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二一九六年十二月下旬。東大陸の端に位置し、魔導工学の極致を体現するアークレスト王国の首都アークレイン。その夜景は、他大陸の都市とは決定的に異なる「電脳の海」の様相を呈していた。立ち並ぶ超高層ビルの壁面は、電力駆動による巨大なホログラム広告が極彩色の光を放ち、街路を無数に走り抜ける無人タクシーのテールランプが、絶え間なく流れる光の帯となって夜の帳を切り裂いていた。
だが、その繁栄の心臓部たるアークレスト王宮の内部は、電子機器が発する低い唸りと、死を予感させる静寂が同居する異質な空間へと変貌していた。アレン、リィナ、セリスの三人は、王宮を取り囲む最新鋭の魔力監視レーザー網を、アレンの《魔力直接操作》による「理の偽装」 ── 警備システムが感知する周波数そのものを、その場に存在する空気の揺らぎへと書き換えることで音もなく潜り抜け、中枢へと続く大回廊へと足を踏み入れていた。
磨き抜かれた白亜の石床には、非常用回路が放つ毒々しい赤い燐光が反射していた。回廊の壁面に一定間隔で設置されたアーク・リンクの信号増幅器は、アザルの人工魔力に汚染され、目視できるほどの紫色のノイズを空間へ吐き出している。高度な空調管理によって一定の温度に保たれているはずの空気は、不自然に乾燥し、喉の奥を焼くような焦げた電子基板の臭いを孕んでいた。
「……見えましたわ。あの重厚な防魔扉の向こう、国王陛下の寝所に『黒い澱み』が集中しています。王宮全体の魔力供給ラインが、あそこを起点に強引に逆流させられていますわ」
セリスが、紺色のジャケットの袖口に隠したアーク・リンクのスキャナーを睨みつけ、低く鋭い声で告げた。彼女の青い瞳には、王宮という巨大な魔導回路がアザルの妄執によって書き換えられ、一人の人間を蝕むための「精神の檻」へと作り変えられていく悍ましい光景が映っていた。
アレンは、王宮の中枢に滞留する針で刺すような魔力反応を肌で感じ、漆黒の瞳を細めた。アザルはこの国を、単なる潜伏先ではなく、己の理論を実現するための「巨大な基板」として扱っている。自然の理を汚し、数式という名の鎖で人の意志を縛り上げるその傲慢に対し、アレンの胸の奥で静かな、しかし決して消えることのない怒りの炎が灯っていた。
その時、回廊の先にある巨大な両開きの扉が、内側からの暴力的な圧力によって紙細工のように吹き飛ばされた。
「潜入者か。……我が王の『聖なる野心』を妨げる者は、この私が許さん」
爆炎と土煙を割って現れたのは、一人の人間というよりは、歩く巨岩そのものの威圧感を放つ男であった。アークレスト王国が誇る特級魔軌士No.4、グラディウス・ファルマード。二メートルを優に超えるその体躯は、アークレストの技術の粋を集めた鈍い光沢を放つ重装魔導鎧に包まれ、その手には身の丈ほどもある巨大な魔導剣が握られている。
だが、グラディウスは一人ではなかった。その左右には、彼の戦いを支える二人の誓導者が影のように控えていた。
「マスター、露払いは私たちが。不浄な足跡を王の間に通すわけにはいきません」
淡い金髪をタイトにまとめ、軽装ながらも防御効率に優れた誓導者ローブを纏った第一誓導者、ティアナ・ロウベル。
「あはは、強そうな相手じゃない! 久しぶりに本気で燃やし尽くしちゃってもいいよね?」
赤茶のショートヘアを躍らせ、唇を吊り上げて好戦的な笑みを浮かべる第二誓導者、マリエル・ドラン。
アレンは彼らの魔力波長を一瞥した。グラディウスの根底にある「忠誠」の定義が、アザルの増幅型精神操作によって極限まで歪められている。彼らは自らの意志で戦っていると信じ込みながら、その実、アザルが書き上げた「台本」の上で踊らされているに過ぎない。
「……話を聞け、No.4。あんたの主は、ただの操り人形にされている。目を覚ませ」
「黙れッ! 王の野心こそが、この停滞した世界を導く唯一の灯火だ。それを否定する貴様らこそ、理の進化を拒む害悪よ!」
グラディウスの咆哮と共に、大理石の床が地響きを立てて爆ぜた。
「セリス、リィナ。……あの二人は任せる。……俺が道を拓く」
「承知いたしました。皆様に手出しはさせません」
「了解いたしました。……アレン様、ここは私たちが引き受けます」
アレンの信頼に応えるべく、二人の誓導者が同時に踏み出した。
先手を打ったのはマリエルだった。彼女の両手から、火と雷が複雑に干渉し合う爆発的な魔力の奔流が解き放たれた。
「《爆炎電撃》! 跡形もなく消えちゃえ!」
凄まじい衝撃波が回廊を埋め尽くし、熱風が壁のホログラムを焼き切る。だが、その業火の前に、セリス・ヴァレンティアが冷徹なまでの美貌を崩さず立ちふさがった。彼女の指先が空中に六属性の複雑な魔術幾何学を描き出す。
「笑わせないで。そんな粗雑な魔力、私の前ではただの火遊びですわ。──《水刃散弾》!」
セリスの声と共に、高圧で圧縮された水の刃が扇状に広がり、迫りくる火炎を正面から叩き落とした。大量の水蒸気が爆発的に発生し、回廊の視界を白濁した霧が覆い尽くす。
その霧を裂いて、風の加速を纏ったティアナが肉薄した。
「甘いです。真空刃!」
ティアナが放った不可視の風の刃が、多角的な軌道を描いてセリスの死角を突く。だが、その刃が届く寸前、セリスの隣でリィナが静かに、しかし力強く魔力を編み上げていた。
パリンッ!
