれど」
「ああ、それは構わない。更新書類を用意しておいてくれ。護衛の件も、引き受けよう」
「ありがとう。では、そのように手配しておくわね」
その夜、宮殿別邸のリビングにて。
セリスは、温かい茶を淹れながら、ふと沈んだ声で口を開いた。
「……昨年も、別の国で首脳会議があったのですわ。私も護衛として参加したのですが、その時、少し嫌なことがありまして」
「……何があったんだ?」
アレンが問いかけると、セリスの青い瞳に、強い不快感と侮蔑の色が混じった。
「誓導者を『装飾品』扱いする特級魔軌士がいたのですわ。私の魔力波長を、許可もなく勝手に測ろうとしてきて……。ただの『便利な道具』として見られるのは、耐え難い屈辱でしたわ」
セリスのレイピアを握る指先が微かに震えている。 魔力循環誓約は婚姻と同格の重さを持ち、その波長は魂のプライバシーそのものだ。
「……ああ、分かった」
アレンの低い声に、静かな怒りが混じった。 理を愛でる彼にとって、他者の魔力構造を無理やり覗き見ようとするその傲慢さは、万死に値する無礼であった。
「セリス、大丈夫です」
リィナがそっとセリスの手に自身の手を重ね、優しく、しかし確固たる意志を込めて告げた。
「アレン様がいれば、誰にも触れさせません。私たちを守ってくださるのは、アレン様ですから」
セリスはリィナの温もりに少しだけ表情を和らげ、小さく頷いた。
「……ええ。分かっていますわ。よろしくお願いいたしますわね、アレン様」
「任せろ。俺の誓導者に手を出す奴がいれば、容赦はしない」
リビングの照明の下、アレンの影が二人の誓導者を包み込むように揺れた。 六月の首脳会議。それは、平穏な外交の裏で、アレンという「理外」の力を世界に見せつける、新たな戦いの予兆でもあった。




