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アザルの四肢は、リィナが放った高圧の水の鎖によって、地下研究庁の硬質な床へと縫い付けられていた。
だが、首謀者を拘束したという事実は、勝利の予感を一瞬で霧散させた。
室内の壁一面を埋め尽くす高精細モニター群が、突如として脈動を始めたからである。
青白かった画面は、血のように毒々しい赤色へと染まり、警告を告げる不協和音の電子音が、耳を劈くような高周波となって地下の静寂を蹂躙した。
「……アザルを止めたのに、ネットワークが止まらない。それどころか、フィードバック回路が暴走を始めていますわ!」
セリスが手元のアーク・リンクの数値を睨み、歯噛みした。彼女の青い瞳には、王宮全体の電力がアークレストの基幹サーバーへと逆流し、巨大な魔力溜まりを形成していく破滅的な光景が映し出されていた。
「く、くく……。遅いのだよ」
拘束されたアザルが、床に伏したまま恍惚とした笑みを浮かべた。
「プログラムはすでに自律航法に入っている。無理にネットワークを遮断してみろ。数億人の精神を繋ぐ『魔力の糸』がフィードバックを起こし、接続者全員の精神が焼き切れる。君の愛する『理』とやらが、一瞬で灰になるわけだ!」
「アレン様、あれは危険すぎます……! 従来の魔術で干渉すれば、フィードバックが世界中に波及してしまいますわ!」
セリスが叫び、指先で構築しかけた術式が不協和音によって霧散した。
アレンは、部屋の中央で心臓のように脈動する巨大な水晶の柱を見据えた。
アザルの言葉は、半分は真実だ。ネットワークを単に『破壊』すれば、反動は世界を壊す。ならば、遮断の瞬間に発生する数兆単位の精神ショックを、どこか一箇所に誘導し、封じ込める必要がある。……やるしかない。それが、理を正す者の責務だ。
「……リィナ、俺を中心に《空間隔絶結界》を張れ。一歩も外に漏らすな」
「えっ……? はい、わかりました!」
リィナが強い集中と共に両手を広げた。アレンを包み込むように光と水の粒子が収束し、外界との干渉を物理的に断絶する最強の結界が展開される。
アレンは無造作に歩み出し、剥き出しの水晶へと両手をかけた。
──《魔力直接操作》:全負荷誘導。
「ぐ、あああああッ!!!」
アレンの絶叫が、結界の内部に響き渡った。ネットワークが強制遮断された瞬間、行き場を失った数億人の「叫び」と「ノイズ」が、アーク・リンクの回線を逆流し、世界樹の理を宿すアレンの肉体へと一気になだれ込んだ。
アレンの胸、腕、首筋の蔦状の紋様が、血を流すような毒々しい赤色に発光し、皮膚を突き破らんばかりに脈動している。脳内に直接響く、数兆に及ぶ精神の不協和音。鼓膜ではなく魂を直接削り取るような、悍ましいノイズ。全身の血管を灼熱の鉄が駆け巡るような激痛。
リィナが施した《三重魔導護膜》が、アレンの内部から溢れ出す圧倒的な破壊エネルギーと衝突し、絶え間なく「パリン、パリン」と砕ける音を立て続けている。
アレンの一九二センチの巨躯が、内側からの魔力圧に耐えかね、ミシミシと軋みを上げる。
「アレン様! 止めてください、このままではあなたが!!」
結界の外で、リィナが涙を浮かべて叫ぶ。だがアレンは、歯を食いしばり、水晶の核を掴んで離さなかった。
(……これしきのノイズで、理を曲げさせるわけにはいかない……!)
アレンは最後に残った全ての意志を、右の掌に込めた。
──《魔術消去》。
術式も、属性も、規模も。アレンの放つ理外の力の前には何の意味も持たなかった。
パチン、と。
張り詰めた弦が断ち切られたような、清涼な音が地下の喧騒を貫いた。
次の瞬間、世界を覆わんとしていた赤黒い暴威は、朝日に晒された薄霧のように、一瞬でその輪郭を失った。
水晶を巡っていた「淀んだ数式」が根底から分解され、構成要素としての魔力は、本来の無垢な波長へと強制的に回帰させられていく。
激しく明滅していたモニター群が、安堵のため息を漏らすように次々と沈黙していった。
そして中枢装置であった巨大な水晶は、内側からその構造的な意味を失い、美しい白砂となって、音もなくさらさらと崩れ落ちた。
「……あ、あ……。私の……私の完成された美学が……。ただの砂に……?」
アザルは呆然と、指の間を零れ落ちていく砂を見つめ、糸が切れたように力なく崩れ落ちた。
地下研究庁に、死のような、しかしどこか清廉な静寂が戻った。
サーバーラックの冷却ファンの音だけが虚しく響き、空気中の焦げた臭いも、アレンの放った絶対的な「静寂」によって洗い流されていた。
「……終わったな」
アレンはゆっくりと手を下ろし、自らの掌を見つめた。その表情には、勝利の昂りも、敵への憎しみもない。ただ、あるべき姿に世界を戻したという、淡々とした充足感だけがあった。
「アレン様……」
リィナが震える足取りで歩み寄り、砂の山の前に立つ彼の軍服の袖をそっと掴んだ。
彼女の瞳には、かつてないほど澄み渡ったアレンの魔力波長が映っていた。
「ありがとうございます。……世界中の人たちの心が、今、解放されました」
リィナの穏やかな声が、アレンの精神回路を凪の状態へと導いていく。
セリスはレイピアを鞘に収め、深い溜息を吐き出した。
「まったく、アレン様の『理外』には、驚きを通り越して呆れてしまいますわ。……ですが、この結末こそが、私たちが選んだマスターの力なのですね」
彼女は誇らしげに、しかし少しだけ悔しそうに口角を上げた。
アザル・ハル=サーミが執念で書き上げた「世界大戦争」の台本は、今この瞬間、物理的にも、魔術的にも、そして理の上でも、完全に灰へと帰したのである。
技術国家アークレストを揺るがした深い闇は、一人の男の指先によって引き裂かれた。
アレン・ヴァルグレイ。理を愛でる男の戦いは、形を変え、また次なる歴史の頁へと続いていく。