硬質な破砕音が響き、リィナを覆う不可視の波長が火花を散らした。
《三重魔導護膜》が、ティアナの風を物理的に弾き飛ばし、散った燐光が即座に新たな膜を再構築していく。
「いけません、ティアナ様。その力は、人を守るためにあるはずです」
リィナの穏やかな、しかし拒絶の意志を秘めた声が霧の中に響く。リィナは守りに徹しながらも、その鋭敏な感覚でティアナの魔力循環の隙を探っていた。
その攻防の最中、本命の巨躯が動いた。
「死ねッ! 《爆砕撃》!!」
グラディウスが大地を抉る踏み込みで跳躍し、真紅の火花を散らす巨大な魔導剣を振り下ろす。アレンは紺銀の礼装のポケットに片手を入れたまま、わずか数センチの体捌きでその必殺を回避した。粉砕される石床。だが、グラディウスは止まらない。狂気的なまでの執念で、二撃、三撃と追撃を重ねる。
「アレン・ヴァルグレイ! 理外の力を持つお前には、守るべき歴史も、背負うべき民の飢えも分からぬだろう!」
グラディウスの咆哮が、耳を劈く電子警報と共に回廊に響き渡った。
「国王陛下の野心こそが、停滞したこの国を救う唯一の熱量だ! それを否定する貴様こそ、世界の進化を拒む害悪よ!」
アレンは攻撃を紙一重でかわし続けながら、漆黒の瞳を細めた。
彼の言葉は、嘘ではない。だが、波長が歪んでいる。アザルの増幅型精神操作が、彼の純粋な忠誠心を「暴走する熱」へと書き換えている。叫びと共に放出される魔力が、針で刺すような不快なノイズとして視界を焼く。……この歪みを正すには、言葉ではなく、圧倒的な事実で分からせるしかない。
アレンの心に、静かな悲しみが過った。守るべきもののために狂わされた男への、理の守護者としての哀悼である。
「……操られた野心に、価値はない」
一瞬の隙。アレンは電光石火の速さで踏み込み、グラディウスの重装鎧の合わせ目へと、吸い込まれるように掌を当てた。
「《衝撃制御》」
ドン、と。空気が抜けるような、しかし重厚な音が響いた。
グラディウスの巨躯を包むアダマンタイト級の鎧には、傷一つ付いていない。だが、その内部を駆け抜けたアレンの理外の衝撃は、鎧という物理障壁を無視し、男の神経系と魔力回路だけを正確に停止させた。
「あ、が……ば、かな……王、の……」
グラディウスは震える声で何かを言いかけ、糸が切れた人形のように、その場に膝をついた。
「寝ていろ、No.4。……あんたの戦いは、正気を取り戻した後にまだ残っている」
主を失い、驚愕に動きを止めたティアナとマリエルに対し、セリスが追い打ちの《多重雷撃》を放ち、リィナの《水鎖縛陣》がその身を優しく、しかし確実に拘束した。
静まり返った大回廊。アレンは崩れ落ちた守護者たちの横を通り抜け、国王の寝所へと続く最奥の扉へと手をかけた。
扉の先には、最新の電力駆動による微細な空調の音と、死臭のような黒い魔力の波長が満ちていた。
豪華な天蓋付きの寝台に腰掛け、虚ろな瞳で宙を見つめる国王フォルディスの姿があった。 彼の背後からは、まるで巨大な蜘蛛が糸を吐き出しているかのように、アザルの残した禍々しい「精神の檻」が蛇のように絡みついている。
アレンが国王の真正面に立ち、その姿を視界に捉えると、リィナが傍らに寄り添い、王の瞳を覗き込んだ。
「……やはりそうですわ。アレン様、この方は心の奥にある純粋な野心を、アザルによって限界まで引き出されています。このままでは……陛下自身の精神が焼き切れてしまいますわ」
目視することで王の精神深層の不協和音を読み取ったリィナの言葉に、アレンは静かに、しかし冷徹なまでの決意を指先に込めた。
「俺が剥がす。……セリス、周囲の魔力干渉を遮断しろ」
「承知いたしました」
セリスが寝室の四隅に魔力封鎖の術式を配置し、外部との通信を物理的に断絶させる。アレンは国王の額に向けて、ゆっくりと指先を伸ばした。
──《魔術消去》。
パチン、と。
張り詰めた弦が弾けるような、清涼な音が室内に響き渡った。
王を縛っていた黒い霧が、朝日を浴びた残雪のように一瞬で浄化され、最初から存在しなかったかのように「無」へと回帰していく。侵食されていた魔力波長が、アレンの指先から伝わる絶対的な「理」によって、本来の穏やかなリズムへと書き換えられていった。
「……う、あ……あ……」
国王フォルディスの瞳に、知性の光が戻った。 彼は震える手で自身の顔を覆い、自らの行いの重みに耐えかねるように崩れ落ちた。
「……私は……何を。自らの野心に呑まれ、これほどの民を……ガルディアを……」
「まだ、悔いている時間はありません」
アレンの低い声が、王の意識を冷酷な現実へと繋ぎ止める。
「元凶はまだ、この王宮の深淵にいる。……台本を終わらせるぞ、国王」
国王フォルディスは、顔を上げ、アレンの漆黒の瞳を見つめた。その瞳にあるのは同情ではなく、理を正す者の峻烈な意志であった。
技術国家アークレストの闇が、一人の男の指先によって引き裂かれた。だが、狂った天才アザルとの「最終幕」は、いま、この寝所の奥にある地下研究庁から真の火蓋を切って落とされたのである。




