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凄まじい衝撃と共に突入部隊を退けた小部屋には、焼けた木材の臭いと、冷え切った石壁から染み出す静寂が立ち込めていた。アレンは扉であったはずの残骸を無造作に踏み越え、瓦礫の隙間から廊下の様子を窺った。
埃が舞う薄暗い廊下。遠くで点滅を繰り返す非常灯が、不気味に影を揺らしている。
壁を伝って届く、統制の取れた軍靴の響きと、遠方での散発的な魔術爆発の余波。
頬を掠める乾いた風と、背後に控える公女王エリシアの絶望的な魔力波長の震え。
目の前の十人を無力化したところで、この巨大な構造体の心臓部はまだ敵の手中にある。……時間をかければ、国境の火種は修復不能な業火になるだろう。
「……しつこいな」
アレンが短く吐き捨てると、傍らで震える手でアーク・リンクを操作していた文官が、顔を真っ青にして叫んだ。
「陛下……! 軍務卿派の反乱軍が、通信室と軍務省区画を完全に封鎖しました! 外部への通信網も、魔術回線もすべて彼らが掌握しています! 陛下が先ほど署名された撤退命令を前線へ送ることができません!」
「そんな……。このままでは、国境の兵たちが……」
エリシア公女王は力なく壁に手を突き、その白く細い指先を震わせた。
その絶望的な沈黙を、宮殿各所に設置されたスピーカーから流れる、傲慢で歪んだ声が引き裂いた。
『全軍へ告げる。ガルディア軍は直ちに反撃、およびノルディアへの侵攻を開始せよ。特級魔軌士五名を『排除』せよ。……これは、ガルディア公国、我が民の真なる総意である』
軍務卿レグナード・ファルシオンの、かつての規律を失った狂気じみた宣告。
「軍務卿! 陛下の許可なく軍を動かすのは、明白な反逆だ!」
文官が虚空に向かって叫ぶが、スピーカーの向こう側からは、鼻で笑うような乾いた冷笑だけが返ってきた。
『反逆をしているのは、敵を前にして怯える陛下の方だ。……私はただ、恐怖に震える国民の負託に応えるのみである!』
「アレン殿……」
エリシアは縋るような、しかし王としての決然とした意志を宿した瞳でアレンを見上げた。
「軍務卿を止めなければ、この国は自分たちが掘った深淵に飲み込まれてしまいます。多くの民が、何の意味もない憎しみのために死ぬことになります」
アレンは漆黒のジャケットの襟を正し、紺銀の軍服風礼装に身を包んだリィナとセリスを背後に従えて、公女王へ向き直った。
スピーカーから流れる軍務卿の声。その音の奥に、不自然なノイズを感じる。それは単なる通信の不備ではなく、精神構造そのものが歪曲されているような不協和音だ。
軍務卿は玉座ではなく「命令系統」の掌握に固執している。これは軍人としての合理的な判断の延長にあるが、それゆえに法による説得は無意味。物理的に作戦室を奪還し、偽りの命令を上書きするしかない。 ……やることは決まっている。あとは、俺という「力」をどう使うかだ。
「……作戦室を奪還すれば、奴の命令を無効化できます。行ってくる」
アレンの平坦だが力強い言葉に、エリシアは深く頷いた。
「アレン殿……どうか、この国を、民を。……そして、道を誤った軍務卿を、救ってください」
アレンが歩き出そうとしたその時、隣を歩くリィナが、不意に視線を前方 ── 作戦室のある方角へと固定し、その銀髪を微かに震わせた。
「アレン様、お待ちください……。あちらから、吐き気がするような……とても歪な魔力の乱れを感じます」
リィナは廊下の先をじっと見据え、その周囲に微かな光属性の燐光を漂わせている。
「魔力の乱れ? 精神干渉系か?」
「分かりません。……でも、これは軍務卿閣下の魔力波長ではありませんわ。もっと、底知れない『闇』のような……」
「……誰かが軍務卿の背後で糸を引いているというの?」
セリスがレイピアの柄を握り込み、青い瞳に鋭い戦士の光を宿して応じた。
三人は宮殿の中央回廊へと踏み出した。
作戦室へと続く広大な廊下。そこには、十数名の重装魔導兵が、巨大な盾を構えて強固な防壁を築いていた。彼らは、王都を守るために鍛え上げられた精鋭たちだ。
だが、彼らの瞳には、近づきつつある黒髪の男 ── 特級魔軌士アレンに対する、隠しきれない本能的な恐怖が宿っていた。
「アレン殿……! これ以上は通せません。我々は軍務卿閣下の命令を、国家の正義を遂行しているのです!」
隊長らしき男が、震える声で魔導銃を構えた。
アレンは歩みを止めず、圧倒的な魔力圧を伴う一歩を踏み出し、冷徹なまでに澄んだ声を響かせた。
「武器を向ける相手を間違えるな。……陛下を守り、民を安んじる。それがお前たちが誓った本来の『正義』だろう」
暴力ではなく、その存在そのもので理を説く。アレンから放たれた静かな、しかし峻烈な威圧感に、兵士たちの間に動揺がさざ波のように広がった。
「俺たちは……何を……」
一人の兵士が、ガチガチと音を立てて銃を石床に落とした。
「閣下は、陛下を敵と呼んだ。……だが、俺たちが守りたかったのは……」
次々と武器が置かれる、虚しくも重い金属音が静かな回廊に反響する。
「武器を置け。お前たちの迷いは、理解できる。……責めるつもりはない」
アレンは武器を捨てた彼らの横を、一度も視線を外すことなく悠然と通り過ぎた。
いまや彼は一人の傭兵ではない。ガルディア公国という国家の、崩れゆく「良心」を繋ぎ止める最後の一点として、作戦室の重厚な扉へとその手をかけたのである。




