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女神歴二一九七年一月二十日。
四大迷宮の一つ、ガルディア公国の『深古水環宮』の冷たく湿った大気からようやく抜け出した頃、首都ガルディアスは既に深い夜の静寂に沈んでいた。石畳の街路を照らす魔導街灯が穏やかな光を投げかけ、時折通り過ぎる電動車両の微かな駆動音だけが、眠りについた都市の息遣いのように響いている。
アレン、リィナ、セリスの三人は、一週間に及ぶ迷宮探索の泥や汚れを《清浄魔術》で払い落としたものの、身体の芯に残る緊張感までは拭いきれぬまま、その足で魔軌士支局へと向かった。
深夜の支局ロビーは、日中の喧騒が嘘のように静まり返っていた。アレンが受付の職員に事後報告と換金のために支局長を呼べるか尋ねると、その職員は居住まいを正して即座に頷いた。
「支局長は奥の執務室におります。特級第十一位の帰還とあらば、すぐにご案内しましょう」
案内された部屋の扉が開くと、そこにはシャツの襟を寛がせ、少しだけ寝癖のついた淡い金髪を掻きながら立ち上がる男の姿があった。ガルディアス支局長、リオネル・フェルマード。四十歳という若さで首都支局を任される彼は、魔力解析の天才肌として知られ、普段の柔和な雰囲気とは裏腹に、職務においては冷徹なまでの正確さを誇る人物である。
「……いやぁ、失礼。実は仮眠を取っていたところでね。だが、アレン殿たちの帰還と聞けば、寝ているわけにはいかない」
アレンは短く頷くと、腰のポーチから無造作に魔石を取り出し、解析用のデスクへと並べた。
一階層から二十四階層までの魔石、そして今回の主目的である未攻略区画 ── 二十四階層のボス魔石、二十五階層の通常魔石、そして一際強い蒼の燐光を放つ二十五階層のボス魔石が、青白いモニターの光に照らし出される。
「な……っ!?」
隣に控えていた鑑定士が絶句し、眼鏡をずらして魔石に顔を近づけた。期待と驚愕、あるいはあまりの衝撃による思考停止か。リオネル支局長もまた、鋭い青灰色の瞳を見開き、今にもよだれを垂らしそうな表情でその巨大な結晶を凝視している。
「素晴らしい……! アレン殿、これだけの質、そして量があれば、我が支局の予算が一年分は浮きますよ。特にこの二十五階層のボス魔石……これ一つでどれだけの電力を賄えるか……」
「……そんなにか」
アレンは低い声で問い返した。理の視点から見れば、その魔石に凝縮されたエネルギーが膨大であることは理解できる。だが、公国の行政組織の中枢にいる男がこれほどまでに取り乱す様子には、少しばかりの呆れを禁じ得なかった。
「当然ですわ、アレン様。二十五階層のボス魔石は、公国の魔石発電所にとっても最高級の燃料になりますもの。国家戦略物資と言っても過言ではありませんわ」
セリスが、辺境伯令嬢らしい誇らしげな口調で補足する。彼女の青い瞳にも、自分たちが成し遂げた成果への確かな満足感が宿っていた。
ふと、アレンはリオネルの疲れた横顔を眺め、一つの疑問を口にした。
「あんた、いつもこんな時間までここにいるのか?」
「ああ。支局長という役職はね、どの支局であっても建物内に家族と共に寝泊まりするのが通例なのだよ。探索者の命は、我々が守らねばならんからな。深夜であっても、迷宮内で何かあれば、一分一秒を争って動かなければならない」
リオネルが、一瞬だけ鋭い「管理者の目」をして言った。その言葉の裏には、魔導文明を支えるインフラの末端を担う者としての、重い矜持があった。
(……大変な仕事だな)
アレンは、煌びやかな魔術や武勇の陰で、泥臭く世界を支え続ける人々の営みをそこに見た気がした。
預かり証と換金の手続きを終えた三人は、ようやく深夜の宮殿へと戻った。宮殿の別邸へと続く回廊は、冷たい夜気が頬を撫で、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
「……アレン様、眠いです……」
リィナが、銀髪を微かに揺らしながら、小さく欠伸をした。淡い青色の瞳には、連日の戦闘による深い疲労の色が浮かんでいる。
「アレン様、帰ったらすぐに休みましょう。私も、さすがに限界に近いですわね」
セリスもまた、背筋を伸ばして凛とした佇まいは崩さないものの、その声には隠しきれない倦怠が混じっていた。
「ああ……俺も限界だ。今日はよく頑張ったな」
アレンもまた、低く落ち着いた声で労った。
夜の宮殿は、魔灯の柔らかな光に照らされ、どこか現実離れした静謐な美しさを湛えている。手入れの行き届いた庭園は冬の眠りにつき、ただ三人の歩む軍靴の音だけが規則正しく響いていた。
「……明日は、昼までゆっくり休むか」
アレンが別邸の重厚な防魔扉に手をかけながら言った。
「はい……」
リィナが、夢うつつのまま頷く。
「でもアレン様。公女王陛下への報告も、早めに行わなければなりませんわよ。あの方はきっと、首を長くして待っておいででしょうから」
セリスが、最後の一振りの理性を振り絞るように忠告した。
「……ああ、そうだったな。明日の午後には顔を出そう」
アレンは苦笑し、二人の誓導者をそれぞれの自室へと見送った。
『守護者』としての新たな日常。その過酷な探索の合間に訪れる、束の間の、しかし何よりも贅沢な休息の時間が、今ようやく始まろうとしていた。




