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アーク・リンクの中枢装置であった水晶の巨柱が、ただの白砂となって足元に崩れ落ちたその瞬間、世界を覆っていた「見えない網」が消失した。
アレンは無造作に右手を下ろし、熱を帯びた自らの掌を見つめた。
世界を破滅へと誘う狂った数式が消去され、魔力の奔流があるべき場所へ、あるべきリズムへと還っていく。 理の修正を終えたという静かな充足感が、冷徹な殺気に代わって彼の胸を満たしていた。
リィナの瞳は、アザルによって歪められていた魔力波長が、夜明け前の空のように澄み渡っていく様を捉えていた。
「アザル、あなたの台本は、ここでおしまいですわね」
セリスは床に伏し、絶望に顔を歪めるアザルを冷徹に見下ろしながら、少しだけ満足そうに口角を上げた。
首謀者の拘束と中枢の破壊により、事態は収束へと向かった。だが、その裏側で行われたのは、人類史上最大規模とも言える情報の「外科手術」であった。
アザルを連行した数日後、世界中の魔導放送が一斉に緊急声明を流した。
『本日より、全世界で新型アーク・リンクの無償配布を開始します。魔力署名のセキュリティ・バージョンアップを名目とし、旧型はすべて回収いたします』
各国政府はこの声明を、アザルが仕組んだ「バックドア」という致命的な欠陥を伏せたまま実行した。
大衆の混乱を避けるための苦肉の策。だが、世界中の人々が古くなった端末を差し出し、新たな光を宿した新型を受け取る光景は、アザルという狂人が撒き散らした毒を、世界という巨大な肉体から慎重に抜き取る作業そのものであった。
同時に、この事件は大陸の勢力図を根本から塗り替えた。
アークレスト王国が長年独占してきた、アーク・リンクの利権は事実上終焉を迎えた。
魔導工学の結晶たる通信インフラは、今や「多国間共同管理」の元に置かれることとなり、ガルディア公国はその厳格な「安全監査国」としての地位を確立した。
「技術の暴走を、一国に委ねる時代は終わりましたわ」
ガルディア公国の宮殿にて、公女王エリシアは各国大使を前に、毅然とした声で宣言した。
かつての調停者は、今や世界の通信の健全性を守る「安全の楔」となったのである。
当事国であるアークレスト王国は、解体の危機こそ免れたものの、払った代償は重かった。
国王フォルディスは責任を取り、退位を表明。 翌年の一月一日、若き新王エリオットが即位することとなった。
「……俺はまだ、この国を捨てるわけにはいかない」
王宮の冷たい回廊で、特級魔軌士No.4、グラディウス・ファルマードは低い声を響かせた。
彼は王を救えなかった不覚を、再建される王国の「盾」として残ることで贖う道を選んだ。 かつての傲慢さは消え、その瞳には国を立て直すという重い覚悟が宿っていた。
狂気の源泉となった魔導工学研究庁は解体され、ガルディアの厳格な管理下にある「魔導技術安全庁」が新たに設立された。
ガルディア公国がその安全基準を厳格に管理し、新たな技術が「武器」に転じるのを防ぐ。
技術は人のために。
その当たり前の理を取り戻すために、多くの文官と魔術師が東の大陸へと送り込まれた。
首都ガルディアスのテラスには、潮風を孕んだ穏やかな冬の風が吹いていた。
アレンは、新たに配布された新型アーク・リンクを、無造作に紺銀の礼装のポケットへ放り込んだ。 夕暮れに染まる海を見つめる彼の背中は、一連の激闘を経てもなお、揺るぎない静謐さを保っている。
「アレン様。これで、ようやく一区切りですわね」
リィナが銀髪を潮風に揺らしながら、彼の隣に立った。
「ああ。だが、新しい仕組みが定着するまで、しばらくは騒がしいだろうな」
アレンの低い声に、リィナは優しく微笑んだ。 彼女にはわかっていた。世界を繋ぐ「網」が新しくなっても、アレンが守るべき理の本質は変わらないことを。
「私は、アイスクリームの種類が増えるなら文句ないわ。東の大陸の最新フレーバー、早くガルディアスにも届かないかしら?」
セリスが金髪を指で弄りながら、不敵な、しかし年相応の笑みを浮かべて付け加えた。 アレンは二人の誓導者の言葉を背に、漆黒の瞳を水平線の先へと向けた。
平和が戻ったわけではない。ただ、世界が壊れるのを一歩手前で食い止めたに過ぎない。 理外の男の戦いは、形を変え、また次なる歴史の頁へと続いていく。
「……さて。次は、どこの闇を払うか」
アレンが呟いたその一言は、夕闇に溶け込み、夜の始まりを静かに告げた。




