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南大陸の灼熱を置き去りにし、アレン、リィナ、セリスの三人を乗せた大陸間直行便の大型旅客機は、白銀に染まる西大陸の上空へと差し掛かっていた。
高度一万メートルの安定した飛行。窓の外にはどこまでも続く雲海が広がり、最新のターボファンエンジンが奏でる低く規則正しい唸りだけが、機内を満たす沈黙の背景となっていた。
アレンは身体をファーストクラスの広い座席に預け、閉じた瞳の裏で、サハリスで得た「毒」のような情報を反芻していた。
アーク・リンクのホログラムウィンドウに表示された、アークレスト王国の地図。東大陸の端に位置するその国は、世界の通信の心臓部を握っている。
気圧の変化に伴う機体の微かな軋み音。隣の席で安らかな寝息を立てるリィナと、対照的に鋭い手つきで情報の整理を続けるセリスの、魔導ペンのカリカリという音。
機内の冷え切った乾燥した空気。リィナが毎朝施す守りの波長が、外界の気圧変化を緩やかに調整し、不快感を霧散させている。
アザル・ハル=サーミ。……その名はアレンの記憶にはない。だが、彼が選んだ潜伏先「アークレスト」という一点が、これまで起きた不自然な事象のすべてを一つの「線」に繋いでしまった。
「……アレン様、起きていらっしゃいますか?」
銀髪を揺らし、リィナがそっと声をかけた。彼女の瞳には、アレンの深い思索の影が、不気味なノイズとして映っていたのだろう。
「ああ。……アークレストの魔導工学研究庁。奴はそこに『アシェル・グレイヴ』として入り込んでいる。これは単なる潜伏じゃない」
アレンの低い声に、作業を止めたセリスが身を乗り出した。 彼女の青い瞳には、サハリスでの不敬な特級魔軌士との接触で受けた苛立ちが、今は冷徹な軍人としての危機感に上書きされている。
「アークレストは、私たちが今使っているアーク・リンクの九割以上を生産し、その通信プロトコルを独占している国よ。……もし、その製造工程や基幹システムにアザルのような精神魔術の天才が関わっているとしたら」
「……個人の魔力署名という『鍵』さえも、奴の指先一つで書き換えられる『扉』になる可能性があるということですか?」
リィナの言葉は、機内の無機質な照明の下で、凍りついた事実として響いた。
作戦室で見た、あの数学的に整列された人工魔力の波長。あれはアーク・リンクの基幹回路と『共鳴』するように設計されていた。
アザルの目的は、国境での小競り合いではない。アークレストの技術を触媒にし、世界中に普及したアーク・リンクを媒介に、全人類の精神を一つの『網』に繋ぎ止めることだ。
……理外の傲慢。だが、それを阻止するための証拠が、まだ足りない。
ガルディア公国、首都ガルディアス。
夕闇に包まれた宮殿の回廊を、三人の規則正しい軍靴の音が叩く。
窓の外では、公女王エリシアが守り抜いた穏やかな冬の夜景が広がっているが、三人が纏う紺銀の魔術礼装には、一触即発の戦場を潜り抜けてきた者特有の、鋭利な魔力圧が宿っていた。
執務室の重厚な扉が開くと、そこには和平交渉の疲れを微塵も見せず、書類の山に囲まれたエリシアの姿があった。
「おかえりなさい、アレン殿。……その表情を見る限り、芳しい報告ではなさそうですわね」
アレンは余計な前置きを排し、セラフィナ・アルシェルから得た情報を、そしてアレン自身が解析した「アーク・リンクを用いた精神ネットワーク構築」の懸念を、冷徹に伝えた。
報告を聞き終えたエリシアの顔から、血の気が失せていくのが分かった。 彼女が机の上に置いた自身のアーク・リンク ── 王族としての特権と安全の象徴であったはずのデバイスが、今は毒蛇のように彼女を睨み返しているようだった。
「……アザル・ハル=サーミ。死んだはずの研究主任が、アシェル・グレイヴという名で東大陸の心臓部に潜り込んでいる。……そして、アーク・リンクそのものが、彼の支配の手綱になっているというのですか」
「陛下。アークレストは世界のインフラです。もし私たちが確たる証拠なしに特級魔軌士を動かし、彼の国に強引に踏み込めば、それは……」
セリスの言葉を、エリシアが重く継いだ。
「ええ。大陸全土を巻き込む、取り返しのつかない外交的決裂。……ヴァルゼン帝国に、ガルディアを『秩序の破壊者』として糾弾する大義名分を与えることになりますわ」
エリシアは立ち上がり、窓の外の平和な灯火を見つめた。その華奢な肩には、ガルディア一国の命運ではなく、世界の均衡という巨大な天秤が乗っている。
「アレン殿。リィナ殿、セリス殿。……あなたたち三人に、再び『待機命令』を出します」
「陛下……!」
セリスが詰め寄ろうとするが、アレンは巨躯を動かさず、静かに彼女を制した。
「調査は、情報局の極秘工作員をアークレストへ派遣し、継続します。アシェル・グレイヴの権限、アーク・リンクの製造工程における不正の物理的証拠……。それらを完全に掌握するまで、特級魔軌士としての『実力行使』は禁じます。……わかってください。これは、あなたたちを、そしてこの国を守るための『壁』なのです」
公女王としての、悲痛なまでの理性。
アレンはその言葉の奥にある、彼女自身の震えを、魔力波長の微かな乱れとして捉えていた。
「……承知しました。命令に従います」
アレンは深く一礼し、執務室を辞した。
人気のない廊下、冬の月光が射し込む冷たい空間で、リィナが不安げにアレンの袖を握った。 肌の表面を覆う守りの波長が、アレンの冷徹な殺気と触れ合い、チリ、と静かな火花を散らす。
「アレン様……。本当に、このまま待つしかないのでしょうか」
アレンは足を止め、窓の向こう ── 星一つ見えない東の空を見据えた。
「……アザルの台本は、既に最終章に入っている。工作員が証拠を持ち帰るのが先か、奴がネットワークを起動するのが先か。……その勝負になる」
アレンの漆黒の瞳の奥に、理を歪める者への、氷点下の怒りが灯った。
(アザル。お前が世界を一つの檻に繋ごうとしているのなら、俺はその檻ごと、お前の野心を消去するだけだ)
アークレスト王国の深い闇に一筋の亀裂が走るまで。
特級魔軌士No.11とその誓導者たちは、嵐の前の、あまりに重苦しい静寂の中に身を浸すこととなった。




