12-10
ガルディア公国宮殿、中央作戦室へと続く最終防衛ライン。豪華な装飾が施された大回廊の突き当たりに、その重厚な扉は鎮座していた。
扉の前には、軍務卿レグナードを盲信し、「正義」の名の下に公女王へ背いた数名の精鋭魔導兵たちが、必死の形相で魔導銃を構えて立ち塞がっている。
彼らの背後、作戦室の内部からは、本来聞こえるはずのない、重低音の唸りのような不気味な震動が廊下の石床にまで伝わってきていた。
「……どけ。お前たちを、これ以上傷つけたくはない」
アレンは身体を揺らすことなく、一歩、また一歩と距離を詰めていく。彼から発せられる、氷点下の静寂を伴う圧倒的な威圧感。それだけで廊下の照明が明滅し、兵士たちの指先は冷気と恐怖で白く強張った。
「撃て! 国賊を通すな! 我が国の誇りを守るのだ!」
一人の兵士が、自身の震えを打ち消すように絶叫した。
兵士たちの魔力波長が、極限の緊張によって「共鳴」を起こしている。彼らにはもはや、俺が王都を滅ぼす魔王にでも見えているのだろう。
魔導銃の出力は最大。発射されれば宮殿の壁面にも多大な損害が出る。建物の構造維持と兵士の生存、その両立を果たすための最短経路を選択する。
……守るための剣、か。皮肉なものだな。
──カシュンッ!
放たれた数条の高出力魔力弾。しかし、アレンは避けることさえしなかった。
彼はただ、ポケットから抜いた右手の指を小さく「パチン」と鳴らしただけだ。
──《魔術消去》。
空間の理を書き換える無属性の干渉波が、殺到する魔力弾を一瞬で「無」へと回帰させた。光の粒さえ残さず、攻撃は最初から存在しなかったかのように霧散する。
「な……ッ!?」
驚愕に目を見開く兵士たちの視界から、アレンの姿が消えた。
次の瞬間には、彼は既に兵士の懐へと肉薄し、その掌を優しく、しかし確実に対象の胸元へと置いていた。
「《衝撃制御》」
ドン、という乾いた音と共に、兵士たちはまるで見えない大槌に叩かれたかのように後方へと吹き飛んだ。だが、その一撃はアレンの精密な制御により、防魔服の外殻だけに衝撃を限定している。内部の臓器や骨には一切の負荷をかけず、脳への僅かな揺さぶりによって、彼らは骨折一つ負うことなく意識だけを刈り取られ、壁際へと崩れ落ちた。
「……死者はいない。安心しろ」
アレンが静かに告げ、扉へと手をかけた、その時であった。
重厚な作戦室の扉の隙間から、ドロりとした「黒い霧」のような魔力が這い出してきた。光を吸い込むようなその闇は、意志を持つ生き物のように石床を舐め、禍々しい気配を撒き散らしている。
扉の向こうから、軍務卿の声が響く。だが、それは知性ある人間の発する言葉ではなかった。
肌を刺すような、粘りつくような嫌悪感。周囲の温度が物理的に数度低下したように感じる。
これは……ただの洗脳ではない。精神そのものが、内側から「別の何か」に喰い破られている。
『……戦え……戦え……ガルディアのために……!』
スピーカーを通さず直接響くその声は、不自然に震え、魔力の歪みによって幾重にも重なるノイズが混じっていた。愛国心という皮を被った、純粋な破壊衝動。
「アレン様……! お待ちください……!」
背後でリィナが銀髪を震わせ、悲鳴に近い声を上げた。
彼女は扉の隙間から溢れ出す黒い奔流を、その澄んだ青い瞳で見据えている。その目に映る「生きた魔力」の異常さを、彼女の鋭い魔力感知が捉えていた。
「室内の魔力が……完全に腐食しています。軍務卿閣下のものとは違う、底知れない『闇』の波長が混ざり合っています……!」
「……あれはもう、閣下の意志じゃないわね」
セリスがレイピアの柄を強く握りしめ、青い瞳に峻烈な戦士の光を宿した。
「誇り高い軍人としての魂を、土足で踏みにじるような……救いようのない悪意を感じるわ」
ガルディアを狂乱へと導いた暴走の正体。
それは政治的な野心などではなく、理外の「黒幕」による、あまりに残酷な支配であった。
アレンは、漆黒のジャケットの襟を無造作に正すと、静かに、しかし絶対的な決意を込めて扉の取っ手へと指をかけた。
「……開けるぞ。下がっていろ」
扉の向こう側で待っているのは、もはや言葉の通じる相手ではない。
アレンは身体を扉の正面に据え、背後の二人を守るようにして、世界樹の理を乱す不協和音の源へと足を踏み出そうとしていた。




